第12話 第三回魔王会議(後編)
ごつごつした岩肌に、一人の男が横たわっていた。
大の字で寝そべっている彼を、大きな影が覆う。
「とても勝者とは思えぬ様だな」
星喰らいは、ため息交じりに言った。
「敗者の前でこそ、勝者は余裕を持って振舞うものだ」
魔王はニヤリと笑い、上体を起こす。
見渡せば、彼らの戦いによって、あちこちの崖は崩れ、山にはいくつもの新しい斜面ができていた。
竜たちの住処は、見るも無残な姿となってしまっている。
「よもや、人間の面をしたオーガに敗北しようとはな」
星喰らいが不満げに言うと、魔王は再び笑った。
「まばたき一つが勝敗を分けただけのこと。余は満身創痍であるが、そなたはすぐに気勢を取り戻して見せた」
言いながら、魔王は魔力を流し込んだ。
見る見るうちに、破壊された仮面が修復されていく。
「我を破る力を持ちながら、なにゆえ素顔を隠すのだ」
「魔族を納得させるため……とは建前だ。実はな、この仮面こそ、余の力の根源である」
星喰らいは、彼が話を有耶無耶にしようとしているのだと思った。
実際、戦いで仮面が破壊されてなお、魔王の魔術は勢いを失うこともなく、堅牢不変と言われた竜の鱗を打ち砕いて見せたのだ。
だが、そうではなかった。
「なにせこの顔である。幼少の時分より、オーガの同族たちから向けられる態度は易しくなかったからな」
顔も知らぬ親に、何度恨み言を言ったかわからぬと、魔王は言った。
人間は魔力を扱えない。今の魔族を考えれば、差別は当然の結果であった。
「しかしひとたび仮面をつければ、余の顔を理由として暴れる者はいなくなった。仮面が、余の糧となった」
魔王は仮面をつけると、星喰らいの顔を見た。
「余は、仮面のいらぬ国を作るのよ。千年の歳月をかけて、種族、魔力、あるいは家柄にかかわらず、すべての民が『力なき者』である国をな」
竜は、魔王の展望を鼻で笑った。
力を是とし、弱きを嘲笑する星喰らいにとって、魔王の語る国はあまりに軟弱であった。
竜を破った強者が、まさかこのようなくだらぬ夢を語るとは思っていなかった。
「余の統治する国では、そなたもまた、他と変わらぬ『力なき者』である」
「ふん! 貴様の国も、考え方も生ぬるい。気に食わんな」
そう言ってくれるなと言いながら、魔王は再び竜に背を向けて座り込んだ。
地平線の向こうから太陽が顔を出し、夜の暗闇を放逐しようとしている。陽光の輝きが仮面に反射した。
「魔族に見下されるのが嫌ならば、国興しなどと回りくどいことをやらず、人間の面が、恐怖と力の象徴となればよい」
魔王の横に、黒衣の女が腰かけた。
女は、人間の顔をしていた。
「なんと……竜とはまこと万能であるな」
「貴様の語る『力なき者』の国が如何様か、この目、この足で見て回るとしよう」
それは、竜が初めて、人間の似姿を取った日である。
────
赤子を抱いた人間を、オークが睨みつけている。
竜もまた、人間をしげしげと見つめていた。
「この子は、小さな角の通り、紛れもなくオーガにございます」
「発言を控えろ人間。そして出ていくが良い。ここは魔族による会議の場である。素っ首落とされないだけありがたいと思え」
オークは、リッチと今後のことを話し合おうと口を開いた。
「私は人間の国より参りました。両親が事故で死に、魔王様より拾われて、ここでメイドとしてお仕事をいただいております」
人間は、大オークが恐ろしかった。
彼の固い眼差しも、隆起した筋肉も、魔王と似ているはずなのに、まるで違って見えた。
「この子は私が魔王様と、その……致して生まれた子にございます」
だが、「人間であるから」無視されるという理屈には我慢ならなかった。
「歩んできた道のりがあります。必要であれば祖国の名前もお教えします。どうかご確認いただければ、『私たち』の輪郭が、浮かび上がってくると思います」
「おい、執政役!オーガどもは何をしている。こいつをつまみ出せ」
「あー、彼女も本会議の重要資料ですので……傾聴いただけると助かります」
大オークの言葉に対して、執政役は肩をすくめて見せた。
青筋を立てたオークの領主は、それでもあえて何も言わなかった。
「魔王様も同様にございます。この人は自分について多くを語りませんでしたが、目指した国そのものが、答えなのです」
力なき者たちのためにある国。
人間の面をしたオーガの興した国。
星喰らいは、魔王との会話を反芻していた。
いつ考えても軟弱な道理である。
彼女にとって、魔族も人間も等しく弱い生き物であった。彼らの歴史も、文化も歯牙に掛けたことなどなかった。
だが、彼女は魔王の国で、弱者が足搔く様を見た。
みなが一様に、よりよい明日を目指していた。
誰一人として、同じように生きる者はいなかった。
「母子ハ、自分たちの由来を語っタ。そちらは何を語るのカ?」
ゴブリンロードが、人間達の前に出る。
オークの少年を指さし、言葉尻に「調べはついているガ」と付け加えた。
「館長の語った通りだ! 母は戦士で、先の戦争で戦死した!」
「えぇっとぉ、だ、大オーク殿、それはぁ、ですねぇ……」
「だからこそ、彼を支え、ともに立つ存在が必要だと言っている!」
「ですから……あぁと、そのぉ、彼についてはぁ……」
ゴブリンロードは呆れたように首を振ると、懐から一枚の写真を取り出す。
人間は、ひどく懐かしい技術が登場し、目を見開いた。
彼がテーブルに放り投げた写真には、少年が映っていた。
「人間ノ、ケータイといウ、情報伝達技術を利用シ、部下に調査ヲ、させタ」
「ゴブリン! 貴様、そのような意味の分からん技術を使って、オレや館長を騙そうなどと思うなよ」
リッチの主は、どこで計画が狂ったのか精査していた。
大オークを仲間としたのは問題ない。むしろリッチが表舞台に出れば、かつての吸血鬼のように余計な恨みを買うかもしれなかった。
魔王に隠し子がいるのは聞いていた。母親の情報はメイドの報告に無かったが、必要であればメイドに対処させれば問題なかったはずだ。
竜は計画通り敗北した。彼女の生存は予想外であったが、他種族を見下す竜が、これ以降脅威になることはありえないと思っていた。
野蛮なゴブリンも、うすのろのオーガも、熾烈さのない吸血鬼も、企みの前では無力なはずだった。
予想は覆った。計画は翻った。秘密は意味を失った。
彼は、どうしてそうなったのかわからなかった。
「館長ドノ、これが自ら明かス、最後ノ、機会であル」
ゴブリンの領主の、戒めるような口調が耳に染み込む。
リッチはひとしきり唸り、ガックリと肩を落とした。
「館長? 何をしている」
死霊術師が指を一振りすると、糸が切れたように少年が倒れ込む。
大オークは少年の遺体を抱きとめたが、その腕はだらりと垂れている。
「これはぁ、その、ちょっとしたサプライズ、という……か」
「つまり全て館長さんの企みで、大オークさんも担がれただけってことですの?」
「まア、その企みモ、意味を失ったガ」
優れた陰謀家は、敗北を引きずらないものだ。
どれだけ屈辱的な目に遭おうとも、最後に立っている者が勝ちを取る。
リッチは、ここから巻き返す機会と方法をしぶとくうかがっていた。
業腹だが、今から星喰らいをおだてれば、王位に意欲を見せるだろうか。
そのような思考は、木製の椅子が叩き壊される音によって断ち切られた。
「ふざけるな、偽りだと? この子の……息子の死に意味はなかったとでもいうのか!」
大オークが、破壊された椅子の脚を持っている。
鋭くとがった先端が、人間に向けられた。
音に驚いたのか、オーガの赤子が泣き声を上げ始める。
「人間、貴様だ、貴様がいるから、全てがおかしくなった」
「まあまあ、大オーク殿落ち着いて……」
オークは館長を突き飛ばすと、力強い足取りで母子に歩み寄る。
止めようとしたゴブリンを、足で蹴り飛ばした。
領を悩ます問題の根源に人間がいる。
戦争も、飢餓も、死体から生まれた疫病も、彼ら人間がもたらしたものである。
今の大オークにとってはそれが真実だった。
彼の戦争は、まだ終わっていなかった。
「貴様を殺せば、少しは、少しは報われるだろう!」
振り下ろされた木片は、掲げられた腕に当たり砕け散った。
彼の一撃を受けたのは、母子でなかった。
「女と赤子を殺せば満足か、オーク」
つまらなそうな顔の星喰らいが、オークを見ている。
彼の眼には、涙がにじんでいた。
目の前に立っているのが最強の生物であることなど意にも介さず、オークは拳を振り上げる。
「黙れ! 貴様ら超越種に、戦場の悍ましさなど理解できまい! ただ無作為に、命が奪われていく虚ろさを理解できまい!」
歴史上、竜が死んだという記録は残っていない。
彼らは始まりと共に生まれた生命であり、終わりを見届ける生命である。
「だのに一丁前に道徳を語るな! 人間はオークを殺した! 戦士も老人も女も赤子も問わず、奴らに殺されたのだぞ! それを……」
星喰らいもまた、そうであった。
最強種としての自負があり、有象無象への興味などとうに失せていた。
「あの女がオークを殺したのか? どんなオークだ、戦士では、ないだろうな。女が殺せるとしたら赤子か? 母親もいたかもしれん。ちょうど、あの女と同じ背格好の親子だったか?」
魔王が死んだとき、竜のうちに激しい怒りがわいた。
道半ばで死んだことが、力を持ちながらも死んだことが、大言壮語を残し死んだことが、許せなかった。
「親子、そう親子だ。今、誰が親子を殺そうとしている?」
オークの動きが鈍くなる。
「オレは、それでも……」
「………………すまなかった」
星喰らいの言葉を聞いて、大オークは己の耳を疑った。
他の領主たちも、聞こえてきた発言が信じられなかった。
「貴様の言うとおりだ。戦争で、数え切れぬ命が消えたな。我も戦場跡に出向いたことがある」
竜は、言葉で、態度で、怒りを示した。
だが、結局のところ、竜の示した
彼女の内にあったのは、初めて抱いた
それを気付かせたのは、竜が気にも留めていなかった、弱き吸血鬼だった。
「碑石があった。死んだ者たちの名が、種族の隔てなく刻まれていた」
そうしてようやく竜は、孤独な魔王と夢を分かち合った。
「同族を死地に送った貴様こそ、あそこに連ねる名前と向き合ってきたのだろう」
一度目の魔王会議で、星喰らいは大オークを罵った。
今や竜は、目の前のオークと大きな違いなど存在しないと、気付いていた。
二人とも、他者の死を前にして、なすすべなく立ち尽くすばかりであった。
「だが、戦争は終わったのだ。大オークよ」
魔王は死んだ。戻ってくることはない。
「向き合うべくは
強者の理屈である。
残酷な理屈を星喰らいは淡々と述べた。
大オークは、竜の後ろにいる母子を見た。
ひたすらに泣きじゃくる、幼子の真っ赤な顔を見た。
彼女達の瞳に映っていたのは一体何だっただろう。
誇り高いオークの領主でも、息子の死に報いる父親でもない。
恐ろしい形相をした殺戮者だったのかもしれない。
彼は、力なくうなだれた。
「あー、つまり魔王会議は白紙に戻った。ということでよろしいですか」
執政役の言葉に対し、館長が反応する。
「仰る通りですな! う、うむ、今までの話は無効! リセットにございます!」
「あなたの面の皮の分厚さ、もしかして髑髏の仮面も含んでいるのかしら?」
「リッチの身体ハ、骨と皮で出来ているからナ……」
母子は、領主たちの姿を見ていた。
なんとなく、魔王が見ていた光景の残滓を、くみ取ろうとしていた。
彼らに、何かつまらない冗談でも言おうかと口を開き───。
「うオッ! なんダ!」
地面が揺れた。
倒れそうになった母子を、ゴブリンのメイドが支える。
「今の揺れは……地下からですかな?」
彼らが廊下に出ると、黒い霧が地を這っていた。
魔王会議は、混迷を呼ぶばかりである。
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