とある清掃業者のおシゴト
@Kairiki_Kumaotoko
第1話 しつこい汚れ、落とします
ドアを静かに開け玄関から外に出ると、息苦しいマスクを外して大きく深呼吸をする。
「終わっ……たぁ……」
体をそらすように大きく伸びをして空を見上げる。これで抜けるような青空だったらどれだけ晴れやかな気分だっただろう。
「あれ、まだ降ってたんだ」
後ろから少年の呑気な声。
空になったペットボトルとポテトチップスの袋を持って、サンダルを履いて出て来たこの少年とは、そこそこ長い付き合いだ。
「今日明日はずっと雨よ。ゴミはそれで全部?」
「ん」
少年こと私の又従弟、刑部晃太郎はゴミの入ったレジ袋をひょいとかかげる。
よし、と小さく呟いてからスマホを取り出して、通話履歴にずらりと並んだ『会社』の文字をタップする。
「鍵締めといて」
「はいはい」
かちゃ、と軽い音が聞こえたすぐ後に電話が繋がった。
「お疲れ様です、日向子です。処理終わりましたんで、次の現場行きます」
ごく手短に伝えると、すぐ後ろでスマホをいじり始めた遠縁の親戚の少年に向き直る。
「よし、じゃ次行こ次」
「はぁい。あ、途中でまたコンビニ寄って。今度はファミマが良い」
今年18歳になったばかりの晃太郎は、実に緊張感のない様子で車に乗り込んだ後もスマホのゲームを続けている。
「クルマ乗りながらスマホいじってて、よく酔わないね」
親が従兄弟同士という、微妙な距離感ではあるけれど、この子との付き合いはもう18年になる。つまりこの子が生まれた時からだ。
祖父が経営する会社にコネで拾ってもらった私.刑部日向子は、もう半年ほどこうして10歳年下の又従弟とバディのように行動を共にしている。
「次の現場は? 近いの?」
「ちょっと離れてるかな」
軽自動車のハンドルを操り、国道の早すぎる流れに何とか着いていく。
助手席と運転席のドアには、刑部クリーニングという会社名がデカデカとペイントされている。
祖父が立ち上げた会社は、いわゆるハウスクリーニング業の中小企業だ。ただ、この社用車にはハンディクリーナーがひとつ置いているだけで、洗剤も何も積んでいない。
「今日の現場って次で終わり?」
「だね。次が終われば今日のお仕事終了。ファミマってそこの店でも良い?」
さほど興味なさそうに『どこでも良いよ』と返事を返して、晃太郎はスマホに視線を戻す。
この子は今のところ正社員ではなく、アルバイトとして家業を手伝っている。
大学で実にのんびり過ごしているようで羨ましい限りだ。
「あんまりポテチばっか食べてるとカラダに悪いんじゃない?」
「ジャガイモは野菜だし、大丈夫じゃない?」
「そうだけどさぁ」
思わず苦笑してウィンカーを出し、国道沿いのファミリーマートへ入る。
呑気な大学生は一切の迷いもなく、コンソメ味のポテトチップスの大袋とコーラのペットボトルを手に持ってレジへと進む。
「ちょい待ち、コレも」
レジカウンターに滑り込ませるように酎ハイの缶を紛れ込ませ、しっかり領収書をもらってからまた狭い社用車に乗り込んだ。
「ダメだよ、飲酒運転は」
「運転しながら飲むわけないじゃない。家に帰ってから飲むの」
「それも経費で?」
「黙ってりゃバレないでしょ」
にっ、と歯を見せる笑顔を見せたつもりだが、私の顔はどう見ても引きつった悪役、それも三下のゲスい顔にしかならない。
又従弟で幼馴染の晃太郎相手なら普通に喋る事もできるけれど、初対面で、しかも成人男性相手となるともうムリだ。生来のド陰キャコミュ障喪女の本性が表に出てしまい、マトモに離せなくなる。
就職活動で累々たる『お祈り』の郵便の山を築いた実績からも、私のコミュ障っぷりは日本中のあらゆる企業のお墨付きだ。
「日向ちゃんはさぁ」
助手席で何の遠慮もなくコーラの蓋を開け、ごくりごくりと美味しそうに喉を鳴らす。冬の寒い中、よく冷たいコーラを飲む気になるものだ。
「なによ」
「この仕事、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃなかったよ。でもまぁ、流石に慣れたかな」
この仕事、というのは普通の清掃じゃない。
変死、病死、自死が起きた事故物件だけじゃない。執念、怨念、思念、祟りに呪いとよその『業者』じゃ到底落とせない穢れを落とすのが、私たち刑部クリーニングのお仕事だ。
かと言って私は除霊が出来たりするわけじゃない。ただ『視える』だけで何もできないのがまたもどかしくもある。我が社のメイン戦力は、なんと時給5000円と私よりも遥かに高い給料をもらっているアルバイトの晃太郎だ。
「毎日毎日、いろんなモン見せられれば、そりゃ嫌でも慣れるよ」
「だよねぇ。俺全然見えないからわかんないんだよね」
「そっちの方が良いよ。余計なもん見えない方が、絶対幸せに生きていける」
私のコミュ障は、幼い頃から色々なものが『視えて』しまうという体質の影響が3割くらいはあるに違いない。
常におどおどびくびくしてしまうせいで、周囲からは『キモい』『挙動不審』『なんかヤだ』と気味悪がられ続けている。
「ポテチはどうすんの? 着いてから?」
「ん。現場着いてから食うよ」
「了解。それじゃ行くわよ。さっさと終わらせて帰りましょ」
車のエンジンをかけてカーナビに住所を入力し、ナビの開始合図を聞いてから、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
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