『クララと緑契門の戦士』

花木次郎

第1話 クララの気配 

 夕暮れの風が屋根瓦を鳴らし、畦道に溜まった煙だけが、ぽつりと白く浮かんでいた。

 不意に広がるその煙は、季節も天気も関係なく現れる。達也はもう慣れていたが、今日は違う“気配”があった。

 煙が、脈を打つように揺れている。

 ベランダに出た大輔は、その異変を見逃さなかった。

「……誰?」

「クララ」

「君はクララなの?」

 名を呼ぶと、煙がひときわ震え、空気が静かに沈む。

 次の瞬間、背後で“人の気配のようなもの”が固まった。

 振り返る。

 そこには――少女が“像として”立っているように見えた。

 しかし実体はない。輪郭は揺れ、透き通った光がその中身を空へ溶かしていく。

 陽炎の影のようであり、煙に刻まれた残像のようでもあった。

 それでも、達也にはわかった。

 クララ。

 異世界から、この煙を通してだけ姿を結ぶ少女。

 彼女はまだこちら側に来られない。

 その理由はただ一つ――煙の門が完成していないからだ。

「達也、今日も……“門”の音が聞こえたよ」

 クララの声は、耳元で囁くように鮮明なのに、空気をまったく震わせない。

 彼女は続けた。

「門は半分だけ形になってる。でも、まだ“越えられる道”にはなってないの。

 無理に通ろうとすると……崩れる」

 その言葉に、達也は小さく息をのんだ。

 門はずっと昔、異世界とこちらを繋ぐために作られたという。

 だが完成しなかった。理由も、造った者の名もわからない。

「じゃあ、今日の煙は……」

「門が揺れてる証拠。境界が、不安定なの」

 クララの身体の光が弱まり、輪郭がさらに透明になった。

 彼女の姿が乱れるたびに、煙も細く伸びたり縮んだりを繰り返す。

「……達也、本当はね、もう少しで“触れられる”ところまできたの、でも――」

「無理をしたら、門が崩れるんだろ?」

「うん。私だけじゃなく、達也まで巻き込んじゃう」

 クララは笑おうとしたが、光の揺らぎに紛れて表情は曖昧になった。

「だから、まだ“像”のままで我慢する。でも……それでも話したかったんだよ」

 夕風が吹く。

 だがクララの髪は揺れない。

 そのことだけが、彼女が“こちらには存在していない”という確かな証拠だった。

「また、来るからね。

 達也が呼んでくれたら、門の様子を伝えるからね」

 そう言って、少女の像はふっと薄くなり、風景の中へ溶けて消えた。

 残ったのは、白い煙だけ。

 しかし達也には、確かに聞こえた気がした。

 まだ完成していない門が、遠いどこかで――

軋むように、目覚めようとしている音を。

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