第4話 朝霧立つ林の中で

 目を覚ますと、テント内の気温が下がり、鼻先の冷たさで目が覚める。僅かに頭痛を覚えつつ、目ヤニで張り付いたように重い瞼を開ければ、薄暗いテントの天井が見える。


「よあけ前……おきよ……」


 ノロノロとした動作で、寝袋から抜け出すと予想より冷え込んだ室内に身震いする。


「ざむい(寒い)……」


 鼻から垂れた鼻水をすすると、身震いしながら着替えを手に取った。


 △△△

 △△△

 

《潅げ》


 昨夜の残りのスープが入った小鍋に水を足し、干飯(ほしい)と潰した乾燥トマトにクルミの実を投げ込み火にかける。


「キュ!」

「あ痛っ……あぁ……はいはい。味付け忘れてた。ありがとね」


 半覚醒状態の頭で、ふつふつと湧き立つ鍋を見つめていると、いつの間に起きたのか、肩によじ登っていたオハギに頬を蹴られ、目が覚める。適当に謝罪の言葉を口にしながら、塩を適当に鍋へ落とすと木杓子でクルクルとかき混ぜる。暫くすると、乾燥トマトがふやけたため、火を落とし、味見をする。


「ん……美味い……」


 相棒用の木椀へ出来立ての洋風粥をよそってやると、肩に乗っていたハズの相棒はいつの間にか移動したのか、木椀のに頭を突っ込み朝食を食べ始めてる。


「……(うまうま!)」

「うまいかー?そうかー。たしかにわるくないねー……」


 △△△

 △△△


 食事を済ましテントをしまい立ち上がれば、足許にはうっすらと霧が立っていた。現在の時刻は5時半、一日で最も気温が下がる時間帯だ。長雨の影響で森全体が水を多く含んでいたため、森の中とは言え朝霧が立っている。


「(この程度で良かった)……魔力濃度は……7……いや8くらいあるな……霧の影響っぽいなぁ……」


 直感的な記録である魔力濃度は、基本的に目安でしかない。一般的に魔力濃度が上昇すると危険生物の活動が活性化するため、危険度が高まる。しかし、霧など自然現象による変化は、周日性の変化であるため時間経過により元に戻るため、現在遭遇している程度の朝霧であれば大した障害とはなりえない。

 今日の予定は危険地帯の中層域での経路調査の続きと補足調査である。昨日同様の調査であるが、魔力濃度が高く危険度が高い地域であるため、指定された踏査距離は昨日より随分と短い。しかし、例年調査とは水妖あるいは小鬼の出現状況が、明らかに異なるため可能であれば小鬼のまとまった群れを見つけ、その状況を確認する必要が出てしまった。


「(追加の補足調査……小鬼の群れが出てくれたら楽なんだけどなぁ……)……オハギ、今日もよろしく。特に小鬼の群れが居たら教えてね」

「キュー……(しょうがないなー)」


 準備万端で、頭頂部で丸まっているだろう相棒をひと撫でし、指定された経路へと足を踏み進めた。


 △△△

 △△△


 2時間ほど歩き続けると、林床にいくつもの光芒が差し込むことで地表温度が上昇したのか、出発時に比べて霧の濃度が高くなっていた。


「(流石に水妖が多いな)」


 森の浅層に比べ魔力濃度が高いためか、水妖との遭遇数が多い。水たまり程度の水場しか無いにも関わらず、2時間で既に50匹近くの水妖と遭遇している。


「(逆に小鬼は出ないけど……まだ気温が低いから動いてないだけかな……)」


 立ち止まり、首を持ち上げ周囲の植生を確認すると、所々檜(ひのき)が交じっているようであるが、杉の巨木が立ち並んでいる。


「(若い木が多いのか?って、あった!)《沈まれ 消えよ》」


 30m程先に、杉に覆われた林冠にぽかりと穴が開いた空間が目に入る。極相林の間隙(ギャップ)である。間隙は極相林の大木が朽ちたことで出来る空間で、低木や広葉樹が成長しやすい空間であるため、一様である林内の生態が局所的に多様になる。このため、間隙内には小鬼などの生物が集まることが多いため、補足調査をするに絶好の場所である。様子を伺おうと目を凝らし見通すも差し込んだ光の筋が立ち込める霧に乱反射し、霧の中の様子は把握できない。


「先は見えないか……おはぎ居そう?」

「キュ……キュ!」

「微妙そうだね……小鬼ちゃん。頼むから群れてて頂戴~」


 視界が数mもない濃霧の中、不意に現れるコナラや紅葉の大木に驚きつつ歩みをすすめる。霧の中は想像通り広葉樹が繁茂しており、寒々とした極相林の中で低木から亜高木まで多様で、砂漠の中のオアシスのような様相となっていた。視界の効かない霧の中、オハギの感知能力便りに足を進めると、吹き抜ける風が獣の臭いを運んできた。


「キュ……」

「ん。居るね。しかし……この状況じゃなぁ……。霧が晴れるの待つかぁ」


 △△△

 △△△


 紅葉(もみじ)の巨木に登り、しばらく待機していると、辺りを覆っていた霧は徐々に薄れ、どうにか視界を確保できるレベルになったため、立ち上がる。

 枝の上で確認した限り、50m四方程の間隙に紅葉を中心に数本のコナラやその他の広葉樹が、か細い杉の若木に交じり立ち並んでいた。


「(けど……可食性の実が成るのはコナラだけか……)」

「キュ」

「ん?居た……」


 様子を伺っている間に霧が完全に晴れ、30m程先のコナラの影に20匹程の小鬼が身を寄せ合って固まっているのが目に入る。

 静かに単眼鏡を取り出すと、群れの様子を確認する。


「(メスばっかりだな……オスが……1匹、あとはメスっぽいな)」


 確認出来た小鬼は体長は最大個体でも140cm程、その他の個体はおおむね90cmから120cm程と小柄である。手帳に大まかな現在地と植生を書き記すと、群れの様子を再度確認していく。


「オスは……老成個体っぽいな……。いや?痩せてる?」


 群れの統率個体らしき雄は、毛並みが悪く、体つきも貧弱である。そして何より目立つのはビール腹のように膨らんだ腹部である。よくよく見れば、他の個体も雌個体も似たような状態であり、栄養状況が悪いように見える。加えて年中繁殖を繰り返す小鬼であるが、見た限りでは妊娠している個体は居らず、やはり全体的に弱っているようにも見える。


「(病気……?いや……)」


 露わになった林床を見渡すと、ポツポツと水妖が目に入るも、春に結実する植物は無い。間隙内に横たわる巨大な倒木は、虫をほじり出したのか細かく粉砕された木片が周囲に散乱している。遠眼鏡をずらし、コナラの巨木を見れば、周辺はかなり念入りに掘り返したのか、落葉はなく、真新しい土が露出している。


「(これは……餌が不足の飢餓状態かな……あ……骨……。小鬼だな……)」


 5匹程の水妖が集まっている地点を見ると、小角が生えた猿型の頭蓋骨が目に入る。自然死か共食いの結果であるかは不明であるも、少なくとも頭蓋骨は6個程、大きさもかなり貧弱そうなものも交じっており、未成熟の小鬼はすべて死に絶えているようである。


「(体力のない子供は死んでる。成熟個体……性別は分からないけど、共食いか?とりあえず記録しとこ……)」


 周辺地図を取り出し確認すれば、10キロ圏内に水場は無く、最寄りの川まで直線距離15キロ程であるものの、山を挟んで反対側。この群れが利用するには遠い。


「(この群れ自体は移動してきたっぽいな……長雨で足止め食らったか、水妖の大発生で足を止めたか。それでどっかで餌不足になって雄個体は群れを追われたか、共食いを恐れて逃げ出したって感じかな……。どちらにせよ、この群れは規模を縮小するか死に絶えそうだな……)」


 地図に現在地を記録すると、手帳へ小鬼の状態を記録していく。思い返せば昨日見た放浪雄も栄養状況は悪そうであったため、昨晩書いた日報に加筆する必要性を覚えつつ、労力を割いて補足調査をした甲斐があったと胸をなでおろした。


 △△△

 △△△


「『……なお、確認した個体は総じて痩せ気味であった。』……これで良いか」

「キュー!」


 前日の日報に一文を書き足し、本日の調査結果と合わせて内容を確認していると、乾燥果実を齧っていたオハギが抗議の声を上げる。

 本日の夕食は、テントを設営し終えた際に既に日が落ち、想定より遅い時間帯になってしまったこともあり、白湯と乾燥腸詰に乾燥野菜類に堅パンとそのまま乾き物ばかりを齧る羽目になっていた。間食としては豆類や乾燥腸詰を好んで要求する相棒であるが、三度三度の食事では汁物や焼き物など火を通した料理を好むため、本日の夕食の有様にご立腹であるようだ。


「ごめんね。代わりにこれ上げるから……許して?」

 「キュ?キュキュキュー!」


 収納袋から隠し持っていた乾酪(かんらく、乳製品)の包みをそろそろと取り出せば、机の端で乾燥果実を齧っていた相棒は機敏な動きで、包みごと奪い取ると中に包まれていた乾酪をモソモソと齧り始めた。


 我が家のマメウサギは食い意地が張っている。他所のマメウサギはどうか知らないが、この小さな体躯で人間と同じくらい餌を食べる。ブクブクと太って普通の野兎程の大きさになりそうなものであるが、共同生活を初めて10年、大きさどころか重さも変わっていない気がする。


「(見た目は愛くるしいんだけど……)やっぱ異形種かぁ。この体のどこにそんなに入るんだか。……こいつ解剖したら凄そう……」

「キュッ⁉」


 ボソリと漏らした言葉に相棒が反応し、怯えながらこちらを見てくる。


「嘘嘘っ。好きなだけ食べて良いから!オハギは利口だし、いつも助けられてるからさ!ただ食べ過ぎで体壊さないか心配しただけだって!ほら俺なんかよりよっぽど食べるでしょ?おれも体がちっちゃいけど……結局……身長伸びなかったなぁ……オハギみたいに食べれば伸びたのかな……姉ちゃん達は普通にデッカいし……あぁ……せめて150cmは欲しかったなぁ……。成長期なんて都市伝説だったんだ……。オハギもデッカクなりたかったんだよね?小さいもの同士、仲良くしようね……」

「キュー……キュキュー」


 机に身を投げ出し、わが身の不幸を嘆いていれば、相棒が乾酪を差し出してくる。うん。気持ちだけもらっておくよ。ありがとう。お腹一杯だから大丈夫。


「よし……飲もう……。本業の方は無事終わったし……日報も書き終わった。明日はオマケの街道保守だし、オハギも飲む?よし!二日酔いにならない程度に呑もう!」

「キュキュッ……」


 △△△

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