第8話 忍びのもの


「おい、瑠々。起きろ!」

 鋼刃の声でようやく瑠々が目を覚ましたのは、ひと悶着があった一時間後のこと。

「あ、鋼刃さま……」

「おまえ、こんなところで寝て何やってんだ?」

 まだしっかりと覚醒してないのか、瑠々の視点は定まっていない。

「鋼刃さん、あまり強く揺らさないようにしてあげて。瑠々ちゃん、薬か何かで眠らされたみたいだから」

 莉加の注意がなくとも、鋼刃にはわかっていた。

 庭の芝生が踏み荒らされていることや、何者かの血痕を見つけたことから留守中に侵入者がいたことを。そして、瑠々と一戦交えたことも。

「あ、ああ。瑠々、大丈夫か?」

 服が切り裂かれていたり、致命傷ではないものの浅い傷が何か所もあるから、訊くまでもないことだった。

 しかし、元気のない瑠々など見たことがなかった鋼刃は狼狽えを隠せない。

「私、敵を追い払った……から、ね」

「うん」

 ちくしょう。俺のいない間に。許さねえ。

「瑠々ちゃん、がんばったね。さすがだよ」

 莉加が瑠々の手を握り優しくねぎらう。

「ほら、鋼刃さんも瑠々を誉めてあげて」

「がんばったな。瑠々」

 額にかかる前髪を整えてあげると、瑠々は再び眠りに落ちた。鋼刃を信頼しきった安らかな寝顔に心が痛む。元気なときはただ、ただ鬱陶しいだけなやつなのに。

「さ、こっちに運んで!」

 手当の支度ができたのか、りつこが走ってきた。深町が瑠々を抱え上げ、屋敷に運んでくれる。

「心配しないで。お母さん、ああ見えて元医者だったんだから」

 それは助かる。ならば、俺がやることは――

「莉加さん、また車の運転頼む」

 ――瑠々をこんな目に会わせたやつらを叩きのめしてやる。

 しかし、莉加は首を振った。

「一時の感情に突き動かされちゃだめよ。もっと冷静になって。今、鋼刃さんがここを出たら、りつこ様は誰が守るの?」

 至極もっともだが

「雷は? 雷はどこに行った? 雷に残ってもらえば」

「雷くんはすでに追跡中。だからあなたはここにいるべきなの」

「そうか」

 不本意ながらも、ここは納得するしかなかった。 いくら雷の脚力でも、追いつけるはずはない。一晩かかってでも居場所を突き止めるつもりなのだろう。

 手がかりは、敵が流した血の臭いだ。訓練された鋼刃や雷なら警察犬顔負けの追跡力がある。ここは雷に託そう。雷ならひとりでも大抵の敵に負けやしない。

 鋼刃の彼に対する信頼は絶大なものがあった。


 ※


 例の棺の行を終えて十日ほど経ち、鋼刃がもうじき八歳になる手前の頃だった。

 河川敷で三島流体術の鍛錬をしていたとき、ひとりの少年に声を掛けられた。

 体格がよく、鋼刃より二回りほどでかい。目つきも鋭く、精悍な表情をしている。

 以前から彼、天空雷の存在は知っていた。三島流の第一後継者として目されていた男だ。

「鋼刃って言ったな。おまえ、ずいぶん師範に目を掛けられてるけど、どれほどの腕か見てやる。かかってこい!」

 なんだ、こいつ? と思った。

 時代錯誤にもほどがないか? 

 里に来て以来、こんな感想を持つのは数えきれないほどあったが、雷はまた極端に浮世離れしていた。

 もっとも現代の隠れ里みたいなところだから、無理もないのかもしれないが。

 つい半年前までは都会暮らしだった鋼刃にとって、里の風習や考え方などに大層面食らったものだった。 子供ならではの適応の速さで、なんとか里に溶け込んできたと自覚はしている。

「どうした? 俺が怖いのか?」

「ちょっと待ってよ!」

 そのとき、止めに入ったのが瑠々だった。瑠々とはすでに既知の間柄で、里の案内をしてくれた世話好きでおせっかいな子だ。

「雷兄、よしなよ。まだ、この子七歳なんだよ」

「それがどうした? 俺なんか七歳のときには師範にこっぴどくしごかれまくったぞ」

「だからって、雷兄が先輩風吹かせて、いじめていいってわけじゃないよ」

 鋼刃が割って入る。

「大丈夫だよ。俺は負けないから」

 その言に瑠々は血相を変えた。

「あなた、雷兄をなめてたらひどい目に会うよ。雷兄、頭は悪いけど強いんだからぁ。ここはひとつ、子分にしてもらったほうがいいよ! 雷兄、子分を増やしたいだけなんだからさ」

「瑠々! なに、余計なこと言ってんだ!」

 鋼刃は思わず吹き出した。

「わかったよ。じゃあ、こういうのはどう? 俺が雷くんの攻撃をすべてよける。俺からは攻撃しない。少しでも触れたら雷くんの勝ち。子分になってあげるよ」

「あ、それいい! 安全だもんね」

「よけられればな!」

 雷は駆け出していた。自分が舐められた条件だということを考えることもなく、行動に移っていた。この沸点の低さが雷の魅力かもしれない。

(うわ。早っ)

 三島の里で鍛えられているだけはある。鋼刃の反応が一瞬でも遅れたら、勝負はあっという間についていた。ぶんっと薙ぎ払われた腕を紙一重で躱し、鋼刃は目を剥いた。

(こいつ、本気かよ)   

「ふん。よくよけたな。次はそうはいかねえ」

 その瞬間、鋼刃のタックルが決まった。両手で脚を抱え込み、見事に雷を押し倒すことに成功。

 まさかの事態に雷は倒れたままぽかんとしている。

「攻撃はまあまあだけど、防御がダメだな」

「この野郎!」

 我に帰った雷が跳ね起きたと同時に、瑠々が止めに入った。

「勝負あったわ。雷兄の勝ち!」

「へっ?」

「だって、そうでしょ。この子が言ったこと忘れたの? 俺からは攻撃しないって宣言したじゃん。ルール破ったんだから雷兄の勝ち」

「そ、そうか。俺の勝ち?」

 腑に落ちない風の雷に鋼刃が言う。

「そうだよ。俺の負け。雷くんの子分になるよ」

 単純な雷はすっかりその気になり、いい気分のまま立ち去って行った。

「ねえ、いいの?」

 その場に残った瑠々が不思議そうに尋ねてきた。

「うん。めんどくさかったしね」

「ええ! あんたの方が強いのに?」

「いいよ、そんなことは。それにしても、あいつ、あんなに本気でかかってくるなんて、俺何か悪いことでもしたかな?」    

 瑠々は口の前に人差し指を立てて

「内緒だよ。雷兄、あんたがここに来たせいで莉加姉が追い出されたって勘違いしてんのよ。その前にも雷兄が憧れてた人が里を抜けちゃったしさ、雷兄の恋がことごとく破れてる、その腹いせ!」

 そう言ってさも可笑しそうに笑う瑠々に、鋼刃は興味を覚えた。

「おまえ、面白いやつだな」        

「ええーそんなこと言われたの初めて!」

と言いながらぴょんぴょんとジャンプする瑠々を見て、鋼刃は吹き出した。


 ※


 瑠々の寝顔を見ながら、鋼刃は苦笑する。

 それ以降、瑠々は暇を見ては鋼刃にまとわりついた。うざいやつだと思いながらも、一緒にいて楽しかったことは間違いない。

 改めて振り返ると、莉加のことについてさらりと触れていたのだと気付く。

「薬が効いてきたようね。傷は浅いから心配はいらないわ。傷跡が少し残るかもしれないけど、時間が経てば消えるでしょ」

「ありがとうございます」

 処置を終えた千景が、鋼刃と莉加に向き直る。

「りつこが摩龍怒まりゅうどになれば、この程度の傷すぐに治せるのにね」

 思わせぶりに言うと、静かに部屋を出て行った。

「摩龍怒?」

 鋼刃の独り言を莉加が拾った。

「なに、それ? 聞いたことないけど」

 鋼刃には答えようがない。あの少年から摩狼怒という類似した言葉を知ったばかりなのだ。

 これはあとで千景に訊いてみよう。

 肝心のりつこはどうしているのだろう?

「りつこ様なら祈りの間にいるわ」

 鋼刃の心を読んだように、莉加が言う。

「瑠々ちゃんの無事をお祈りしてるはずよ。だから、傷跡もしっかりと消えると思う」

「そうか」

 安心したものの、自分はいったい何をやっているのだという焦燥感に駆られてしまう。

 りつこも千景も、一所懸命瑠々のために動いてくれているというのに。

 雷も頑張っているのに。

 

 ※


 子分になったとはいえ、鋼刃は一目置かれていたようで、雷に威張り散らされるようなことは一切なかった。

 もともと雷は根のいい男だから、他の子供たちにも慕われている。

 三島の里には総勢八十人ほどがひっそりと暮らしていて、そのうちの二十人が十五歳以下の子供だった。

 十五歳を境に若者は里を出て行く。一般社会に溶け込むためだ。十七、八歳になると、いよいよ忍びの活動が本格化するのだが、これはあくまで極秘。鋼刃でさえ他の者の活動内容はよく知らない。

 雇い主によって敵味方に分かれることもあるが、三島の里のことについては絶対に口外しないのが掟である。そんなことも雷から教えられた。

「俺もあと二年で里を出て行かなきゃいけないんだ」

 雷が十三歳、鋼刃が十一歳のときだった。

「俺も最近知ったんだけどな」

「そういえばむかし、俺がここに来たせいで雷の憧れの人が追い出されたって勘違いして、食って掛かってきたことがあったよな」

「うわ。それは忘れてくれ。めちゃ恥ずかしいじゃねえか」

「じゃ、忘れてやるから、子分を脱けさせてもらう」

「あほう! とっくに俺たちは親友じゃねえかよ!」

 いつのまにか二人は親友以上の関係になっていたのだった。

「俺も雷と一緒に行きたいな」

 鋼刃の素直な気持ちだった。

「ばか言え。里に残ってしっかりと修行に励め。おまえは俺なんかよりはるかに大物になるやつだ」

「そんなことないよ。雷だって、すげえぞ」

 雷の体術や火遁、水遁は鋼刃の目標でもあるし、なにより得意の透身の術は、鋼刃の及ばぬレベルに達している。

 雷は大きなため息を突いた。

「どうしたんだ?」

「時々考えるんだ。俺たちの能力って、現代社会に役立つのかな? って」

「そのために頑張ってるんじゃないかよ」

「だってよぉ。科学が進みすぎてるだろ。携帯はあるしネットは発達してるし、セキュリティシステムもすげえじゃん? 忍術なんかの出る幕じゃねえよ」

 そう言われると、鋼刃も返す言葉がない。

「噂に聞いたんだけどよぉ、里を出た先輩たちも暮らしには困ってるんだとよ。日本は平和っちゃぁ平和だし、需要もあまりないんだろうな」

「だったら、雷はなんのために修行してるんだ?」

「うん? 俺は悪いやつらを片っ端から叩きのめしてやるんだ。ひでえ奴らはいくらでもいるみたいだしな」

 忍びに求められるものとは少し違う気もするが、そんな動機も雷らしくていいのかもしれない。

「ところで知ってるか?」

 そう言うと、雷は鋼刃の耳元に口を寄せてきた。

「な、なんだよ」

「ハニートラップってやつ」

「なんだそれ?」

「先輩のくノ一の何人かが、生活のためにそんなことやってるんだとよ」  

「だから、ハニートラップってなんだ?」

「おまえが知らないのも無理はないか。子供だもんな」

「もったいぶらずに教えろよ」

 雷はにやりと笑った。

「くく。おまえも好きだな。ハニートラップってのはだな、女が男に……この場合は、例えば政府や軍部の偉い人を誘惑して、機密情報を聞き出すのさ。もしくはその現場を隠し撮りして脅迫するわけだ」

 初耳の鋼刃にとっては、衝撃だった。

「え? じゃ、じゃあ、瑠々も将来そんなことをするのか?」

「それは知らねえ。うん? おまえ、瑠々に気があるのか? 仲いいしな」

「そんなんじゃねえ! 瑠々にはそんなことさせたくねえんだよ。雷だって、そう思うだろ?」

「ま、まあな」

「ちくしょう!」

 鋼刃は走り出していた。体の内側にとてつもなく熱い奔流が循環し、正体不明の感情に突き動かされたのだった。

 雷も追いかけてきたが、このときの鋼刃にはさしもの雷も追いつくことはできなかった。

 一キロほど全力で走り切り、瑠々の家に来た。

「あれ? 鋼刃じゃない。どうしたの?」

 あまりに真剣な表情の鋼刃に戸惑う瑠々の両肩を鷲掴みにし

「瑠々。おまえは絶対に俺が守る。だから絶対にハニー――うぐっ!」

 最後まで言えなかったのは、追いついてきた雷が背後から口を塞いできたためだ。

「ま、そういうことだ。鋼刃がおまえのこと絶対に守るってよ。よかったな、瑠々」

「え? どういうこと」

 暴れる鋼刃を力づくで制することができるのは、さすが雷というところか。

「一生そばにいるってことじゃねえか?」

「ええ!」

 瑠々が頬を赤らめる。

「それって、私と結婚するってこと?」

 雷が鋼刃の頭を押さえつけ、無理やり頷かせる。

 これを瑠々は未だに勘違いしているわけだが、雷や瑠々のおかげで楽しい日々を過ごせたことに、心から感謝している。



「鋼刃さま……」

 瑠々が目を開けていた。

「なんだ? また寝てろよ」

「私、思い出した」

「うん?」

「侵入者の一人は、三島の里出身よ。霧野カスミさん。間違いないわ。かつては里イチの実力を誇っていたはずよ」

「わかった。いいからじっとしてるんだ。いいな?」

 起き上がろうとする瑠々を宥めて、鋼刃は立ち上がった。

 だめだ。じっとしていられない。相手が里の出の達人では分が悪い。なんとか莉加さんを説得して俺も雷の加勢に行かなければ。

 廊下を歩きながら、考える。

 こんなとき雷にもテレパシーを送ることができれば便利なのだが、鋼刃のそれは受け手側にそれなりの能力がなければ使えないのだ。

 かといって携帯はGPS機能があるため、忍びは所持しないのが常識。

 そうだ。りつこに頼もう。あいつのテレパシー能力なら雷に連絡が取れるはず。

 りつこが祈りの間から出てきたのは、ちょうどそのときだった。

「あ、おまえに用があったんだ」

「あたしもよ。事情はだいたいわかってる。雷くんにも連絡しておいたから」

「え?」

 この野郎、俺の心を勝手に読んでやがったな。

「馬鹿言わないで。瑠々ちゃんの回復を促すために彼女の内面に潜ったら、あんたの声が聞こえてきたのよ。駄々漏れでね」

 そういうことか! 

「そんなことより、急がないと、でしょ? 雷くんの応援に行かなきゃ」

「あ、ああ、そうだな――って、おまえも行く気か!」

「当ったり前じゃない。雷くんがいる場所だってわかんないんでしょ?」

 それもそうだが。

「莉加さーん!」

 呼ばれて、すかさず駆けつけてきた莉加に、りつこはお願いする。

「車の運転頼むわ。出動よ!」

 りつこはすっかりノリノリである。

 莉加は鋼刃と目を合わすと、やれやれといった風にひょいと肩をすくめた。

 玄関にはすでに千景が待機していて、右肩後方に立つと、火打石で切り火をしてくれた。

「おい。けっこう簡単に送り出しちゃうんだな? 心配にならないのか?」

「うん。絶対に平気。あたしはあと数日は死なないってわかっているから」

 それは聞き捨てならぬ科白だ。

「どういう意味だ?」

「いいのよ、そんなことは。さ、早く行きましょ」



 莉加が回してきてくれた車に乗り込むと、りつこは改めて鋼刃に言った。

「瑠々ちゃんの傷のことは安心して。早ければ明日には綺麗になるから」

 そんなにりつこの祈りの力ってすごいのか? と鋼刃は感心してしまう。

「嫁入り前だもんね。誰の嫁になるのか知らないけど」

 棘のある物言いに身をすぼめた。

「妬いちゃったよ。あたしなんか入る余地ないじゃんって」

 今、そんなこと言われても……莉加さんにも丸聞こえだし。

「おまえのことは絶対に守る――だって。あーあ、あたしにもそういうこと言ってくれる人現れないかなぁ」 

 窓の外を見つめながら小さな声でつぶやくりつこにおどろおどろしいものを感じた。今は下手に刺激しない方がいいととぼけていたら

「なんとか言いなさいよ! もう! 鈍い男なんだから!」

と、一方的に捲し立てられ、鋼刃はおろおろするばかりだ。

 莉加がくすりと笑って、ミラー越しに二人に呼びかけてきた。

「喧嘩してる場合じゃないですよ。ほんとにお二人、仲がいいんですから。りつこ様? 妬けるのは私の方ですよ」

「り、莉加さん、き、聞いてたの? いやぁ」

「当たり前じゃないですかぁ」

「ほら。あんたも何か言いなさいよ!」

(なんなんだよ、こいつ)

 肩を小突いてくるりつこをあしらいながら、ここは莉加さんに助けられたなと感謝する鋼刃だった。

   

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