第15話 『模擬戦で事故勝利したら英雄扱いが加速した」』

その日は、ギルドがいつもよりうるさかった。


「今日は模擬戦だぞー!」

「新人も見学だけでも参加しろよ!」


(模擬戦……?

 いやいやいやいや。

 皿洗いの民に戦闘参加を求めないでほしい……)


 そっとカウンター裏に逃げようとしたところで、

 僧侶の女性に見つかった。


「ゆめちゃん。今日はどうするの?」


 相変わらず、柔らかい目をしている。


「む、無理に出なくてもいいですよね……?」


「もちろん。

 無理はしなくていいの。

 ――でも、“見ておく”だけでも、きっと勉強になるわ」


 言いながら、彼女は私の手元を見る。


 昨夜、寝る前にこっそり書いていたメモ――

 勇者の動きや、モンスターの癖を殴り書きしたページが

 少しだけはみ出していた。


「昨日も遅くまで何か書いてたでしょう?

 ちゃんと、頑張ってるの知ってるから」


「っ……」


(見られてた……

 というか、気付かれてた……

 さすが“人の心を見るのが仕事”な人……)


 後ろから、弓使いの女性が顔を出す。


「どうせ勇者様の補佐官なんだし、

 完全に逃げるのもどうかと思うけど?」


(トゲのあるアドバイスありがとうございます)


 さらに、魔術師の女性が腕を組む。


「戦わなくてもいい。

 “見る”のは得意でしょ? あなた」


「私が……?」


「昨日の記録、読むに値したわ。

 観察したものを言語化できる人間は少ないの」


(……そんなふうに、ちゃんと読んでくれてたんだ)


 そのとき、勇者が近づいてきた。


「おはよ」


 空気が、少しだけ明るくなる。


「ゆめ、今日は模擬戦だけど……

 見学でも、出てみても、どっちでもいいぞ。

 無理はしないでいい」


 噂のことなんて一切気にしていない顔。

 相変わらず、世界の騒ぎから一歩外に立っている。


(……逃げたい。

 逃げたいけど……

 昨日、夜までメモ書いてた自分が……

 ここで背中向けたら、ちょっと嫌がりそう)


 私は息を吸った。


「……参加、します。

 戦えなくても……見て、覚えたいので」


 初めて、自分から口に出した“やる側”の言葉だった。


 勇者は、いつも通り軽く笑った。


「そうか。じゃ、頼りにしてる」


(そういう軽い一言が……

 いちいち心に刺さるんだよ……)


 



 模擬戦は、ギルド裏の訓練場で行われた。


 円形の広場に、冒険者たちが集まる。


「ゆめちゃんは、私とペアね」


 僧侶の女性が隣に立つ。


「攻撃しなくていい。

 私の後ろで、相手を見てて。

 気付いたことがあったら、なんでも言って」


「……そんなので、いいんですか?」


「“そんなの”じゃないわ。

 目は武器よ」


 魔術師が横から補足する。


「とくにあなたのはね」


(……そこまで言われると、逆に怖いんだけど)


 相手は、

 大柄な戦士と、軽装の短剣使い。


 弓使いは観客席側に回って、さっそく周囲にしゃべっている。


「ゆめちゃん、今日デビュー戦だから!

 見逃さないでよ!」


(何のデビュー戦??)


 



「始め!」


 合図とともに、短剣使いが前に出た。


 その一歩目を見た瞬間、

 昨日のメモの一部が頭の中でめくれる。


(あ……

 この人、酒場の扉を開けるときも、

 いつも右に寄ってた……)


 右足から踏み出し、必ず右へずれる癖。

 皿を運ぶ時、

 人の流れを避けるために無意識に見ていた“動きの癖”。


「僧侶さん! あの人、右に逃げる癖があります!」


「右?」


「さっきも、最初の一歩が右に強かったです……!」


 僧侶は迷わず、右側に小さな光の壁を張る。


短剣使い「わっ――!?」


 完全には防げなかったけど、

 短剣使いの動きがそこで一瞬止まる。


「今!」


 僧侶の杖から光が走り、

 短剣使いはよろめいた。


(……当たった……?

 少なくとも、完全な空振りではなかった……)


 一方、戦士の方はというと――


 重い足音で、まっすぐ突っ込んでくる。


(この人は……

 昨日、カウンターで足をさすってた……

 左膝が、少し悪い……?)


「戦士さん、左足をかばってるかもしれません!」


 そう伝えたものの、

 戦士は予想以上に力任せで突っ込んできた。


「くっ……!」


 僧侶も光の床を滑らせてみるが、

 戦士は少し体勢を崩しただけで、踏みとどまってしまう。


(うわ……強い……

 私の読み、半分くらいしか当たってない……)


「ごめんなさい、僧侶さん、外しました……」


「――ううん。半分、当たってたわ」


 僧侶は汗をぬぐいながら笑う。


「左に重心が偏った瞬間、

 少しだけ魔法が入りやすかった。

 それだけでも十分助かったの」


 実際、

 戦士は体勢を崩した隙を突かれて、

 ギリギリのところで僧侶の光に押し戻され、

 そのまま引き分けの合図が出た。


「……引き分けにしておこう!

 どっちもよくやった!」


(勝ち、ではないんだ……

 でも、完全な負けでもない……)


 



 訓練場の外から、野次馬たちの声が飛んでくる。


「今の見たか? 黒髪の英雄、指示出してたぞ」

「右だ左だって、なんかそれっぽかったな」

「観察だけで引き分けに持ち込むとか、なかなかやる」


(いや“英雄”じゃないんだけど……

 “右です左です皿です泡です”って言ってただけなんだけど……)


 僧侶が、息を整えながら言った。


「ゆめちゃん。

 あなたの言葉がなかったら、

 私はもっと押されてたと思う」


「そ、そんな……

 戦ってたのは僧侶さんなのに……」


「戦ってたのは、二人よ」


 その言い方が、少しだけくすぐったかった。


(……嬉しい。

 けど、“私すごい!”っていう感じじゃなくて……

 “やっと役に立てた”っていう、

 ちょっとだけ静かな嬉しさ)


 



 勇者が、訓練場の端から歩いてきた。


「引き分けか。いい勝負だったな」


「ひ、引き分けですけど……

 私、ただ見てただけで……」


「見てただけ、ってことはないだろ」


 勇者は、ほんの少しだけ首を傾げる。


「短剣のやつ、完全に右に釣られてた。

 戦士も、一瞬だけバランス崩してた。

 俺一人じゃ、たぶん気付けなかったな」


「…………」


「ゆめの観察、助かるよ」


 それだけ。


 “好き”とか、“特別”とか、

 そういう言葉は一つもなかった。


 ただ、

 「助かる」とだけ言われた。


(……それだけで、十分なんだよ……)


 胸の奥が、じんわりと温かくなって、

 同時に、少しだけ怖くなる。


(私の“役に立てた”って感覚……

 ここに、全部寄せちゃいそうで……怖い)


 



 観客席の方では、いつものように弓使いが騒いでいる。


「見た? 僧侶さんとゆめちゃんのコンビ!

 あれ絶対、勇者パーティのサブメンバー枠よ!」


「黒髪の英雄、今度は指揮官ポジか……」

「どんどん肩書き増えていくな」


(肩書きいらない。

 皿洗いと補佐官だけでお腹いっぱいなんだけど)


 魔術師は腕を組みながら、

 少し興味深そうにこちらを見ていた。


「……観察力。

 やっぱり本物ね、あの子」


 重戦士は、肩を回しながら笑う。


「戦闘力はまだまだだけどな。

 でも“頭で殴るタイプ”ってのも悪くない」


(殴らないでほしいけど)


 僧侶は、そっと私の肩に手を置いた。


「無理はしないでね。

 心も体も、すぐ擦り切れちゃうから」


「……はい」


 その一言が、妙に胸に残った。


 



 夕方。

 ギルドの裏道を、一人で歩く。


(……嬉しかった。

 役に立てたのも、認めてもらえたのも。

 でも――)


 胸の中で、

 感情が少しだけ渋滞する。


 嬉しい。

 怖い。

 それから――


「…………」


 ふと、

 何も感じない“穴”が開いたような気がした。


(……あれ。

 さっきまで、あんなにざわざわしてたのに……

 急に静かになった……)


 その静けさが何なのか、

 まだ言葉にはできない。


 ただ一つだけ分かるのは、


(多分これ、

 あんまり“いい静けさ”じゃない)


 ということだけだった。

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