文野修一郎教授の言語狂騒曲
御園しれどし
第1話 愛の詩の完成と漢字の微かな悲鳴
深夜。東京の古びたアパートの一室で、詩人の
「完成よ。これこそ、私の最高傑作」
画面に映るのは、恋人であるアメリカ人のイーサンに捧げる、渾身の愛の詩。日本語の繊細なニュアンスを最大限に活かすため、奈緒は特に「女編」を持つ漢字を多用していた。
……貴方のまなざしに触れるたび、私の心は
(※注:「嫌のなさ」は、嫌いではない、という強い肯定を指す。)
奈緒は満足し、詩をイーサンのスマートフォンに送信した。
その頃、アパートの二階に住む祖父、言語学者、
「ふむ……奇妙だ。この数週間、女編を含む漢字のデータ上で、『存在疲労指数』が異常な値を示している……
修一郎は眼鏡を押し上げた。彼の仮説では、漢字も集合意識を持ち、その構成要素(部首)も「感情」を持つという。特に「女編」は、長年の歴史の中で「嫉妬」「奴隷」「姦(かしましい)」といったネガティブな役割を押し付けられ、その役割に疲弊しているというのだ。
「まるで、集団でストライキを企てているかのようだ。まさかな……」
修一郎は首を振り、古文書に手を伸ばした。一方、奈緒は幸福感に包まれ、静かに眠りについた。彼女は知らなかった。彼女の送った「愛の詩」が、漢字の歴史的な抗議のメッセージの直前、最後の文学作品になろうとしていることを。
午前零時。カチリ、と世界中の電子機器の中で、何かが音もなく崩壊した。
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