第7話 毒蜘蛛の巣窟

一段落した次の日。フローレンスとニグレスが一度館に戻って休んでいると、屋敷の門を叩く人影が現れた。


ニグレスが扉を開けると、みすぼらしい身なりの数人の村人たちが、恐る恐る顔を覗かせた。


「こちらに……ドラゴン使いの賢者様がおられると聞きまして……」


「お前たちは何者だ? 何の用でここへ来た。」


警戒心を隠さず応じたニグレスに、村人たちは顔を見合わせながら一歩前に出た。


「あの……私たちは、賢者様にお力をお貸しいただきたくて来たのです」


「実は、我が村に数年前から毒蜘蛛の一族が住み着いてしまって……村中に巣を張り、瘴気を撒き散らし、私たちは住む場所を追われてしまいました。」


「これまで何度も王都の魔導士に助けを求めましたが、親玉の魔力があまりに強力で、手が出せずにいるのです。どうか、どうか我らをお救いください……!」


フローレンスとニグレスは顔を見合わせた。

昨日疫病を退治した噂がこんなにも早く近隣に伝わっていたのだ。これ以上目立つ行いをする事は避けたかったが、村人達の必死な願いを無碍にも出来ない。



* * *


フローレンスとニグレスは、目的の村に降り立った。


そこは、以前訪れた疫病の村よりも、はるかに悲惨な有様だった。


辺り一面は濁った霧に覆われ、空気さえもどこか淀んで重たい。作物は枯れ果て、荒れ果てた大地がどこまでも続いている。人の住む土地とは思えない、そんな光景にフローレンスは言葉を失った。


「……ここが、村……なの?」


彼女は呆然とつぶやき、隣に立つニグレスと顔を見合わせた。


「大蜘蛛のやつとは、僕は以前に一度だけ会ったことがあるんだ。」


唐突に口を開いたニグレスに、フローレンスは目を丸くする。


「そうなの?」


「意地汚いやつでね。あちこちの肥沃な土地を食い荒らしては、掠奪を繰り返してる。僕も前から気に入らないと思ってたけど、あいつには手下の子蜘蛛がたくさんいるんだ。……面倒な相手だよ。」


そう言って、ニグレスは鋭く周囲を見渡した後、ひとこと付け加えた。


「いいかい、決して僕から離れないで。」


二人は歩き出し、しばらくすると、荒野の先に人の背丈の半分ほどしかない小柄な魔物たちの姿が見えてきた。ゴブリンのようなそれらは、群れをなして何かを話し合っているようだった。


フローレンスは足を止めて警戒するが、ニグレスはまるで気にも留めず、まっすぐにその群れへと向かっていく。


「小汚い子蜘蛛ども、痛い目を見たくなければ、親玉に会わせろ。」


鋭く言い放つと、子蜘蛛たちは顔に無数の目を持つ不気味な表情で、ニタニタと笑い出した。


「なんだ貴様、生意気な人間め。」


次の瞬間、数匹の子蜘蛛たちがニグレスに飛びかかった。


しかし――


ニグレスが軽く息を吹きかけると、赤い炎が瞬時に巻き起こり、あたりを熱気で包んだ。蜘蛛たちは、言葉通り蜘蛛の子を散らすように、散り散りになって逃げ出す。


「言っただろう?」


炎の名残がまだ漂う中、ニグレスが口元を歪めて言った。


「俺は気が短いんだ。命が惜しければ、親玉を出せ。」


彼の真紅の瞳が妖しく光った。その威圧感に、怯えた子蜘蛛たちは腰を抜かしたように一歩、また一歩と後ずさると、そのまま踵を返して一目散に逃げ出していった。


「……きっと親玉を呼びに行ったんだろう。」


そう呟いたニグレスは、先ほどの威圧感が嘘のように穏やかにフローレンスを振り返った。


「さあ、行こう。あいつらを追えば、親玉に会えるはずさ。」


その言葉に、フローレンスは静かにうなずいた。


二人は、蜘蛛の巣食う村の奥深くへと歩を進めていった――。


フローレンスたちは蜘蛛たちの後を追い、やがて彼らが逃げ込んだ大きな洞穴にたどり着いた。


二人は恐る恐るその洞窟の中へと足を踏み入れる。


中は暗く、細く曲がりくねった通路が続いていたが、しばらく進むと視界がぱっと開け、広大な空間が現れた。


そこは湿った空気が立ち込め、どこか粘つくような気配が漂う。奥には、先ほどの子蜘蛛たちとは比べ物にならないほど巨大な魔物が鎮座していた。


人の背丈の三倍はあろうかというその大蜘蛛は、石の台座にどっしりと腰を下ろし、無数の脚をゆらゆらと揺らしている。



フローレンスは息を呑み、勇気を振り絞って一歩前に出た。


「蜘蛛の親玉よ。村人たちを苦しめるのは、もうやめてください!

 ここは、もともと彼らの土地。今すぐここを出て、別の住みよい場所を探すのです!」


その声に、大蜘蛛は不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「また小癪な魔導士がやってきたな……何度言われようと、我はここを離れぬぞ」


ぬらりとした声で大蜘蛛が応じる。


「ここは程よく湿っていて、日当たりも悪い。我らにとっては最高の棲み処なのだ。往生際の悪い村人どもが作物を植えに戻ってくるたび、食糧が手に入ってありがたいくらいだ。わかったら、とっとと失せろ!」



その高圧的な物言いに、ニグレスが一歩前に出る。


「我が主人の言うことを聞いたほうが、身のためだぞ」


その声音は低く、静かだが、背後に圧倒的な力を感じさせた。


「さもなくば、今ここでお前を丸焼きにしてやる」


「なんだ貴様。この魔導士の使い魔か?」


大蜘蛛が嘲るように返す。


「我に逆らうとは、いい度胸だな」


だが、ニグレスは怯まない。


「大蜘蛛よ、忘れたのか?」


紅の瞳を細め、静かに言い放った。


「俺は以前にもお前に会っただろう。そのときも、こうして人々の土地を荒らしていたな。あのとき言ったはずだ、“二度と悪事を働くな”と」


その言葉に、大蜘蛛がわずかに動揺する。


「お前……何者だ……?」


ニグレスは鼻で笑い、片手を天に掲げた。



すると――


洞窟の中に突風が巻き起こり、ニグレスの身体が黒い光に包まれる。


次の瞬間、彼は洞窟の天井に届かんばかりの巨大な黒竜へと姿を変えた。


「き、貴様は……あのときの……!」


大蜘蛛が叫び、後ずさろうとする。


だが、すでに遅かった。


ニグレスは大蜘蛛の退路を塞ぎ、振り向いてフローレンスに合図を送る。


 


「――我が僕である黒竜ニグレスへ命じる!」


フローレンスが、凛とした声で叫んだ。


「《紅蓮の炎フラミューム》よ、魔物を焼き払え!」


 


ニグレスが大きく口を開け、咆哮とともに紅蓮の炎を吐き出す。


それはまるで炎の渦――洞窟中に燃え広がり、逃げ惑う子蜘蛛たちを一瞬で焼き尽くした。


フローレンスにも爆風が迫るが、彼女はニグレスの主。自身が発した魔法の一撃によって傷を負うことはない。


「ぐあああああっ!」


大蜘蛛が怒り狂って地団駄を踏む。



だが――


虫系の魔物である大蜘蛛にとって、火は天敵だ。まともに立ち向かえるはずがない。


追い詰められ、逃げ惑うばかりだった大蜘蛛は、勝ち目のないニグレスに対し、あろうことか足元に隠れていたフローレンスに狙いを定めた。


 


「いたっ!」


突然襲いかかって来た大蜘蛛に、フローレンスの叫びが響く。

大蜘蛛の鋭い牙が、彼女の腕をかすめたのだ。

彼女はそのまま地面に倒れ込む。


「フローレンス!」


ニグレスが咆哮し、すかさず次の炎撃を浴びせる。

大蜘蛛は炎をまともに受け、丸焦げになって消滅した。

手下の子蜘蛛たちも悲鳴を上げながら、文字通り蜘蛛の子を散らすように、洞窟の外へ退散していった。


大蜘蛛を退治したニグレスは人の姿に戻ると、フローレンスのもとへと駆け寄った――。




大蜘蛛に襲われて、フローレンスの右腕に激痛が走った。それは単なる外傷の痛みだけではなかった。


「腕を見せて」


ニグレスはすぐさま人型へと姿を戻し、彼女の元へ駆け寄って、腕の状態を確かめた。


フローレンスの右腕からは血が流れ、牙に掠められた傷口は赤黒く腫れ始めていた。毒蜘蛛の牙には猛毒があり、かすり傷でさえ命取りとなる。


激痛はすでに腕から肩の方へと這い上がっていた。



「まずいな……毒蜘蛛の毒に侵されている。

 ――僕に任せて。じっとしていて」


 

そう言ったニグレスは、迷いなくフローレンスの腕に顔を寄せた。

彼はそのまま傷口に唇を当て、毒を吸い出し始めた。


 

「っ……!」


鋭い痛みが走り、フローレンスは一瞬、声をあげそうになったが、唇を噛んで堪えた。

二グレスは腕の傷を舐め取るように、傷ぐちの毒を吸い出していく。



しばらくしてニグレスは顔を上げると、自らの衣服の端を裂き、それを包帯のようにして丁寧にフローレンスの傷口に巻いた。



「――これでいいはずだ」


「ありがとう……助かったわ」



包帯にくるまれた腕をそっと抱えながら、フローレンスは痛みが和らいだのを感じていた。


まだ少し熱はあるものの、あの鋭い痛みはもうない。

フローレンスは安堵したように、じっと腕を見つめた。

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