S区警察 事故死と失踪の関連調書
@tamacco
第1話:資料番号01『区道302号線における単独事故実況見分調書』
【閲覧上の注意】
本資料は、東京都S区警察署内における未公開の内部文書である。
本書類には、交通事故の現場検証記録、遺体検分調書の一部、および関係者への聴取記録が含まれる。これらは本来、事案番号202X-893『重過失致死および器物損壊事案』として処理され、すでに完結した案件のものである。
しかし、後述する担当捜査員の「私的メモ」および、事後発覚した別件(家出人捜索願)との整合性に重大な疑義が生じたため、本ファイルは正規の保管庫ではなく、地下資料室の「要再審理・保留箱(通称:ダストシュート)」より回収された。
読み進めるにあたり、記載された住所・氏名等が実在するものと酷似していたとしても、決して現地を訪れてはならない。
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【資料1-1:交通事故実況見分調書(甲)】
作成日時:202X年10月14日
作成者:S区警察署 交通捜査課 巡査部長 飯田 哲也
事故種別:車両単独(自転車)
発生日時:202X年10月13日 午後11時42分頃
発生場所:東京都S区皆神3丁目12番地先 区道302号線(通称:見返り坂)
1.事故概要
本件は、区道302号線を北から南へ進行中の自転車(フードデリバリーサービス従事)が、下り坂において制御不能となり、路肩の電柱(東京電力柱番号:S-3092)に激突。運転者が頭部を強打し、搬送先の病院で死亡が確認された事案である。
2.当事者(甲)
氏名:副島 健二(そえじま けんじ)
住所:東京都S区皆神1丁目 アパート「コーポ皆神」203号室
年齢:24歳
職業:配送業(アルバイト)
3.現場状況
現場は幅員5.5メートルの片側一車線道路。
事故発生地点は、S区内でも有数の急勾配(勾配12%)が続く「見返り坂」の中腹に位置する。
当日は晴天、路面は乾燥状態。街灯の間隔は広いが、視界は概ね良好であった。
現場付近には、ガードレール等の防護柵は設置されていない。
4.事故の経過(推認)
甲は、電動アシスト付き自転車を用いて配送業務中であった。
目撃証言および現場に残された痕跡から、甲は坂道を下る際、何らかの理由でブレーキ操作を行わず、あるいは行えず、加速した状態で直進。
カーブ手前に設置された電柱に、推定時速40キロメートル以上の速度で正面から衝突した。
ヘルメットは着用していたものの、衝撃により破損・脱落しており、前頭骨の陥没骨折が致命傷となった。
5.特記事項
現場路面上に、制動痕(ブレーキ痕)は一切確認されなかった。
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【資料1-2:証拠品検証報告書(車両)】
対象車両:電動アシスト付き自転車(メーカー:Y社製、黒色)
検証担当:S区警察署 交通鑑識係
1.車体状況
フロントフォークが大きく湾曲し、前輪はリム部分から破断。
衝突時の衝撃の凄まじさを物語っている。
2.制動装置(ブレーキ)の検査
後輪ブレーキ:作動確認。異常なし。
前輪ブレーキ:機能不全。
詳細検査の結果、前輪ブレーキワイヤーがレバー接続部付近で完全に断裂していることが判明した。
3.ワイヤー断裂に関する所見
断面をマイクロスコープにて拡大観察した結果、金属疲労特有の「ほつれ」や「サビによる腐食」は見られなかった。
断面は極めて鋭利であり、何らかの刃物、あるいは鋭利な金属片によって、一息に切断された可能性が高い。
ただし、事故の衝突時に車体が破損した際、飛散した部品等と接触して切断された可能性も否定できないため、現時点では「事故の衝撃による破損」として処理することが妥当であると判断する。
(手書きの追記)
※再考の余地あり。ワイヤーの被膜ゴム部分に、ハサミのようなもので挟んだ圧迫痕らしきものを確認。工具痕検査に回すか検討中だが、課長より「早期処理」の指示あり。事故破損として確定させる。
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【資料1-3:重要参考人聴取報告書】
聴取日時:202X年10月14日 午前10時00分
聴取場所:S区警察署 第3取調室
担当官:交通捜査課 巡査部長 飯田 哲也
供述者:田所 義男(72歳・無職・現場近隣住民)
(以下、録音データの反訳)
飯田:では、昨夜の事故について、あなたが目撃した状況を詳しく教えてください。
田所:目撃というか……まあ、見たのは見たんだがね。あんな酷いのは初めてだ。私はいつも通り、犬の散歩をしてたんだよ。タロの散歩だ。時間はだいたい11時半を過ぎたあたりかな。あの坂は、夜になると車も減るし、静かなもんだから。
飯田:あなたは、坂の下から上に向かって歩いていた?
田所:そう。坂を登ってた。そしたら、上の方から凄い勢いで自転車が下りてきたんだ。電動のやつだね。最近よく見る、大きな四角いリュックを背負った兄ちゃんだ。ライトが眩しくてね。
飯田:スピードが出ていたんですね?
田所:出てたなんてもんじゃない。ペダルを漕いではいなかったが、重力に任せて突っ込んできてる感じだった。「危ない!」って叫ぼうとしたよ。でも、変なんだ。
飯田:変、とは?
田所:音だよ。音がしなかった。
飯田:音がしなかった? 自転車の走行音ですか?
田所:いや、ブレーキの音だ。「キーッ」っていう、あの嫌な音だよ。普通、あんなスピードが出たら、怖くなってブレーキを握るだろう? でも、あの自転車は無音だった。風を切る音だけがヒュウヒュウ鳴ってて……。それに、兄ちゃんの様子もおかしくてな。
飯田:被害者の様子ですね。どうおかしかったのですか?
田所:私とすれ違う一瞬前だった。街灯の下を通ったから、顔が見えたんだよ。
兄ちゃん、前を見てなかった。
飯田:前を見ていない? では、どこを見ていたんですか?
田所:後ろだ。
進行方向じゃなくて、自分の背後を振り返りながら走ってたんだよ。あんな猛スピードで坂を下りながら、後ろを気にしてた。
まるで、誰かに追いかけられてるみたいに。
顔は見えたよ。口を大きく開けて、何か叫んでた。でも、声は聞こえなかった。
次の瞬間、私の背後で「グシャッ」ていう、生ゴミを叩きつけたような音がして……。振り返ったら、電柱に張り付くみたいにして倒れてたんだ。
飯田:……なるほど。被害者は後方を気にしていたと。他に、自転車を追いかけるような車両や人物は見ましたか?
田所:いや、見てない。坂の上には誰もいなかった。
でもな、刑事さん。ひとつだけ気になったことがある。
飯田:なんでしょう。
田所:事故の直後だ。私が慌てて駆け寄ろうとした時、兄ちゃんが倒れてる電柱のすぐ横にあるアパート……「メゾン坂上」だったかな。あそこの2階の窓が、少しだけ開いてたんだ。
カーテンの隙間から、誰かが見てた気がする。
飯田:見ていた? 野次馬ですか?
田所:わからん。でも、事故の音を聞いて出てきたんじゃあない。
最初から、そこで待ってたみたいに、じーっと下を見てた。
逆光で顔は見えなかったが、髪の長い女に見えたな。
私が「救急車!」って叫んで、スマホを取り出してる間に、いつの間にか窓は閉まってたよ。電気もついてなかったと思う。
飯田:……そのアパートの部屋番号はわかりますか?
田所:角部屋だったから、たぶん201号室か、その隣か……。まあ、関係ないかもしれんがね。ただ、なんとなく気味が悪かったんだよ。人が死んだっていうのに、微動だにせず見下ろしてる感じがな。
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【資料1-4:周辺防犯カメラ映像解析報告書】
対象:現場より約50メートル坂上、「コンビニエンスストアS区見返り坂店」設置の駐車場カメラ(CAM-03)
解析日時:202X年10月15日
1.映像概要
事故発生の直前、午後11時41分30秒頃の映像を確認。
店舗駐車場および、前の区道302号線が範囲に含まれている。
2.確認事項
午後11時41分42秒、被害者と思われる自転車が画面右(坂上方面)から左(現場方面)へ通過。
速度解析の結果、この時点ですでに時速35キロメートル前後に達している。
目撃証言にあった「後方を確認する動作」はこの映像内でも確認された。
被害者は、進行方向を一度も確認することなく、首をほぼ真後ろに向けた状態で通過している。
3.異状点(要確認)
映像のタイムコード 11:41:44 のコマにおいて、自転車の荷台(デリバリー用バッグ)の上に、不自然なノイズが確認された。
ブロックノイズによる映像乱れと思われるが、黒い塊のようなものが、運転者の肩に覆いかぶさっているように見える。
拡大解析を行ったが、解像度不足のため判別不能。
単なる影、あるいは機材の不具合の可能性が高い。
また、自転車が通過した約10秒後、画面右端(坂上)より、白い服を着た人物が歩いて通過するのが映っている。
歩行速度は極めて遅い。
フードのようなものを被っており、年齢・性別は不詳。
この人物が被害者を追跡していた可能性については、距離が離れすぎているため低いと思われる。
この人物については、その後の足取りを追跡していない。
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【資料1-5:現場写真および補足資料】
添付写真①:事故直後の現場全景
(電柱に衝突し大破した自転車。周囲にはプラスチック片が散乱している。路面には血痕が広がっている)
添付写真②:破損した前輪ブレーキワイヤーの拡大写真
(切断面はスパッときれいに断たれていることがわかる)
添付写真③:被害者の所持品
(スマートフォン、財布、配送中のハンバーガーセット。ハンバーガーは潰れて原形をとどめていない。スマートフォンは画面が割れているが、データ抽出は可能と思われる)
添付写真④:目撃者が証言したアパート「メゾン坂上」の外観
(現場の電柱の真横に建つ、築30年ほどの木造アパート。2階の角部屋の窓が写っている。カーテンは閉ざされている)
捜査員メモ(飯田):
写真④について。
現像した写真を確認中、奇妙な点に気づく。
目撃者の田所氏は「電気もついてなかった」と証言していたが、この写真を高輝度補正すると、2階の窓の内側に、うっすらと赤い光のようなものが写り込んでいるように見える。
室内照明というよりは、録画機器の作動ランプのような小さな点滅光の残像か?
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【資料1-6:捜査終了報告書(草案)】
件名:S区皆神3丁目における交通死亡事故について
宛先:S区警察署長 殿
捜査結果:
被疑者(死亡):副島 健二
罪名:過失運転致死(自損)
上記事案について、捜査の結果を以下の通り報告する。
被害者は業務中の急ぎの運転により、下り坂での速度超過に陥った。
前輪ブレーキワイヤーの断裂が確認されたが、これは衝突時の衝撃、あるいは事前の整備不良による経年劣化が重なったものと推測される。
第三者の介在を示す証拠(接触痕、突き飛ばされた形跡等)は皆無であり、事件性は認められない。
よって、本件は被疑者死亡のまま書類送検し、不起訴処分として処理することを相当と認める。
以上。
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【資料1-7:交通捜査課・飯田巡査部長の私的ボイスメモ】
(このデータは、飯田巡査部長の業務用端末の隠しフォルダから復元されたものである。日付は事故処理完了の3日後となっている)
「……あー、テス、テス。飯田だ。
皆神のチャリ事故、今日で一応ケリがついた。課長は『さっさと判子押して回せ』の一点張りだ。まあ、いつものことだが。
ただ、どうしても引っかかることがあって、これを残しておく。報告書には書けなかったことだ。
被害者のスマホだ。
画面は割れてたが、電源は入った。事故の直前まで、彼は通話をしてたわけじゃない。ナビアプリを開いてただけだ。
でも、バックグラウンドで『ボイスレコーダー』が起動してたんだ。
誤作動かもしれない。ポケットの中で勝手に押されたのかもしれない。
録音時間は、事故の約5分前から、衝突の瞬間まで。
さっき、証拠品保管庫でこっそり聞いたんだが……気味が悪いなんてもんじゃない。
最初の3分は、自転車を漕ぐ息遣いと風の音だけだ。
異変が起きるのは、坂に差し掛かったあたりから。
副島、誰かと喋ってるんだ。
いや、電話じゃない。独り言にしては会話になってる。
『やめろ』
『ついてくるな』
『なんで乗ってるんだよ』
そう言ってる。明らかに、誰かが後ろに乗ってる口ぶりだ。
あの自転車は一人乗りだぞ。しかもデリバリーのバッグを背負ってる。人が乗るスペースなんてない。
でも、録音には微かに入ってるんだ。
風切り音の向こう側で、女の声が。
クスクス笑ってるような、水を啜るような音が。
そして最後、衝突の直前。
副島が『ブレーキが効かねえ!』って絶叫した後、衝突音と同時に録音が切れるんだが……。
その寸前、耳元で囁くような声がはっきり聞こえた。
『つーかまえた』
……俺は、報告書の『事件性なし』の項目に丸をつける時、手が震えたよ。
ワイヤーは切れてたんじゃない。切られたんだ。それも、走行中に。
見えない何かに。
それと、もう一つ。
あの現場のアパート『メゾン坂上』の2階。
目撃者のじいさんが言ってた部屋だ。
気になって調べてみたんだが、あそこは空室だ。半年以上前から誰も住んでいない。
だが、管理会社に問い合わせたら、妙なことを言われた。
『いやあ刑事さん、あそこ、空室のはずなんですけどね。昨日、家賃が振り込まれたんですよ。入居者名義じゃなくて、"S区役所"っていう名義で』
S区役所? 意味がわからん。
そもそも、あのアパートのあの部屋、半年前に失踪した女子高生が最後に目撃された場所じゃなかったか?
生活安全課の牧野に聞いてみるか。あいつ、まだあの『女子高生失踪事件』のファイルを机の奥に隠し持ってたはずだ」
――――――――――――――――――――
【第1話 終了】
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