土地台帳に遺された「禁足地」の調査記録

@tamacco

File No.001「存在しない地番」

 その段ボール箱は、都内のありふれた喫茶店のテーブルには不釣り合いなほど古びていて、カビと湿気を含んだ独特の臭気を放っていた。

 平日の午後二時。店内には談笑する学生やパソコンを広げるビジネスマンがいる。しかし、私の向かいに座る男の周りだけ、まるで空気の層が澱んでいるようだった。

 男の名は水上啓吾(みずかみ・けいご)。四〇代半ばの司法書士だという。

 彼はハンドタオルでしきりに額の汗を拭いながら、目の前の冷めたコーヒーには口もつけず、ただ段ボール箱をじっと見つめていた。


「……先生、これが例の資料ですか」

 私が尋ねると、水上は弾かれたように顔を上げ、訂正するように早口で言った。

「先生はやめてください。私はただの代書屋です。それに、この件に関しては、私はもう……専門家としての職務を放棄しました」

 彼の顔色は悪い。目の下には濃い隈があり、ワイシャツの襟元は緩んでいた。神経質な司法書士というよりは、何かに追い詰められた逃亡者のような風貌だ。

 私はフリーランスのライターをしている。専門は実話怪談や未解決事件のルポルタージュだが、時折、こうした専門職の人間から奇妙な「タレ込み」を受けることがある。法律や科学では割り切れない事象に直面した彼らが、守秘義務と良心の呵責の板挟みになり、私のようないかがわしい職業の人間を頼るのだ。


「中を見ても?」

「ええ、構いません。……ただし、ここでの会話は録音させていただきます。私があなたにこれを譲渡したという証拠を残したいのです」

 水上はポケットからICレコーダーを取り出し、テーブルに置いた。私は頷き、段ボール箱の蓋を開けた。

 中には、無造作に放り込まれたクリアファイルの束と、茶封筒、そして何冊かの古い和綴じの帳簿が入っていた。一番上には、現代的な住宅地図のコピーがある。

「これは?」

「北関東にある、K市の再開発予定地の地図です」

 水上は震える指先で地図を指し示した。

 そこは、かつて繊維産業で栄えた地方都市の一角だ。旧市街地にある商店街を取り壊し、大型のショッピングモールとマンションを建設する計画が進んでいるというニュースは、私も耳にしたことがあった。

「このエリアの権利関係の調査を、私の事務所が請け負いました。地権者は百名以上。相続登記がされていない土地も多く、調査は難航しました。ですが、問題はそんなことじゃなかった」

 水上は地図の一点を指さした。

 商店街の裏手。古い木造住宅が密集するエリアの中に、不自然にぽっかりと空いた空間がある。

「ここです」

「空き地ですか?」

「いいえ。現況は、雑木林と古い土蔵が建っています。しかし、公図上は、ここは『存在しない』ことになっているんです」


 私は眉をひそめた。

 公図とは、法務局に備え付けられている図面のことで、土地の形状や地番を示すものだ。これがないと土地の特定ができない。

「地番がないということですか? 国有地や里道(りどう)の類ではなく?」

「ええ。国有地ならそう記載されます。里道なら赤く塗られるか、無地番として扱われる。でも、ここは違う。周囲の土地の地番は、一〇七、一〇八、一〇九……と続いています。しかし、この土地だけが、パズルのピースが抜け落ちたように、公図の線で囲まれていないんです」

 水上は段ボールから別の資料を取り出した。それは、法務局で取得したという公図の写しだった。

 確かに奇妙だった。

 本来なら隣接する土地同士は境界線一本で接しているはずだ。しかし、一〇八番と一〇九番の土地の間には、不可解な空白がある。まるで、地図を作成する際、そこにインクを落とすのを意図的に避けたかのような、白い穴。

「測量士に現地へ行ってもらいました。公図と現況が食い違うことは、古い土地ではよくある話です。だから最初は、単なる地図作成時のミスだと思いました。明治時代の地租改正の際に書き漏らされたのだろうと」

 水上はそこで言葉を切り、水を飲んだ。喉が鳴る音が聞こえるほど、彼は渇いていた。

「測量士は、現地に入れなかったと言いました」

「入れなかった? 柵か何かで囲まれていたんですか?」

「いいえ。物理的には入れます。ただ、機材が動かなかったそうです。トータルステーションという測量機器が、その土地に向けた途端にエラーを吐く。GPSも受信しない。それだけなら故障で済みますが、彼は……『視線』を感じると言ったんです」

 オカルトめいた話になり、私は身を乗り出した。

「視線?」

「四方八方から、じっと見られている気がする、と。その土地は住宅街の真ん中にあります。周りには古い民家が建っている。でも、どの家も雨戸を閉め切っていて、人の気配がない。なのに、隙間から誰かが見ている気配だけが濃厚にする。彼は気味が悪くなって、逃げ帰ってきました。……その翌日です。彼が、階段から突き落とされたと言って入院したのは」

「誰に突き落とされたんですか」

「誰もいなかったそうです。背中をドン、と押された。でも振り返っても誰もいない。彼は私にこう言いました。『あそこは、測っちゃいけない場所だ』と」


 水上は、段ボールの底から一冊の古びた帳簿を取り出した。

 表紙は黒ずみ、縁はボロボロに崩れている。和紙に墨で書かれた文字は褪せていたが、かろうじて『土地台帳』という文字と、その下に『閲覧禁止』という赤い判子が押されているのが読めた。

「これは?」

「旧土地台帳です。本来、法務局の地下書庫に眠っているはずのものです。……正規の手続きでは閲覧できません。私がコネを使って、担当者を金で買収してコピーさせてもらったものの、原本そのものです。あまりに異様だったので、持ち出してしまった」

 犯罪告白をさらりと言ってのけるほど、彼は切羽詰まっていた。

「見てください。該当する土地のページです」

 開かれたページには、達筆な筆文字で地番や地目、面積が記されていた。

 先ほどの公図では空白だった場所だ。昔は確かに地番が存在していたらしい。

 地番:字牛洗(うしあらい) 四〇四番

 地目:墓地

 そこまではいい。問題は、所有者の欄だった。

 明治、大正、昭和初期と、数年おきに所有者が変わっている。そして、その名前の上から、朱色の墨でバツ印が付けられ、余白に小さく事由が書き込まれていた。


 明治三二年 所有権移転 鈴木某 → 同年 縊死により家督相続

 明治三五年 所有権移転 佐藤某 → 明治三六年 一家離散により国庫帰属

 大正四年 払下 田中某 → 大正五年 井戸ニテ転落死

 昭和一二年 所有権移転 山本某 → 昭和一三年 発狂


 指でなぞっていくと、背筋が寒くなるのが分かった。所有者が定着していない。手に入れた者が、次々と不幸に見舞われている。

 そして、記録は昭和二〇年で途絶えていた。

 最後の行には、所有者名ではなく、見たこともない奇妙な記述があった。


『昭和二〇年八月一五日 特殊台帳へ移管 以後、登記ヲ凍結ス』


「特殊台帳?」

 私が顔を上げると、水上は青ざめた顔で頷いた。

「私もそんな言葉は聞いたことがありません。戦後の混乱期とはいえ、登記を凍結するなんて法律はない。でも、現実にこの土地は、公図から消され、登記簿も閉鎖され、誰のものでもない土地として七〇年以上放置されてきたんです」

 水上は、声を潜めた。

「依頼主である開発業者は、この土地を『なかったこと』にして開発を進めようとしています。雑木林をそのまま残し、公園として整備するという名目で、誰も立ち入らせないようにして。……ですが、私は見てしまったんです」

「何をです?」

「この台帳の、さらに前のページを。江戸時代の検地帳の写しが挟まっていました。そこには、この土地が『忌地(いみち)』であると書かれていた。そして、こうも書かれていました。『決して掘り起こすべからず。封印が解かれれば、地より厄災溢れ出さん』と」

 水上は自分の腕を抱くようにして震えた。

「工事が始まれば、重機があの土地に入ります。基礎工事のために地面を掘り返すことになる。業者は私の警告を聞き入れませんでした。だから、私は降ります。これ以上関わると、私も『彼ら』の仲間入りをしてしまう気がする」

「彼ら?」

「台帳に名前が載っていた、歴代の所有者たちですよ」


 水上は席を立った。

「その資料は差し上げます。あなたが記事にするなり、小説にするなり、好きにしてください。ただ、一つだけ忠告しておきます。……その土地の『住所』を、声に出して読まないでください」

 そう言い残して、水上啓吾は逃げるように店を出て行った。

 取り残された私は、テーブルの上の段ボール箱を見つめた。

 カビ臭さが、先ほどより強くなっている気がした。

 私はICレコーダーの録音を停止し、クリアファイルの一枚を手に取った。そこには、水上が言っていた測量士の『野帳(フィールドノート)』のコピーがあった。

 現場で書かれたと思われる手書きのメモだ。走り書きで、判読が難しい。

 しかし、赤ボールペンで乱暴に書き殴られた一文だけが、やけに鮮明に目に飛び込んできた。


『みツカっタ』

『ここハだメだ』

『メがあう』


 背後の席で、誰かがコップを落として割る音がした。

 私はビクリと肩を震わせて振り返ったが、店員が破片を片付けている日常的な光景があるだけだった。

 だが、私の心臓の鼓動は早鐘を打っていた。

 直感したのだ。

 これは、手を出してはいけない案件だ。

 しかし、ライターとしての業(ごう)というべきか、私はその段ボール箱の蓋を閉めることができなかった。この箱の中には、現代日本の行政システムが隠蔽し続けてきた、見てはいけない「闇」が詰まっている。

 私は覚悟を決め、資料を自宅へ持ち帰ることにした。

 この時、私はまだ知らなかったのだ。

 水上氏が、この喫茶店を出た直後に行方不明になることを。

 そして、私がこの資料を開いたその夜から、私のマンションの部屋のチャイムが、誰もいないのに鳴り続けることになるということを。


 これから記すのは、私が水上氏から託された膨大な資料と、その後独自に行った調査の記録である。

 K市N町三丁目。

 公図上には存在しない空白地。

 そこに何が埋まっているのか。なぜ、国はそれを隠し続けてきたのか。

 ページをめくる前に、警告しておきたい。

 この記録を読み進めることは、あなた自身もまた、あの土地の「目撃者」になることを意味する。

 どうか、引き返すなら今のうちにしてほしい。


 以下、資料番号〇〇一。

 再開発事業に伴う、初期現地調査報告書および公図写し。


***


【資料No.001:K市N地区再開発に係る現地概況調査報告書(抜粋)】


作成日:令和〇年五月一四日

作成者:土地家屋調査士補助者 T

天候:曇り


(前略)

 調査対象地である旧商店街エリア(三丁目一〇七番〜一一五番)の境界標確認作業を実施。

 公図との整合性を確認中、一〇八番と一〇九番の間に、公図に記載のない区画を確認。

 現況は鬱蒼とした雑木林であり、周囲はブロック塀等で明確に区画されていない。

 近隣住民(一〇七番居住、七〇代女性)への聞き取りを試みるも、「あそこには関わるな」「所有者はいない」の一点張りで協力拒否。


 特記事項:

 該当区画の中央付近に、木造の祠(ほこら)らしき構造物を目視。

 かなり風化しており、屋根は崩落している。

 祠の周囲に、比較的新しい「塩」が撒かれているのを確認。

 また、地面に半分埋もれる形で、石碑のようなものが倒れていた。

 苔を削り文字を確認したところ、『是ヨリ内……』以降は判読不能。

 測量のため敷地内に足を踏み入れた際、急激な気温の低下と、強烈な腐臭を感じる。

 計器(トータルステーション)の電源が落ちるトラブルが多発したため、本日の作業は中断。


 追記:

 帰宅後、撮影した現場写真を確認したところ、すべてのデータにノイズが入っていた。

 ただ一枚、祠の内部を写したと思われる写真に、白い靄(もや)のようなものが写り込んでいる。

 人の顔に見えなくもないが、現像時のムラだと思われる。

 ……気味が悪いので、データは削除した。

 明日、体調が戻り次第、再調査を行う予定。


(報告書はここで終わっているが、余白に鉛筆で走り書きがある)


『削除したはずの写真が、フォルダに戻っている』

『誰かがこっちを見ている』

『行かなきゃいけない』


***


 これが、一連の資料の最初の記録である。

 調査員T氏は、この報告書を書いた翌日、駅の階段から転落し重傷を負った。

 私はまず、このT氏が入院している病院へ向かうことにした。

 彼が現地で何を見たのか。そして、削除しても戻ってくる写真とはどんなものなのか。

 それを確かめる必要がある。

 土地台帳の謎を解く鍵は、まだ錆びついた扉の向こう側にある。


(第1話 了)

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