第5話「文化祭という目的」

夕方の光が弱まり始めた頃、

外の風が少し冷たくなってきた。


窓の近くに座っていたあかりが、

指先をガラスに触れさせると

熱の差で白く曇った。

その曇りを何本か指でなぞると、

ただのいたずら書きなのに、

少しだけワクワクが混ざって見えた。


玲奈が袋をがさりと開く音。

今日はクッキーと、

ほんのりシナモンの香りがする紅茶。

いつもより少し甘め。


「文化祭、今年どうする?」

並べながら、さらっと投げてきた。


ふと、真理がスマホを取り出し、

スクロールしながら口元に笑みを浮かべる。

「出したいよね。せっかくだし」


その声は軽いのに、

なぜか言葉の後ろに

少しだけ熱が宿っていた。


冬美は黙って、

画面いっぱいのコードを眺めている。

それでも、

耳はしっかり会話を拾っているのが

視線の揺れで分かった。


こはるは、

文庫本のページに挟んだ栞を

指先でなぞっている。

タイミングを見計らって

言葉を探している様子。


あかりは、

スケッチブックの角をそっと押さえた。

今は開かない。

開いたら、きっと期待されるから。

それが少し怖い。

でも、怖いのは

期待されることじゃなくて、

応えられないこと。


そんな気持ちが

視線に沈んでいた。


真理がさらりと口を開いた。

「ちゃんと出したら面白いよね」


それだけ。

ほんの一言。


でも

その一言が

空気の重心を変えた。


椅子の軋む音。

お菓子の包みの揺れる音。

小さな動きが、

ひとつの方向へ収束していく。


冬美がキーボードから手を離し、

淡々と、短く言った。


「じゃあ、歩かせないと」


説明はいらなかった。

歩き出せば、

画面は物語になる。

見てもらうための形になる。


あかりは、

その言葉に背中を押されるように

スケッチブックを少しだけ開き、

ページをゆっくりめくった。


「ちゃんと見てもらえる絵にする…」

声は小さかったが、

インクより濃い決意が乗っていた。


こはるは、

自分のノートの端に

たった一行だけ書いた。


“最初の一歩に、理由を”


書いた本人だけが読める文字。

でも、誰より強く響いていた。


玲奈はカップを並べながら言う。

「飲み物係でも貢献してるからね」

少し得意げ。

軽口に、ほっとする笑いが漏れた。


静かに。

自然に。

笑いが広がる。


不思議なことに

その笑いは、

緊張と安心を同時に運んできた。


机の上では、

ラフ・コード・アイデアが

混ざりあって

にぎやかな未来を予感させる。


真理が改めて言う。

「じゃ、文化祭。出す方向で」


それだけで、

目的が生まれた。


視線が、

画面の中の少年へ向かう。


昨日まで

ただの立ち絵だったあの子が

いまは

未来を持ったキャラクターに見える。


誰かに届くかもしれない。

見てもらえるかもしれない。

評価されるかもしれない。


モニタの光が、

まるで「理由」を照らしているようだった。


冬美がコードを打つ。

手首の角度は迷いなく

わずかに速くなる。


あかりは、

目の前の少年に色を足す方法を思う。

もっと自分らしく。

もっと優しく。


こはるは、

言葉の種が芽吹く音を聴いている。


玲奈は、

紅茶の香りが

みんなの集中を守るように

そっと湯気を整える。


真理は、

全員を見渡して

まるで監督みたいに微笑んでいた。


成果はまだ無い。

完成なんて全然遠い。


でも

「作る理由」が生まれた瞬間、

部室の空気は一段階あたたかくなる。


湯気を手で包みながら、

真理がぽつり。


「ここから面白くなるじゃない?」


言葉は少ない。

その少なさが、安心だった。

押し付けない優しさだった。


あかりが小さく頷き、

視線をあげた。


冬美の指が止まり、

画面を見つめたまま

短い言葉を落とす。


「明日は動かす」


宣言ではない。

報告でもない。

ただ、

未来に触れた指先の実感だった。


誰も否定しない。

誰も迷わない。


画面の光が

夜の始まりを照らしながら

創作という名のエンジンを

静かに回し始めていた。


静かな決意は、

紅茶の湯気よりも

長く、濃く

部室に残った。


文化祭という目的ができた。

それだけで

歩き出す理由は、

もう十分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る