第32話 静かなる予感
あれから3か月が過ぎた。
京都の冬は寒いけど、雪が積もるようなことはほとんどない。なのに今年はもう2回も雪が降った。まだ12月中旬だというのに。
「猫はコタツで丸くなる」というけど、ちくは、降って来る雪をじっと見つめて、突然飛び上がって両手で捕まえようとするのだ。けどもちろん捕まえられるわけもなく、でも何度も何度もあきらめずに飛び上がる。そのうちオレの方が寒くなって、粘るちくを抱きかかえて家に入る。
次の日、うっすらと雪の積もった吉田山に登ってみた。冬枯れの木々の中、雪化粧の京都の街はいつもより静かだ。
ちくは、バッタもトンボもいないのでつまらなそうだったけど、雪の上に残る足跡が面白いのか、あちこち歩き回っていた。そして、コンクリートで作られた中継基地で足を止めて、何もない後ろを振り返った。
その時、ポケットのスマホが震えた。見てみたら大泉さんからのメールだった。
「え、珍しい! ってかメールくれたの初めてじゃん?」
早速中身を読んでみると、
「前略
師走も半ばを過ぎ、何かと慌ただしくなってきたけど、元気にやっていますか」
メールなのに季節の挨拶から始まるところが大泉さんらしい。
内容は、地底湖のドック建設が順調に進んでいること、あの後、三角錐は全く動いておらず、本当に静かに結節点に鎮座している、ことなどが書いてあった。
三角錐が静かに鎮座している、との一文を読んで、正直ほっとした。寒くてケージに入って丸くなっているちくにも教えてあげた。
そして最後の一文を読んで、ちょっとびっくりした!
今度の週末、年内最後の潜航で地底湖まで来るので、ボルデメ・ビューティペアのシフトが終わったら、彼女たちと一緒に、挨拶がてら家まで来たいという!
これは一大事!と、家に帰ってハナちゃんに話したら、オレとちくがお世話になった人たちならばと、
「お昼時をずらしたのは、みなさんが気を使ってくれたのでしょうね。じゃ、美味しいコーヒー淹れて、ライスペーパーでアップルパイでも作ろうかな」
と、快諾してくれた。
滅多に来客などない家なので、ハナちゃんが結構楽しそうにしてくれているのが嬉しかった。
そして約束の土曜日、14時。
ほぼぴったりに大泉さんたちがやってきた。
「こんにちは!」
オレとハナちゃんが挨拶しながら迎えると、大泉さんはいつものようににこやかに、久しぶりだね、と応えてくれた。
そして、大泉さんとビューティペアの後ろから、両手に手土産の酒や惣菜を持った若井さんが、よぉっと言って賑やかに表れた。
「え、若井さんも!」
とオレが驚くと、
「なんだよ、俺が来たら迷惑だったかい?」
「いえいえ、そういうわけじゃなくて、大泉さんのメールにはビューティペアの二人も誘って、とあったので3人だけかな、と思っただけです。むしろ嬉しいです! ちょっと狭くて、古くて、寒いですけど、どうぞ上がってください!」
と言って4人を築70年の町屋に迎え入れた。
ハナちゃんが先頭に立って、奥のリビングに案内する。
「ほぉ、奥に長いねぇ。これがウナギの寝床と言われる所以かぁ」
若井さんが感心しながらきょろきょろしている。
「私も町屋って入るの初めて。なんか京都っぽくていいなぁ」
かけるも感心している。
・・・せっかく褒めてもらったので、ちくを飼うまではネズミが出ていたことは秘密にしておいた。
リビングのテーブルに座りながら、みんなの近況を聞いていると、
ハナちゃんがコーヒーを淹れてくれた。それと、ライスペーパーを使った特製のアップルパイ。
「うわ、いい匂いだ。 でも奥さん、自分たちの飲み物と食べるものは買ってきましたので、どうぞお構いなく!」
一旦キッチンに引っ込んだハナちゃんの背中に若井さんが声を掛ける。
オレは、
「まだ、結婚はしてないんですよ・・・」
と白状すると、
「一緒に住んでるんだから結婚しちゃえばいいのに。女はケジメも嬉しいのよ」
とめぐるに説教された。
賑やかに、聞き覚えのある声がしたからか、ちくがどこからかにゃあんと鳴きながらリビングにやってきた。
「ちくわ~!」
と真っ先に叫んだのはかけるだった。
大泉さんに若井さん、そしてめぐるにも頭をなでなでされる様子を見て、
「へぇ、ちく大人気じゃん」
とハナちゃんが感心していた。
「まぁ、この人たちと活躍したのはちくだからね」
「そんなことはないよ。八瀬君にもだいぶ助けてもらった」
さすが、大泉さんは大人のさりげないフォローが板についている。
「ところで、今日は何かお話があるんですよね?」
とオレが切り込むと、
「ん? いや特にないよ。かけるとめぐるのシフト交代と、我々の業務の終わりが一緒の時間だったので、八瀬君に挨拶でも行くかってなってね」
と大泉さん。
「その後はね、京都観光!」
楽しそうにめぐるが言う。
「え、それだけ? 本当に?」
「たまには仕事抜きでもいいだろ」
と、アップルパイを口に運びながら若井さんが言った。
「もちろんですよ! オフのみなさんを見るのは初めてなので、ちょっと新鮮です」
「ビューティペアの賑やかさは仕事中でも変わらないけどね」
と若井さんがちゃちゃを入れたら、二人から睨まれていた。
***
「いいか八瀬、これは「かみかぜ」の極秘事項だからな」
夕方になって、お土産に持ってきてくれたはずのお酒を自分で飲んで、少し酔いの回った若井さんが、コップの焼酎を煽りながら声を潜める。
「実はあの日……ちくわが三角錐の中に入った時、ボルデメのソナーが『ありえないもの』を拾ったんだ」
「ありえないもの?」
オレが聞き返すと、かけるがタブレットを差し出してきた。そこには、あの日見た「かみかぜ」の音紋と、それによく似た、別の波形が並んでいた。
「あの日、「かみかぜ」は水面に浮上してた。なのにソナーは、地底湖のもっと下……地図にも載っていない深層地下水脈を移動する、何かの音を記録したの」
めぐるが続ける。
「そいつは京都を抜けて、今も日本列島の地下を網の目のように流れる水路を、どこかに向かって移動し続けている。……まるで、意志を持っているかのようにね」
その言葉に、背筋が少し寒くなった。
「舞鶴海戦で米軍が東亜の最新鋭の周級原潜を鹵獲したのを覚えてるかい?」
大泉さんが割って入る。
「えぇ、覚えてます」
「沖縄に曳航して、日米の共同チームで周級を隅から隅まで調べてやった。そしたら・・・」
そこまで言って、大泉さんは口をつぐみ、若井さんやかける達を見る。
若井さんが、話してやれよ、という感じで頷く。
「・・・そしたら、ソナー室の奥に不自然な生命維持カプセルを発見した。カプセルの中には、神経に電極を繋がれた・・・猫が、人工冬眠に近い状態で収容されていた。米軍の技術者たちは最初、それが何なのか理解できなかったが、カプセルのインターフェースが潜水艦の火器管制システムとソナーに直結しているのを見て、凍りついていたよ。その場で乗組員を問いただしたら、かの国では、猫のひげや三半規管には、潜水艦のソナーが拾いきれない低周波振動を物理的に感知できるという研究結果があるらしく、生体ソナーとして利用できないか、その実証実験をしようとしていたらしい」
そこまで話したとき、大人しく大泉さんに頭をなでられていたちくが、初めて聞くような鋭い声で「シャーッ!」と窓の外に向かって威嚇した。耳を後ろに伏せ、その視線は、冬の空の下に広がる京都の街の、さらに底へと向けられている。
「ちくわが怒ってる」
めぐるが言う。
「あぁ、犬派のオレでさえ、その報告を聞いた時は怒りで手が震えたよ」
若井さんがテーブルの上で手を握りしめながら言った。
そして猫大好きのハナちゃんまで、
「許せない!」
と鼻の穴を広げて怒りをあらわにした。
「生きている動物まで、兵器に・・・」
オレは、許せないとか悲しいとかじゃなく、どう表現したらいいのかわからない感情にとらわれた。
そんなオレを見て大泉さんが続けた。
「我々は、このことをすでに国連に報告済みだ。米軍からも公式ラインで猛烈な抗議を東亜に伝えてある。彼らがどう反応するかはわからないが、こんなことは絶対に許されてはならない!」
大泉さんはテーブルにこぶしを打ち付けた。
どんっという音でハッと我に返ったように、
「あぁ、すまない。話すべきかどうか迷ったんだが、八瀬君とちくわちゃんには伝えておくべきかと思ったので」
「話してくれたありがとうございます。・・・実はオレからも一つお話しておきたいことが、あります」
みんなの視線が集中する。
「さっきのかけるさんの話と関係あるかどうかわかりませんけど・・・」
と言ってオレは、ちくが最近、水の音に一拍遅れて反応するようになったことを話した。
大泉さんは、
「それはちくわちゃんが、その「地下を移動する何か」の音を追っているからじゃないかな」
と言った。
「またいつか、八瀬とちくわの力を借りることになるかもしれないな」
その時は頼むぜ、的な感じで若井さんがオレにグラスをかざした。
「東亜の動きといい、深層地下水脈の件といい、「かみかぜ」もボルデメもますます忙しくなりそうだよ」
大泉さんはそこまでいうと、はっとしたように、
「すまないね、せっかくの休日にやってきて、こんな話ばかりで」
と、その話はそこで打ち切った。
そんなところで打ち切られても気になって仕方なかったけど、その後4人は、オレとハナちゃんの出会いを聞きたがったり、ちくわとじゃれたりしながら、楽しそうに過ごしてくれた。
帰り際、
「こんな楽しいオフは久しぶりだった、八瀬君、ハナさん、ありがとう!」
とめぐるが言ってくれたのが嬉しかった。
4人の背中を見送っていたら、
「今度潜水艦乗る時は、私も連れて行きなさいよ!」
とハナちゃんに肘で脇腹を小突かれた。
***
翌日。
晴れてはいるけど、気温の上がらない冷たい日曜日。
寒いのに、ちくは縁側で吉田山の方角を見上げて丸くなっている。
時々耳がぴくぴくするのは、朝ごはんの缶詰を開けた音に反応しているのか、掃除しながら家の中を走り回るハナちゃんの音に反応しているのか、それとも・・・。
そんなちくを見て、オレは、
「また何か始まるのかな・・・」
と言って「特調謹製・猫用高密度栄養食」の蓋をそっと閉めた。
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