第21話 「突如現れた男」
(何も感じない。どうなってる? 俺は死んだのか?)
少年は自分の状態がよくわからなかった。竜に喰われたはずなのに、痛みは感じない。
うっすらと目を開けた。ぼやけた視点が徐々に、明確になっていく。
そしてハッキリと見えて来た時、目の前には見知らぬ男が立っていた。
男は、深緑色のコートを纏い、腰にベルトを巻き、黒皮の手袋をしている。
ゆっくりと右側を向くと、竜が頭から金属の壁にめり込んで倒れていた。
ピクリとも動いていない。
後ろを振り向くと、扉が開かれていて、もう既に泣き叫ぶ人は誰もいなかった。
全く、状況が呑み込めなかった。前にいる男は何者なのか?
「お前は何者だ!」
高台の上にいるボスが驚き声で叫んでいる。
「おい、大丈夫か?」
目の前の男は上にいるボスを無視して、最小限の首の動きで、少年に訊いてくる。
頭が追い付かず、唖然としていて、何にも答えられなかった。
「お前は本当に運が良い奴だよ」
前の男は、ぼそっと声を漏らした。少年は何が何だかよくわからなかった。
「誰だか知らねえが、よくも台無しにしてくれたな!」
ボスはしびれを切らし、興奮した声を張り上げる。
そして、顔を醜くゆがめ、服の中に隠し持っていた銀の容器を取り出した。その容器の蓋を飛ばすように開け、黒く濁った液を弧を描くように宙まき散らした。
次の瞬間、液が空中でメラメラと燃え上がり、生き物ように動き出す。
ボスが右腕を上に掲げる。すると漂っている炎が、渦を巻いてボスの掲げた右手の先に集まり、膨れ上がるように肥大化していく。最終的に、人をゆうに飲み込む程の大きな火の玉になった。
少年のいる位置からでも、その火の塊の熱が伝わってくる。あんなものを受けたら火傷どころじゃない。
ボスの顔がさらに裂けるように歪んだ。
「死ね!」
ボスは火の玉を勢いよく前の男めがけて投げ飛ばしてくる。
少年は足が震え、動けず、屈んで身体をかばうことしかできなかった。
(殺される!)
「ハッ?」
ドンッ
一瞬聞こえた声と共に、ジュっと焼ける音と衝撃音が聞こえる。その衝撃が風になって少年の体に響いた。
(熱くない?)
不思議と熱さが感じなかった。
恐る恐る目を開けると、高台をえぐるように、周囲を焼け焦がしながらボスが燃えていた。
(ボスが放ったのに、どうして⁉)
ボスは、服の一部が焼け落ちて、顔や首筋などは火傷で黒く爛れている。
そして、目を見開き、困惑の表情をし、口を震わせていた。
目の前の男は微動だにしていない。
(い、いったい何が起きたんだ?)
「何かの間違いだ!」
正気を取り戻したボスは再び、焦げた服の裏から銀のボトルを取り出し、液を宙に撒いた。
液は着火し、踊り狂った。
ボスは、鬼の形相で両手を明一杯広げ、力んでいる。
今度は、炎は集まらず、散らばるように宙に点々と静止した。前一帯が火の球で埋め尽くされ、地獄のようにみえる。その場から逃げ出したい。
(逃げないと! 今度こそ終わりだ!)
やっと動いた足を必死に動かし、離れるように逃げる。しかし、もつれて、こけてしまう。思わず、後ろの状況を確認する。
「焼け焦げろ!」
罵声と共にボスは両手を前に振る。
火の玉が矢のようになり、目の前の男めがけて飛んでいく。
少年は、思わず目を見開いてしまう。
目の前の男に無数の火の矢が当た……。
(えっ……)
と思ったが、着弾のタイミングで、はじかれ、散らばるように火の矢が飛び散った。
ボスがいる方向に、火の矢が突き刺さり、バチバチと音と破壊音を立てる。
ボスにも被弾し、激痛で悲鳴を上げ、のたうち回っている。息を切らし、顔を黒く焦がしたボスの顔は、信じられないという絶望の表情である。
「お前達! 助けに来い!」
怖気づいたボスは、思わず、ここにはいない誰かに呼びかけるように必死に叫んだ。
しかし、全く応答がない。ボスは放心状態である。
「建物の外で寝てるよ」
前の男は、短く冷静に答えた。そして、やっと動き出した。
なんと、一蹴りで、ボスの元まで飛び上がり、距離を詰める。人間技じゃない……。
ボスは、情けない声をあげながら、慌てて、態勢を立て直し、懐のナイフを取り出す。
飛んできた男に向かって、闇雲に切りつける。
しかし、その攻撃は空を切った。
男は目にも留まらぬ速さで、しゃがんでかわしていたのである。
そして、一瞬にして勝負が決まった。
男の拳がボスの頬に直撃し、端の壁までぶっ飛ばした。
壁に激突したと同時に、大きな衝撃が建物を震わせる。
壁にぶち当たったボスの顔は、ひしゃげていて、惨く歪んでいる。口からは、泡を吹いて白目を向いていた。
ボスがぶち当たった壁が人型に凹んでる様子から、物凄い衝撃だったとわかる。
少年は生きた心地がしなかった。
人を呑み込む程の大きさの竜が壁際でピクリともしていない。恐ろしい火の魔法を扱うボスが一切太刀打ちできず、白目を向いている。全て、あの男の仕業……。絶対にやばい奴だと悟る。
そして、残るは少年だけだと気づく。その事実を知って、悪寒が走り、体が震えてくる。
コートの男は高台から降りて、少年の方へ近寄って来る。
(来るな! 化け物!)
声にならない叫びを放ち、這いずって逃げるように必死に後ろに下がった。
それでも、男はゆっくりと近づいて来る。
(来るな。来るな。来るな)
必死に下がる。
男は目の前までくる。
(もうだめだ!)
死を覚悟する。
「おい? 大丈夫か?」
少年には何も聞こえない。
「来るな! 化け物!」
震えた声で、細々と叫ぶ。
「落ち着けよ。俺はお前を助けに来たんだよ」
何を言っているのかわからなかった。
言葉が聞き取れず、少年は這うように後ろに下がった。しかし、とうとう壁に追い込まれてしまった。少年は、猛獣を前にした小動物のような目で、前の男を見る。
男は突然しゃがんだ。
「助けに来たって言っているだろ?」
やっと、言葉が聞き取れた。目の前の男は何もしてくる気配はない。
(助け……に来た?)
まだ、気が動転して、よくわからなかった。
しばらく手の震えは収まらなかった。少し経って、ようやく落ち着いてきた。
(……俺は……助かったのか……)
やっと正気に戻った。
「立てるか?」
男が手を伸ばしてくる。その手を恐る恐る掴み、ヨレヨレと立ち上がった。
「あとは……」
男は口を開きかける。
少年はやっとの思いで、蚊のような声を出す。
「どうして……」
「ん?」
「なんで、助けてくれるんだよ?」
さっきよりもマシな声が出せた。
男は、無表情で顔色一つ変えない。
しかし、静かに口を開いた。
「セロン……白い小さな竜がお前を助けたいって張り切っていたから」
「白い小さな竜……?」
驚きのあまり、声を漏らすように呟いた。
「そうだ」
短く答えた男は、少年を助けるに至った経緯を説明した。
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