第3章2 勉強会1フレンズパーティー
勉強会の前日、下校時間。
校門を出ると、先に出ていたハルが待っていた。
「マナちゃん、一緒に帰ろ!」
「いいぞ、今日は何だ」
「ただ、一緒に帰るだけ!」
「そっかそか」
ミニスカとセーラー服の襟が風に揺れる。
夕方、まだ日が暮れる前、だいぶ陽が沈む時間も遅くなってきた。
小学生たちが笑いながら道を走って帰っていく。
ハルは自転車を押しながら、俺に話しかける。
「今日の授業、AIの倫理の話、面白かったよね。私、社長になったら倫理コードとにらめっこするんだ」
「そうだな、ハルシネーションだけじゃなくて、答えちゃいけない事とかいっぱいあるんだよな」
学校の前の駄菓子屋のような謎の店「みつばや」の前を通る。
ちょっと行き過ぎてから、立ち止まった。
「あっやっぱ、寄ろ! みつばや。お菓子、お勉強のお供に」
ハルが自転車を停めて突入していく。
「いらっしゃ~い」
店主のおばちゃんが笑顔で挨拶してくれる。
おばちゃんは小太りで丸眼鏡が特徴だ。
一緒にお店を切り盛りしていたご主人がなくなって五年くらい。息子二人は独立して首都圏にいるそうで、今はその代わりか生徒を大変可愛がっている。
街中のおばあちゃんがやっていた純粋な駄菓子屋は、いくつも昔はあったそうだが、今では絶滅危惧種だった。
ここは学校前の何でも売っている駄菓子屋というより謎の店で、文房具、お弁当、おにぎり、惣菜パン、駄菓子、ジュース、アイスなど生徒のための店だ。
多角経営でなんとか、しのいでいるのだと思われる。
あと学校の自動販売機の補充とかもこの店の担当らしい。おばちゃんを学内の自動販売機前で補充しているところを見たことがある。
それから文房具とか学用品の一部はこの店経由で学内に入ってくるものも普通にある。
「いつもの~」
ハルは麩菓子に一口チョコ、ラムネを買う。
「マナちゃん、どれ? 変数みたいに交換しよ?」
俺は違う麩菓子にゼリー、ラムネを選ぶ。
購入後、外のベンチに二人で並んで座る。
麩菓子は小さな袋に何個か入っているタイプで、それを交換する。
「これ、ラムネの炭酸、泡の発生率とランダム性」
「マナちゃんなにそれ。一定なのかな? どれどれ」
ふたりで開けたラムネを観察する。
「なんか、おんなじ場所から連続して出てたりしてて、偏りがあるみたい」
「ハルは詳しいな」
「えへへん」
ラムネをググっと飲んで、一息つく。
子供時代を思い出す。小学校の頃、ハルとひとつのラムネを買って、二人で分け合ったっけ。
今思えば、あれ、間接キスだな……。
お菓子も一袋を半分こ。
そう、あのころはなんでも半分こだった。
父親が死んだあと、俺を励まそうと、おごってくれたこともある。
『今日は、マナちゃん、特別だから全部あげる。だから元気出して』
俺は胸を打たれる思い出だ。
小学生だからお小遣いも少なかっただろうに、落ち込んだ俺を見て必死だったのだろう。
そういう健気なところもあるんだよな、ハルは。
基本的にいい子なのだ。
「なんていうか、そういう思い出もあるよね。私たちのメモリー」
「うむ」
「そうだよ、共有メモリーだよ。クリップボードにいっぱい貼り付けて、飾るんだ」
「なるほど」
現実のパソコンのクリップボードはそういうのではないが、アルバムみたいな感じだろうか。
共有メモリーだというのは、うまい言い方だとは思う。
この世界では俺とハルという別々のプログラムがそれぞれ動いており、共有メモリーを介して通信したりデータの交換を行っているのだ。
それはコンピューターのそれとも似ていて、まったく異なるものだ。
なんだか似てるんだか、似てないんだか、分からんな。
あんまりコンピューターに例える癖も、こういう肝心な時には、あまりうまく思い付かないのであった。
パソコン部の部室もといパソコン自習室。。
俺たちはここでも情報技術試験の勉強をしている。
他にもやることがあって、一つはタイピング練習だ。
今ではスマホ使いが多いとはいえ、プログラマは普通、パソコンを使う。
キー入力が早いにこしたことはない。
そして手元を見ないで体で暗記して、手に馴染ませて打つのが、タッチタイピングという技術だ。
昔はブラインドタッチとも言ったのだけど、和製英語だったりその単語の表現から徐々に使われなくなっている。
通信文といういわゆる「お知らせ文」と、エッセイみたいなペラいち枚の解説文がある。
解説文と俺が呼んでいるほうは速度問題というらしい。
俺もハルもキー入力は早いほうでワープロ検定でいう2級くらいなのだが、驚異的なのは部長の名浜キョウカである。
競技プログラミングをやっているだけあって、そのキータッチは見えないくらい。
そんなことあるかよって思うが、実在した。
これ以上は指が十四本くらいほしい。
そういうSFアニメがあったんだ。義体という全身が機械で指が機械的に展開していっぱいあるAIのオペレーターが出てきていた。
あれが理想だが、そんなことできるわけがない。
まあとにかくそのキョウカ先輩なんだか、普段は恐ろしいほどのやる気のなさでね。
「ブラックコーヒー」
「ああ、はい。今買ってきますね」
「よろぴっぴ~♪」
俺がパシリとしてコーヒーを買ってくる。
自分の甘い「たっぷりミルクコーヒー」も買ってくるついでだから大丈夫。
別に入部早々、いじめられているわけではない。
むしろ俺たちはネコ可愛がられていて、ことあるごとに頭を撫でられている。
先輩はものを頼むごとに、よろぴっぴ、である。
これがよろぴっぴの魔法で、ハルにも感染していて、たまに使うようになった。
ハルの声で言われると、とてもかわいい。
今日は缶コーヒーを買ったが、当たらなかった。
ここの学校内にある自動販売機は百円で、当たりつきなのだ。
よく当たるというのが評判で、これが学校七不思議の一番目なのだ。
他にも学校七不思議がある。
・なぜか五十メートルある学校プール。
・夜中の音楽室の自動演奏ピアノ。
・図書館のすぐ行方不明になる本、通称魔導書、グリモワール。
・誰も使った形跡がない、第三パソコン室。
・美術室の妙にリアルな少女像、ミューズ像。
・謎の校長室の隣の部屋、オフコンが置いてあるらしい。104号室。
そして七不思議なのに八番目の七不思議。塩凪工業の校舎そのものという噂だけが独り歩きし、その実態は誰も知らない。
という感じだそうだ。
なんだかわくわくするが俺たちはパソコン部であって、ワープロ部ではないし、もちろん探偵部でもないのであった。
休日。俺たちの班の五人は俺の家に集まる予定だった。
朝食を食べたあとくらいにさっそくハルがやってきた。
「えへへへ、来ちゃった」
「おはようハル」
「おはようございます、マナちゃん」
ハルは春ワンピース姿で可愛らしい。
中学三年間でだいぶ女の子らしくなった。
俺はまだまだでこれからが成長期なのだ。
ハルを家に上げる。テーブルに座り、お茶を出す。
我が県民なら緑茶が大好きなのも定番だ。
「ふぅ、お茶美味しい」
「一番茶の新茶にしたんだ、分かるか?」
「うん、なんとなく」
この季節が雨も少なくて暖かく、一番過ごしやすいかもしれない。
「今の時期設定でフルダイブしたいよ。はやく開発されないかな」
「ゲームで何するの? 戦闘?」
「いや、畑で薬草とか育ててさ、湖の近くのコテージでスローライフ」
「いいねぇ。私も誘ってよ」
「当たり前だろ、一人じゃ寂しい」
ハルと二人っきりの時間。
もう何年もこうして過ごしてきた。
中学で部活で忙しかった一時は少しこれでも疎遠になっていたのだ。
「ランダム性ってさ」
「なんだ? ラムネの話か」
「うん。ランダムの要件」
「推測されないこと。逆に言えば一見、法則性がないことかな。あと平均性っていうのか分からないけど、統計したときに、偏りがないことだね」
「ゼロから百で百回の平均が五十になるのが理想ってこと?」
「うん。なんかセキュリティーで使う場合にはもうちょっと細かいみたいなんだけどね。例えば十ずつ区切ってそれぞれの出現個数を数えたら一緒くらいになるとか。正規分布みたいに中央が多いとかなったら困るよね、偏りがあって」
「へぇ」
スマホで情報を出して説明する。
「普通、擬似ランダム関数を使う場合には、その種シード値というのを与えて、そこから一つ目、二つ目と値を取り出すんだけど」
「うんうん」
「このシード値が雑な現在時刻とかだと、攻撃者が推測出来ちゃうでしょ」
「あーそっか、シード値が一緒なら疑似ランダム関数なら答えが一緒だから」
「そういうこと」
「へぇ」
「最近はCPUとかにノイズを元にしたハードウェア乱数とかもある」
「セキュリティーとかで使えるね」
疑似乱数には、再現性が必要なシミュレーションとかで使うものと、セキュリティーのための推測不可能な値が欲しい場合とがある。
両者は本来異なるものなので違いを意識する必要があるらしい。
「時分秒じゃなくて、マイクロ秒とかナノ秒の部分だけ取り出す方法とかもあるにはある」
「へぇ、確かにそれなら推測されにくいかも」
これが正しいかは分からないが、時分秒よりはマシではある。
疑似乱数には線形合同法、メルセンヌ・ツイスターなどがある。
線形合同法は古典的なアルゴリズムで、グラフにすると周期性が見えることがある。ノコギリの歯みたいな形になったりする。
メルセンヌ・ツイスターは長周期なのが特徴で、ゲームなどでよく使われる。
「ふーん。疑似乱数にも色々あるんだ」
「うむ」
「人の関係性がランダムだったら、私とマナちゃんが出会う確率ってどれくらいなんだろうね」
「さぁ。そういう難しいことは分からん」
「そっか。でも天文学的だとして、運命だよね」
「そうかもしれん」
再び二人でお茶をすする。二人だけののどかな時間を過ごす。
話題は少し変だが、まあそれが俺たちらしくて、いいんじゃないかな。
ピーンポーン。
ナカチュウの二人がやってきた。
「おいっす」
「おじゃまします」
「あれあれ、本当にお邪魔だったか?」
「茶化すなし、まったく」
俺の後ろからハルが手を振るとナカチュウの二人とも少し顔を赤くする。
「ハルさん、おはようございます」
「遠藤さん、おはよう」
なんでナカチュウが照れてるんですかね。
うちのハルはあげませんよ。
「なんでござるか」
「ござるござる。二人っきりであんなことやこんなこと」
「ちゃうわい、やかましい」
「あはは、冗談」
「まったく、最近冗談になってないぜ」
「そうか? まあいいや、お邪魔します」
「お邪魔します」
今度こそ、カイとトウマが上がってくる。
テーブルにみんなでついて、俺たちもお茶をお代わりする。
「ふう、やっぱお茶だよな」
「ああ」
カイが一口ずずずとすすった。
「なんだっけ、ばあちゃんちから買ってるんだっけ」
「そそ。新茶を一年分、毎年の行事みたいなもん」
「へぇ」
親戚に山のほうでお茶屋をやっている人がいて、毎年購入している。
お茶栽培に適した山麓の南側斜面があるのだ。
ばあちゃんちにはその仲介をお願いしていて、もううちの恒例行事みたいになっている。
このお茶、実はちょっとだけ高級茶で、名の知れたものらしく、普通に店とかで売ってることもあるので、見つけるとビビる。
「さて、んじゃ勉強始めますか」
「うむ。ミウは午前中クッキー焼いてくるんだっけ」
「おう、そう言ってたぞ」
「そっか」
なんだカイのやつ、ミウとは素知らぬ関係かと思いきや、ちゃんとチャットとかで連絡はしてるんだな。
ただのクラスメートとの付き合いだと思っているのかもしれないが。
なんというかミウも変な奴を好きになったものだ。
「一次関数、二次関数、標準偏差、比例、反比例、とこんな感じか」
「まあ、グラフはこんなんかな。他にサイン、コサイン、タンジェント」
「あと、バスタブ曲線、ABC分析、ダニング=クルーガー効果とかもあるぞ」
「へえ」
バスタブ曲線はいわゆる故障率のグラフといわれるもので、最初高くて、すぐ低くなり、しばらく低い状態を保つ。ここがバスタブの底だ。そして一年とか五年とかで再び数値が上がってくる。
最初が初期不良、サポート期間、経年劣化という感じになっている。
ABC分析は放物線で斜め上に投げててっぺんまでのグラフというのか。
Aで七割程度、Bで二割、Cで残り一割になるようなグラフで、製品の種類と売り上げの積み上げグラフとして有名なものだ。
グラフそのものはパレート図と言われる。
世の中のほぼすべての人気や売り上げランキングとかはこの図に近い形をしているので、知っているとたまに理解を助ける。
ダニング=クルーガー効果というのは、時間と自己評価のグラフで、初心者で少しできると自分を過剰評価しがちで、その後やっぱダメだわ期間を経て、少しずつ自己評価が回復していく。
特に初心者にありがちな謎のできる感を表すものとして、有名だろうか。
いわゆるイキリやすいのも初心者特有で、俺たちもちょっとパソコンができるからといって、尊大にならず、自重しなければ。
「他にログ対数とかもあるっちゃあるが」
「そういうの何に使うんだ?」
「情報量エントロピーとか、あと計算量とかに使うはず。電気とか含めるとデシベルとか」
「あーデシベルね」
dBというのは、デシでデシリットルとか十倍を意味するデシ。ベルは対数の低が十という意味。
音の単位として有名だけど、無線ランとかで使う電波強度とかでも見かける。
人間の感覚はデシベルに近く、一に対して十が二倍だとすると、百が四倍のように感じるらしい、が細かいことはよく分からない。
この二倍、四倍という感覚に近い数値を扱うのがデシベルだと思う。
デジタル放送にBS放送、無線ラン、スマホの4GのLTE、5Gのように電波の規格も次々更新され、昔よりもさらに一般化してきているので、覚えておくに越したことはない。
昔にはポケベル、PHS、普通のガラケーの電波規格、3GのCDMAとかもあった。
試験には出ないかもしれないが、課金単位がパケット通信から、バイト単位になった点なども一応、押えておく。
昔は画像一枚でもけっこうな金額になった。
初期のガラケーではスタイルシートも使えず、表示する文字も横十文字くらいで制限がきつかった。
絵文字で表現して一バイト一文字でも削ったりしていたそうな。
ギガという言い方が普及して何年か経っているが、この進化もけっこうなものだ。
スマホは実質的に小さいパソコンみたいなもので、パケット通信ではなくIP通信が端末まできている点なども昔と違う。
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