第6話 ホワイト空賊団

  機体に揺られて、かれこれ数時間が経った。あれからは自動飛行で、特にトラブルもなく安定した航行が続いている。


 空の旅は、実に新鮮だった。

 母がよく口にしていた「空からの景色は最高なのよ」という言葉の意味が、今になってようやく分かった気がする。


 窓の外を流れるのは、大小さまざまな空島。群れで飛ぶ野鳥の影、雲が川のようにゆるやかに流れていく。

 少しでもよく見ようと窓を開けて顔を出すと、冷たい空気が頬を刺した。


 その冷たさは、悩みで火照っていた頭をさっと冷まし、ただ空の広さだけを感じさせてくれる。


 ――これほど穏やかな時間が旅だというなら、僕たちの出発は随分と慌ただしいものだったな、としみじみ思う。


 気持ちが落ち着いたところで、空船の内部を歩いて回ることにした。


 操縦席のあるコックピットには、飛行計器・エンジン計器・航法計器など、見たことのない基盤がずらりと並んでいる。操縦席は三つほどあったが、これをほぼ一人で扱うシオンの腕前には改めて感心させられる。


 天井の扉を開けて外へ出ると、機銃が備え付けられていた。これは主にリーゼ専用らしい。


 操縦席の後方には通路を挟んで二つの部屋。男子部屋と女子部屋で、女子部屋の扉にはシオンの書いた「男子禁制!!」の大きなメモが貼られていた。


 書きたてほやほやの紙からして、僕とアイビーが乗った途端に用意したのだろう。特に僕に向けたメッセージだと思う。


 部屋の隣にはシャワー室とキッチンが並んでいる。スペースはかなり窮屈だが、基本的に入浴や食事は停泊先の空島で行うらしく、ここはあくまで臨時の設備らしい(しかし女性陣は毎日シャワーを使うそうで、ギルは何も言えないらしい)。


 さらに奥へ進むと、分厚い扉があった。ここが船尾で、運送用の倉庫と接続されているという。

 ――“運送業”兼“トレジャーハンター”。思った以上に儲かっているのか、空船は僕が想像していたよりもずっと大きかった。


 日が落ち、リーゼとギルは早々に睡眠へ。

 操縦の見張りはシオンが続け、僕とアイビーはそれぞれ操縦席に座って、違う方向の空を眺めていた。


 「はぁ……いい夜ね。二人とも、そう思わない?」


 黒い夜空に星が川のように瞬く。その光を眺めながら、シオンは物憂げな表情でハンドルを握っていた。

 男子部屋から響くギルのいびきが、微妙に雰囲気を壊していたが、そこはあえて突っ込まなかった。


 あまりにアンニュイな表情を見て、アイビーが小声で「どうしたのあれ?」と耳打ちしてくる。

 確かに普段の生意気な雰囲気は影も形もなく、“いい女感”が漂っていて、僕も最初は戸惑った。


 「あぁ、あれね。まあ、彼女の特性というか……気象読みとしての“性”っていうか」


 「気象読みって何?」


 「そっか、アイビーは知らないか」


 僕はアイビーに、旅の要となる「気象読み」について説明した。シオンには、気象の変化――天候の流れを“感情”として読み取る特別な能力がある。


 「だから、感情がそっちに引っ張られることがあるんだ」


 夜の空気は“落ち着き”が強い。それに加えて、アクアティア(海島)が近いせいか湿度が上がっていて、その“憂鬱感”に気持ちが引っ張られ、こんなアンニュイなシオンができあがっているのだと考えた。


 「へぇ……面白い人ね。でも、それって本人は大変じゃないの?」


 「どうだろう。前に聞いたときは“空気に酔ってる”感じなんだってさ。だから本人は、あまり自覚ないみたいだよ」


 「自覚ないの……え? 運転中に意識ないのって、まずくない?」


 確かにまずい。僕は慌ててシオンの肩を揺さぶった。


 長時間の見張りで疲れていたのか、ほぼ寝かけていて、僕の呼びかけに「あぅあぅあぅ……」と訳のわからない返事を返す。


 「はっ! こ、ここは……どこ?」


 「おはようシオン」


 状況を理解した途端、シオンは真っ赤になって顔を背けた。


 「わ、私……なにか変なこと言ってなかった?」


 「「いや……なにも」」


 僕とアイビーは息ぴったりに即答した。

 だが、口元の笑いを隠しきれなかったのがまずかったらしい。

 シオンは護身用にリーゼから持たされている銃を、信じられない速さで抜いた。


 熟練のガンマンのような動きに、僕は慌てて両手を振る。


 「ちょ、待ってシオン!? 本気で危ないって!」


 「忘れなさい!! 早く!! 今すぐにーー!!」


 顔面から蒸気が出そうなほど真っ赤になって叫ぶシオン。

 その横で、アイビーは声を上げて笑っていた。


 ……楽しそうで何よりだが、シオンに額へゴリゴリ押しつけられている銃口が、本気で痛い。

 “助けて”と目で訴えてみたが、アイビーには全く伝わらなかった。


 その時だった。

 レーダーの閃光とけたたましいアラームが、空船の穏やかな空気を一瞬で吹き飛ばした。


 「「「!?」」」


 右前方、巨大雲の縁――そこに「四つの光」が映っている。

 一つは異様に大きく、残り三つはそれを囲むように三角形を描いていた。


 「馬鹿な……ホワイト空賊団!? なんでこんな端の空域に……」


 シオンが奥歯を噛みしめる音がはっきり聞こえた。

 汗ばむ額、白くなる拳。それだけで事態の異常さが分かる。


 僕も噂では聞いたことがある。

 街ひとつを陥落させるという、空賊の頂点――“絶望のトライアングル”。


 「何があったの!?」


 リーゼとギルが飛び出してきて、シオンの前に駆け寄る。


 「ホワイト空賊団で間違いないわ。あの三角の配置……あれは艦隊の編成の形よ」


 「中央の本艦を三隻で囲む……空で出会ったら最後ってやつだな」


 ギルの声が震える。

 リーゼは険しく、余計なことを言わせない表情だった。


 「逃げきれないのか?」


 シオンは航路をずらしつつ、小さく首を振った。


 「もう気づかれてると思う。レーダー精度も速度も、向こうが圧倒的よ」


 空船はあくまで“運ぶ”ための船。

 速度にも安全のための制限があり、海島での水上移動を考慮した特殊な構造。

 武装も最低限のものとなっている。


 対して空賊の船は――基本的に空だけで戦うための“飛行船”。

 最小限の空気抵抗に雲を切り裂く翼、水上を捨てた分、速度も機動力も段違いだ。


 空気がどんどん重くなる中、アイビーがふと呟いた。


 「……じゃあ、なんで撃ってこないの?」


 その言葉が全員を一瞬止めた。


 確かに、そうだ。

 本来ならもう撃沈されている距離だ。


 「理由はわかんないけど……私たちに弾を使う価値もないってこと?」


 リーゼがすぐ判断を下す。


 「なら、今のうちに離れるわよ。シオン、雲に隠れて。アクアティアの到着時刻も計算し直して」


 空船は雲の中へ潜り、死角を縫うように航路が変わった。

 そのせいで予定は半日ほど延びるらしい。


 けれど、僕の胸の奥のざわつきは消えなかった。


 ――なぜ空賊団が、こんな辺境に?


 明確な答えは出ないまま、

 逃げ延びた安堵と疲労に負けて、僕は深い眠りに落ちた。


    ➖➖ホワイト艦隊➖➖


 ソラたちの空船から離れた巨大な雲の奥。

 その白の裂け目から、ホワイト空賊団の艦影がゆっくりと姿を覗かせた。


 空を震わせる低い轟音。

 燃焼ガスの焦げた匂いが風に混じり、雲を切り裂くように巨大な飛行船団が姿を現す。


 “ホワイト艦隊”――統領ホワイト・ハルバードの名を冠した本艦を中心に、三人の幹部が操る中型艦が翼のように並ぶ。

 それぞれの艦の側面にぎっしりと並んだ砲門は、どこからでも撃ち抜くと語る無言の牙だった。


 本艦の船首には、象徴たる巨大な一槍ハルバード

 空を切り裂き、奪い、貫く――空賊団そのものの生き様を写したかのような凶器が、空に影を落としている。


 その中心部、最奥の玉座。

 奪い続けた財の山から生まれた豪奢な椅子は、美しさと同じだけの“恐れ”を湛えていた。


 白髪に白髭、真紅の瞳。

 筋骨の鎧を纏い、玉座に鎮座する男――空賊団・統領ホワイト・ハルバード。

 ギラリと走った眼光だけで、人の膝を折る圧を放つ。


 静かに扉が開き、三人の幹部が玉座の間へ入室する。


 「お久しぶりです、お父様」


 「おお、我が娘よ。それに息子たちも元気そうで何よりだ」


 「「父上こそ、ご健在で安心しました」」


 赤の女王・マゼンタ。

 青の颯剣・シアン。

 黄の豪拳・イエロ。

 ――空賊団の最高戦力にして、世界が恐れる“色”の名だ。


 この日は、ホワイトの呼びかけにより久しぶりに家族が揃った夜だった。


 「せっかくだ。まずは飯にしよう。隣の部屋に用意させてある」


 幹部を前に、ホワイトの声音は統領ではなく父のものになる。


 「お父様、小蝿が一匹、通り道にいるそうですわ」


 「よい。今夜は機嫌がいい。蝿を潰しては飯が不味くなる。放っておけ」


 「承知しました。そう伝えておきます」


 「うむ。話したいことは多い。今夜は長いぞ……」


 穏やかな空気とは裏腹に、その瞬間。

 雲海の向こうから“異質な影”が姿を現した。


 本艦の下部――そこから無数の巨大ワイヤーが垂れ下がっている。

 風に揺れる鎖は、まるで“何か重いもの”を確かに吊っていた名残のように、ぎしり……と微かに軋んだ。


 まるで、子の帰りを待つ母が手を振るように。

 静かで、それゆえ不気味な揺れだった。


 ――そこへ、いったいどれほど“巨大な何か”が戻ってくるのか。

 ソラたちはまだ、想像すらしていなかった。

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