第4話 あの日の約束と後悔を思い出へ

列車がトンネルに入った間、視界は暗いままだったが目が慣れる前にトンネルを抜けた。


明るかったはずの風景は夜に変わっている。

また目の前にいたはずのヒデさんの姿はどこにもなく、視線の先には『星野丘公園駅』と書かれた駅名標が見えた。


私が知っている限り、その名の公園はあるが、同名の駅は存在しない。


「静馬くんと……約束した場所が、終点?」


列車が停車し、勝手に扉が開くと私は駅のホームに足を踏み出した。


そして一つしかないコンクリートの階段を降りれば、そこは星野丘公園だった。


夜空には無数の星が輝き、辺りには誰もいない。


「やっぱりあの日と同じ……」


私は数メートル先に見えている、待ち合わせ場所である桜の樹の下に向かってゆっくりと歩いていく。春はお花見、夏は生い茂る葉をスケッチして、秋は色づいた葉の下でピクニックをした思い出の詰まった桜の樹。

そして、私にとって冬の桜の樹は別れと後悔の象徴だ。


桜の樹が近づくにつれて、過去が蘇って、心臓が嫌な音を立て始める。私は無意識に胸元を手で握りしめた。


私は静馬くんと約束をしたあの日も、時間通りにこの桜の樹の下に来た──でも静馬くんはいくら待っても来なかった。


始めはアルバイトが長引いてるのかと思ってのんびり星を眺めていたが、三十分経つ頃には何かあったのかと酷く不安になった。


メッセージも既読にならず、いくらかけても出ない電話に何度も留守電をいれた。そのうち、いてもたってもいられなくなって彼のアパートへ行ってみようと桜の樹をあとしたとき、電話がかかってきた。


出れば、病院からの電話で彼が自転車で単独事故を起こし病院に運ばれたことを知った。


そのあとのことは正直よく覚えていない。


無我夢中で病院にタクシーで向かい、冷たくなった彼を見て心が消えてなくなった。


私の心からも世界からも色がなくなって、目に映る全てが灰色になった。ただ私の手元に残ったのは深い後悔だけだった。


彼に会えなくなってから、私は変わってしまった。何をしていてもいつも罪悪感と強い後悔が襲ってきて、よく眠れなくなった。


万年ダイエットだったのに、ただ生きるためにご飯を無理矢理胃に押し込むようになって勝手に痩せた。


そしてあんなに好きだった絵も描けなくなった。絵を描くたびに彼のことを思い出して涙が止まらなくなった。


全部──私のせい。


誰かにそう責められた訳ではないが、そう思わずにはいられなかった。



「ごめんね……静馬くん。ごめんなさい」



だって私が流星群なんて見たいなんて言わなければ、記念日は二人で過ごせたらいいねなんて言わなければ彼は今も生きて笑っていたかもしれない。ううん、しれないじゃなくてきっとそうだ。


たらればなんて考えても仕方ないけれど、それでも本当に、本当に大切な人だったから。


「……ぐす……静馬くん……」


私は彼の名を呼ぶと桜の樹の下で蹲った。



「──桜」


(……え、?)


一瞬、聞き間違えかと思った。


「待たせてごめんな」


もう一度、頭上から降ってきた聞き覚えのある声に私はすぐに顔を上げる。そして目の前に立っている人物を見て目を見開いた。


「静……馬くん」


「ごめん、遅くなった」


「……どう、して……?」


彼は隣にしゃがむとそっと私の涙を指先で拭った。


「俺もおもひで猫列車に乗ってきたんだ。桜とは別の列車だけどな……俺もずっと後悔があったから」


「私、なにがなんだか……」


ひでさんは過去に戻り後悔を思い出に変えることができるとは話していたが、こうして静馬くんと会えるなんて思っても見なかった。


それに過去と言っても私の過去とは違う。だってあの日、静馬くんは来なかったから。


「今、私たちが話してるのって、夢?」


「夢だけど、現実っていうか過去っていうか。桜には難しいよな」


「静馬くんは、わかるの?」


「……ある程度ね。俺はもう現実世界では生きてないからさ」


「…………」


その寂しげな彼の言葉に胸が針で刺したように痛む。


「そんな顔しないで。だってこの時間は俺たちが願ってた過去になるんだ」


(願ってた、過去……)


「それは……あの日、約束通り……今みたいに会えてたらってこと?」


「うん、多分そうだと俺は思ってる。おいで、こっち座ろ」


静馬くんが私の手を引くと、桜の樹の真下に腰を下ろす。


「寒くない?」


「大丈夫だよ」


「って、カイロ持ってないんだけどね」


彼が小さく舌を出すのを見て私も表情を緩める。繋いだままの手のひらはあたたかくて、二つの白い吐息は夜空にふわりと消える。


「見て、桜。星綺麗だな」


「……本当だ……流れ星いっぱいだね」


藍色の夜空には白銀の繊細な輝きが、花火を散らすように流れて消えてを繰り返している。


「やっと、二人で見れた」


「うん……」


いつまでもこうしていたい。

彼と一緒にいたい。そんな想いだけが溢れて心が締め付けられる。

けれど、きっとそれは叶わない。隣の静馬くんの横顔は穏やかででも寂しげで、この時間に終わりがあることを嫌でも悟ってしまう。


私は繋いでいる手にぎゅっと力を込めた。


「……静馬くん」


「ん?」


「私……、ずっと静馬くんに謝りたかったの……」


「それは俺の方だよ。待ち合わせしてたのに……ごめんな」


「ううん、違う……っ。私のせい……私が星なんか見たいって言わなかったら……」


「それは違うよ」


静馬くんは私の言葉を遮ると、唇を湿らせてからまっすぐに私を見つめた。


「俺さ。あの日、予定通りバイト終わって自転車で公園に向かってたんだ。でも途中で……重そうに荷物両手に抱えてるおばあちゃんがいてさ。なんか死んだばあちゃんに似ててほおっておけなくて、一緒にアパートまで行ってから桜の待つ公園に向かったんだ……」


静馬くんの声はいつもより少し掠れていて、伏せた睫毛が涙で濡れているように見える。


「早く桜に会いたくてさ……いつもは使わない路地をスピード出して走ってて……車にぶつかりそうになって避けようとして……それで……そのまま……だから全部、俺のせいなんだ」


「静馬くんのせいじゃない……っ」


あの日のことを彼の口から聞き、私のせいではないと言われても私の後悔は変わらない。


私は駄々を捏ねている子供のように首を振ると、涙をこらえながら口を開く。



「私が……星なんて見たいって言わなかったら良かったの。記念日なんて一緒に過ごせなくても良かったのに……」


「……俺は桜と星見たかった。記念日も一緒に過ごしたかったんだ」


「でもそのせいで……静馬くんが死んじゃったの……ごめんね……っ、静馬くんに出会ってごめ、んなさい……」


私のせいで静馬くんは死んだ。

私なんかと出会わなければ、静馬くんの人生はきっと変わっていた。


「そんな悲しいこと言うなよ」


彼の両腕が伸びてきて私は抱き寄せられる。


「俺は……桜と出会わなければなんて思ったことない。これからも思わない。だって桜がいたから俺いっぱい笑えた。なんてことない平凡で真っ白なキャンバスみたいな毎日がさ、桜と出会ってからいろんな色がついたんだ」


「静馬、くん……」


「俺はまた次の人生も桜に会いたいって思ってる。また恋して一緒にいたいんだ。そんな風に思える人に出会えたって奇跡だろ」


涙で視界が滲んで、彼の顔がうまく見えない。


でも彼に抱きしめられたぬくもりと言葉は、私の中の後悔を少しずつ溶かして小さくしてくれる。


「だからさ。いつか俺たちが巡り合えるその時まで……笑ってバイバイしよう?」


「静馬くん……」


「いい、約束。桜には好きな絵を描きながら、いつも笑っててほしい。俺、桜の笑った顔が一番好きだったからさ」


静馬くんが綺麗な二重瞼を優しく細めながら、私の髪をすくようになでる。


「……うん、わかった……なるべく笑うね。けど……ときどきは泣いてもいい?」


見上げれば彼がふっと笑う。


「そういうと思った。じゃあさ、泣きたくなったらこれ見て」


「え?」


彼は肩にかけていた鞄からスケッチブックを取り出した。


「これ……」


「うん。記念日に渡そうと思ってたんだ。見てみて」


そっとページをめくればそこには私をモデルにしたデッサン画が描かれている。次のページもその次のページも私だ。そしてどのページの私も笑顔だ。


「全部……私を描いてくれたの?」


「ほら、笑うと可愛いだろ?」


さすがに照れくさかったのか鼻をすすりながら、目を泳がせた彼を見て私はクスっと笑った。


「ありがとう……すっごく嬉しい。ずっと大事にしてたくさん見るね」


「いや、あんまり見られるとハズいかも。俺の気持ちダダ漏れ」


僅かに頬を染めた彼が柔らかい黒髪を搔きながら眉を下げる。


私はスケッチブックを抱きしめたまま、心に刻みつけるように彼を見つめた。


このままずっとこの夜が永遠に続けばいいのにと願わずにはいられない。


夜空からはあの日、二人で見るはずだった無数の星たちが、今なお弧を描くようにして小さな煌めきを放っている。


「……願い事、しようかな」


「俺、もうしたよ」


「そうなの?」


「うん」


私はあわてて目を閉じると願い事をする。


願うことはただひとつ。


またいつか彼と出会えますように。

何十年先でも何百年先でもいい。

また出会って恋をしたい。


願い事を終えて顔を上げれば、彼と目と目が合った。そして桜の樹には季節外れの花が咲き乱れて雪のように花びらが舞い降りてくる。


「桜、また会えるまで元気でな」


「静馬くんもね。あと……」


「ん?」


私は彼の頬に触れる。


「私、静馬くんが好きだよ。大好き」


最後の最後に伝えられた、ありったけの想いにやっぱり涙が零れた。


それでも私は懸命に彼が好きだと言ってくれた笑顔を向ける。


「俺も……桜が大好きだったよ」


そしてふわりと落とされたキスは優しくて涙の味がした。


私にとって愛おしくて幸せで一生、忘れられないキスだった。


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