第2話 奪われた魔宝石

その日、フローレンスは午前の授業を終えたあと、一人で中庭のベンチに座っていた。

 学期末の試験が近づき、光魔法の実技や呪文の筆記テストの勉強に追われ、すっかり疲れ切っていた。


「……はあ」


 誰にも聞かれないように、そっとため息をついた、その時だった。


「フローレンス、ごきげんよう。

 良い天気ね」


 不意に現れたのは、同じ魔法学園の生徒――ヴィオレッタ・ド・ヴィスコンティ。

 いつも闇属性の取り巻きに囲まれ、堂々とした雰囲気を纏う人気者だ。


「ヴィオレッタ!? こんにちは。

 一体どうしたの?」


 普段はほとんど言葉を交わすことすらない彼女に声をかけられ、フローレンスは飛び上がりそうになった。


「たまたま通りかかっただけよ。

 あなたがため息をついていたのが目に入ったから」


「心配かけてしまって、ごめんなさい。

 でも、大したことではないの」


「女の子がこんなところで一人で悩んでるなんて……

 考えられるとしたら、恋のお悩みかしら?」


「……どうして分かったの?」


 ヴィオレッタはまるで読心術でも使ったかのように、フローレンスの悩みをぴたりと言い当てた。


「女の子の心情を察するのは得意なのよ」

 そう言って、ヴィオレッタは自信たっぷりに胸を張った。


「でも……私なんかじゃ、相手にならないわ。

 あの人は完璧なお方なんですもの」


 フローレンスは目を伏せた。

 ただのしがない魔導士見習いの自分には、到底釣り合わない――。


「そうかしら?」


「ヴィオレッタ、私はあなたが羨ましいわ。

 あなたは美人だし、みんなに人気があるし、それに魔術の才能にも恵まれているもの」


「そうでもないわよ。私には私の大変さがあるの」


 比べるものではないのよ――そう言って、ヴィオレッタは意味深に微笑んだ。


「でも、そうね。

 実は私も、フローレンスが羨ましいと思うことがあるのよ」


「え……どうして?」


「ちょっとね、今込み入った事情があるの。

 いっそ、あなたと変わってしまいたいくらい」


「ヴィオレッタ……。

 あなたの言う“事情”がどれほどかは分からないけれど……

 そうね、もし本当に変われたら、きっと楽になれるかも」


「本当に? 私と代わってくれるの?」


 なぜかヴィオレッタは、その言葉に強く反応した。

 まるで、その瞬間を待っていたかのように。


「ええ……あなたみたいに、美しくて強い魔導士見習いになれたら、どんなにいいかしら」


 それは軽い冗談のつもりだった。

 でも、ヴィオレッタは深くうなずいて、こう言った。


「そう言ってもらえて嬉しいわ、フローレンス。

 じゃあ――今度、何かあったら、きっと私を助けてね」


 妖艶な笑みを残し、ヴィオレッタはその場を去っていった。




「思い出した?あなたは自分から、私と代わってほしいって願い出たのよ。」


「まさか……そんなことで……。」


フローレンスはまだ信じられなかった。


「でも、一体どうやって――。」

相手と姿を入れ替える魔法など、フローレンスは授業で聞いたこともなかった。


「この魔法の仕組みについては教えてあげられないわ。でも、簡単に解けるようなものじゃないのだから、変な気は起こさないことね。」


偽フローレンスは冷たく言い放った。


「でも、このままでは私は投獄されて、身に覚えのない罪に問われることになるのよ。

 それは困るわ。ヴィオレッタ、すぐに私を元の姿に戻して!」


「それは無理な相談ね。だって、私が今元の姿に戻ったら、今度は私が罪を負うことになるでしょう?」


「まさか……そのために私と姿を入れ替えたの?

 私に罪をなすりつけるために?」


「察しがいいわね。ちょっと込み入った事情があったのよ。

 でも、あなたがいてくれて助かったわ。それに――。」



そう言って、偽フローレンスはゆっくりと自分の手を掲げ、手首にぶら下がる小さなブレスレットのようなアクセサリーを見せた。


ブレスレットの先には、チェーンでつながれた小指の先ほどの大きさの宝石が揺れていた。透き通った金色の輝きを放つそれは、まさにフローレンスがいつも肌身離さず身につけていたものだった。


魔導士見習いたちは、自分の魔力を示すために、ひとり一つずつこうした宝石――魔法石チャームを身につけている。魔法石チャームはひとつとして同じものがなく、色や形、大きさが個人ごとに異なる。


色は魔法の属性を、そしてその深さや透明度は魔力の質や強さを表す。透き通って濃い色ほど、強い魔力の持ち主とされ、逆に濁ったり薄いものは弱いとされる。また、サイズも大きいほど魔力の蓄積が大きい証だ。


今、偽フローレンスが掲げる魔宝石は、間違いなくフローレンスが持っていたものであったが、以前と様子が違っていた。


色はより濃く、はっきりとした黄金色に変わっており、サイズも小指の爪ほどだったのが、今やコインほどにまで大きくなっていた。


「それは……私の魔法石チャーム……でも、どうして姿が変わってしまっているの?」


「何か気づかない? あなた、自分が今身につけている魔法石チャームを見てごらんなさい。」

ヴィオレッタはくすくすと笑いながら、今のフローレンスが身につけているチャームを指差した。


「これが……一体どうしたというの?」


フローレンスは、ヴィオレッタがもともとどんな魔法石を持っていたか知らなかった。しかし、今自分が身につけているそれは、明らかに貧弱なものだった。


粗末なチェーンに留め具もない。先には小さな石がぶら下がっており、かすかに紫がかってはいるが、どちらかといえば黒ずんだ灰色に近い。とても“美しい”とは言い難い代物だった。


試しに、フローレンスはこの魔法石を使って呪文を唱えた。


開示リビエラ(我がステータスを示せ)」


手のひらを上に掲げ、呪文を唱えると、小さな魔法陣が浮かび上がった。その上には、いくつかの文字と数字が浮かび上がる。


そこに示された内容を見て、フローレンスは絶句した。


「そんな……まさか。ヴィオレッタ、こんなのあり得ないわ。

 あなたは以前の私より、ずっと魔力が強かったはずでしょう?」


魔宝石に表示されたステータスは、まるで一般人並。魔導士とは到底思えないほど、魔力の数値が低かったのだ。


「もちろん、もともと私の魔宝石には、もっと多くの魔力が宿っていたわ。

 でも、それはもうあなたには必要のないものでしょう?」


偽フローレンスは、悪意に満ちた笑みを浮かべた。


「あなたは今、“反逆罪”として拘束されているの。よくて辺境送り、悪ければ投獄されるでしょうね。もちろん、魔導士としての資格も剥奪される。だったら、もうその魔宝石はあなたには不要よ。私がありがたく頂いたの。」


そう言って、偽フローレンスは自慢げに、かつてフローレンスが身につけていた黄金色の魔宝石を掲げてみせた。


「なんてこと……。」


フローレンスは、言葉を失った。


「あなたの行いは、絶対に許されないわよ。

 取り返しがつかなくなる前に、今すぐ元に戻してちょうだい」


フローレンスは怒りに震え、牢屋の中から奥に立つ偽フローレンスに掴みかかろうともがいたが、手は届かなかった。


「どうかしら、それは明日の異端審問しだいね。

 ちなみに、あなたの大先輩――ラファエル大魔導士も出席される予定よ。」


「ラファエル様が……?」


その名を聞いた瞬間、フローレンスはどきりとした。

ラファエル大魔導士――彼はフローレンスが最も敬愛する光魔導士であり、フローレンスが密かに思いを寄せる存在でもあった。


「そ、それは朗報だわ。彼が来られるなら、あなたの企みはすぐに白日のもとに晒されるでしょう。

 ヴィオレッタ、手を引くなら今のうちよ。」


フローレンスは凛とした声で脅したが、偽フローレンスは笑みを崩さなかった。

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