辺境の森の錬金術師
お揚げさんとこんにゃく
第1話 追放と辺境の森
グリモワール王国の玉座が置かれた謁見の間は冷たい空気に満ちていた。
高い天井に吊るされた魔晶石のシャンデリアだけが煌々と輝いている。
その光は大理石の床に反射し跪く一人の男の姿を無慈悲に照らし出していた。
男の名はアルフォンス。
宮廷錬金術師の末席に名を連ねる青年である。
彼の目の前にはふんぞり返るように玉座に座る国王がいる。
そしてその傍らに立つ宰相オルダスが軽蔑に満ちた視線をアルフォンスに注いでいた。
「アルフォンスよ。貴様は宮廷錬金術師として長年仕えてきた」
オルダスの声はねっとりと粘り着くような響きを持っていた。
「しかし貴様の成果はどうだ。素材の性質を少し向上させる。金属の純度をわずかに高める。なんと地味でつまらない研究か」
オルダスはわざとらしくため息をついてみせる。
周囲に控える貴族たちからくすくすという嘲笑が漏れた。
アルフォンスはただ黙って床を見つめている。
反論する言葉を持たないわけではない。
彼の研究は騎士団の剣の耐久性を高め魔術師が使う触媒の効率を上げるためのものだ。
国の根幹を支える重要な研究だと自負している。
しかしその重要性を彼らは理解しようとしない。
「それに引き換え我が宮廷魔術師団長ヴォルカ君の功績は輝かしい」
オルダスは隣に立つ長身の男に笑いかける。
ヴォルカは得意げに胸を張った。
「先日も隣国との小競り合いで彼の放った『プロミネンス・バースト』が大隊を焼き払った。これぞ国威発揚。これぞ力だ」
「宰相閣下のお言葉。恐縮の至りです」
ヴォルカはアルフォンスを一瞥し鼻で笑う。
「錬金術などという時代遅れの技術。もはや我が国には不要でしょうな。土くれをこね回すより私の魔法一つの方がよほど国益になる」
その言葉が決定打だった。
オルダスは満足げに頷き国王に向かって芝居がかった仕草で頭を下げる。
「陛下。ご決断を。このような役立たずをこれ以上税金で養う必要はございません」
国王は退屈そうに欠伸を一つした。
「うむ。宰相の言う通りにせよ。面倒なことは嫌いだ」
その一言で全てが決まった。
アルフォンスの追放が。
「アルフォンス。貴様を宮廷錬金術師の職から解き王都からの追放を命じる。行き先は辺境の森だ。魔獣の巣窟ゆえ生きては戻れまい。せいぜい己の無力さを呪うがいい」
オルダスの宣告が謁見の間に響き渡る。
アルフォンスはゆっくりと顔を上げた。
その表情に悲壮感はない。
ただ静かな諦めとほんの少しの安堵が浮かんでいた。
彼は深く頭を下げた。
「御意。長年お世話になりました」
その淡々とした態度が逆にオルダスの神経を逆撫でした。
オルダスは舌打ちし衛兵に命じる。
「つまみ出せ。二度と王城の敷居を跨がせるな」
アルフォンスは衛兵に両脇を抱えられ引きずられるように謁見の間を後にした。
彼の心の中ではもう別の思いが芽生え始めていた。
誰にも縛られない。誰にも評価されない。
そんな自由な生活への小さな期待が。
王城の分厚い門が背後で閉ざされる。
ごうと音を立てて閉まるその響きはアルフォンスの過去との決別を告げるファンファーレのようだった。
衛兵は彼の足元に小さな革袋を一つ投げ捨てる。
中には数日分の食料と水。そして銅貨が数枚。
追放者への最低限の施しというわけだ。
「さっさと行け。この王都がお前の汚れた足で穢れる」
衛兵の罵声を背にアルフォンスは黙って歩き出した。
王都の喧騒が彼を包む。
行き交う人々の活気。露店の呼び声。馬車の立てる音。
それら全てがもはや自分とは無関係な世界の出来事のように感じられた。
彼は自分の手のひらを見つめる。
そこには何もない。
宮廷から与えられた地位も名誉も全てを失った。
だが彼には失っていないものが二つだけあった。
誰にも明かしたことのない生まれつきの加護。
一つは【鑑定】。
あらゆるものの情報を詳細に読み取る力。
もう一つは【アイテムボックス】。
時間の影響を受けない亜空間に無限に物を収納できる力。
宮廷ではこの力を隠していた。
目立てば嫉妬される。利用されるだけだと知っていたからだ。
彼の地味な錬金術の研究もこの鑑定スキルがあったからこそ可能だった。
素材の微細な構造を読み解きその本質を最大限に引き出す。
それが彼の錬金術の神髄だった。
しかし派手さを求める宮廷では全く評価されなかった。
「これで良かったのかもしれない」
アルフォンスは独りごちる。
これからは誰にも遠慮することなくこの力を使える。
自分のためだけに。自分の生きたいように生きるために。
そう思うと追放されたことへの悲しみは不思議と湧いてこなかった。
むしろ心が軽くなっていくのを感じる。
彼はアイテムボックスからこっそり持ち出してきた錬金術道具一式と研究資料を詰め込んだ数冊の本を思い浮かべた。
それさえあればどこでだって生きていける。
王都の門をくぐり抜ける。
振り返ることはしなかった。
目指すは辺境の森。
人々が魔境と呼び恐れる場所。
しかしアルフォンスにとっては新しい人生が始まる希望の地だった。
数日間彼は黙々と歩き続けた。
街道から外れ獣道を進む。
徐々に人の気配は消え、深い緑が世界を覆い尽くしていった。
空気は澄み土の匂いと植物の香りが混じり合って鼻腔をくすぐる。
鳥のさえずりが耳に心地よい。
王都の喧騒とはまるで違う生命の音に満ちた世界だった。
追放されてから初めてアルフォンスは心からの笑みを浮かべた。
目の前に巨大な木々が壁のようにそびえ立つ光景が広がった。
辺境の森の入り口だ。
空を覆うほどの枝葉が陽光を遮り森の内部は昼なお暗い。
不気味な静寂が支配している。
なるほど人々が恐れるのも無理はない。
だがアルフォンスは臆することなく一歩足を踏み入れた。
ひんやりとした空気が肌を撫でる。
踏みしめた地面は長年積もった腐葉土でふかふかとしていた。
「さて。まずは今日の寝床と食料の確保だな」
彼はアイテムボックスの中身を確認する。
王都から持ってきた食料はもうほとんど残っていない。
彼は早速鑑定のスキルを発動させた。
視界に映るあらゆるものに半透明のウィンドウが浮かび上がる。
足元に生えている赤いキノコに意識を集中する。
【ドクベニタケ】
分類:菌類
効果:猛毒。摂取後激しい腹痛と嘔吐を引き起こす。致死率90%。
「うわ。いきなり危ないのが来た」
アルフォンスは苦笑いしながらその隣に生えていた茶色いキノコを鑑定する。
【モリノシメジ】
分類:菌類
効果:食用。栄養価が高い。バターで炒めると絶品。
「こっちは当たりだ」
彼は慎重にモリノシメジだけを採取しアイテムボックスに収納した。
これが鑑定スキルの真価だ。
森の知識がなくとも安全な食料を確実に見つけ出すことができる。
彼はさらに周囲を見渡した。
地面に落ちている木の枝。
【オークの枝】
分類:木材
特徴:硬く燃えやすい。薪に最適。
足元に生えている何の変哲もない草。
【いやし草】
分類:薬草
効果:傷口にすり込むと止血効果がある。ポーションの材料になる。
「すごい。ここは宝の山じゃないか」
アルフォンスの目は探究心に輝いていた。
宮廷では手に入らなかった希少な素材がそこら中に無造作に転がっている。
彼の錬金術師としての血が騒いだ。
夢中で素材を採取しながら彼は森の奥へと進んでいく。
どれくらい歩いただろうか。
ざあざあという水の音が聞こえてきた。
音のする方へ向かうと視界が開け陽光が差し込む場所に出た。
そこには澄んだ水が流れる美しい小川があった。
水面にキラキラと光が反射している。
川辺には平らな地面が広がっており拠点を作るには絶好の場所だった。
「よし。ここにしよう」
アルフォンスは即決した。
生活に水は不可欠だ。
この場所なら食料と水の確保が同時にできる。
彼はアイテムボックスから手斧を取り出した。
宮廷から持ち出した数少ない私物の一つだ。
まずは簡単な寝床を作る必要がある。
風雨を凌げるだけの小さなシェルターでいい。
彼は手頃な太さの木を見つけると力いっぱい斧を振り下ろした。
カン。カン。
静かな森に小気味の良い音が響き渡る。
額に汗が滲み、腕がだるくなってくる。
宮廷ではしたことのない肉体労働だ。
しかし彼の心は不思議なほど晴れやかだった。
誰かに命令されるわけではない。
自分のために自分の力で自分の居場所を作る。
その実感が彼を奮い立たせた。
日が傾き始め森が茜色に染まる頃。
アルフォンスはようやく作業を終えた。
完成したのは数本の丸太を組み合わせ木の葉と土で屋根を葺いただけの粗末な小屋だ。
お世辞にも家とは呼べない代物だが彼にとっては記念すべき最初の城だった。
彼は小屋の前に座り込み深く息をついた。
心地よい疲労感が全身を包む。
アイテムボックスから採取したモリノシメジと携帯食料の干し肉を取り出す。
火打石で火を起こしフライパンで手早く炒めた。
じゅうという音とともに香ばしい匂いが立ち上る。
空腹だった腹がぐうと鳴った。
彼は出来立てのキノコ炒めを頬張る。
「……うまい」
思わず声が漏れた。
特別な調味料を使ったわけではない。
ただ塩を振っただけだ。
しかし自分で苦労して見つけ自分で調理した食事は宮廷で食べたどんな豪華な料理よりも美味しく感じられた。
彼は小川の水を両手ですくって飲む。
ひんやりとした水が喉を潤し体の火照りを冷ましてくれた。
夜の帳が下り森は闇に包まれる。
満天の星空が木の葉の隙間から覗いていた。
魔獣の遠吠えが聞こえる。
風が木々を揺らす音が何かの息遣いのようにも聞こえる。
少し不安はある。
しかしそれ以上にこれから始まる新しい生活への期待感が勝っていた。
追放された錬金術師。
役立たずの烙印を押された男。
そんなものはもう過去の話だ。
ここは誰にも邪魔されない彼だけの王国だ。
「ここからだ。僕だけの自由な生活が始まる」
アルフォンスは星空を見上げ静かに呟いた。
その目は希望の光に満ち溢れていた。
辺境の森で始まる彼の物語はまだ始まったばかりだった。
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