03-作戦会議は、式の三日前に
式の最終打ち合わせを終えたばかりのカフェ。 剛はテーブルの上に、一枚の紙を広げた。それは披露宴の座席表のコピーだった。
「……で、ここだ。一番端の、F卓の4番」
剛が太い指でトン、と叩いた場所は、メインテーブルからも、新婦側の友人席からも遠い、会場の隅だった。向かいに座る美咲は、カフェラテのカップを両手で包みながら、その配置図を覗き込む。
「ずいぶん、端っこだね」
「あいつの性格、美咲ちゃんも知ってんだろ? いきなり君の隣になんか座らせてみろ。今のあいつは、ビビって逃げ出すか、式の最中ずっと貝みたいに口を閉ざすのがオチだ」
剛は呆れたように笑い、背もたれに深く体を預けた。
「あいつは今、自分のことを『敗戦処理のピッチャー』だと思ってる。『俺なんか』って卑屈になって、輝いてる場所から一番遠い影の中に隠れたがってるんだよ」
「……うん。想像つくよ」
美咲は寂しげに、けれど愛おしそうに目を細めた。
「だから、あえてその『影』を用意してやった。あいつが一番安心できる隠れ場所だ。……まさかそこが、君が待ち伏せする『マウンド』だとも知らずにな」
剛の悪戯っぽい言葉に、美咲はクスリと笑った。 これが、剛の描いたシナリオ。 啓太に逃げ場(ブルペン)を与えると見せかけて、最も油断しているところへ美咲を送り込む作戦だ。
「でも、剛くんも物好きだよね」
美咲はふと、真面目な顔で剛を見つめた。
「どうしてそこまでしてくれるの? 啓太、最近は仕事の愚痴ばっかりで、連絡も疎かになってたんでしょ?」
「まあな。会えば『辞めたい』『疲れた』のオンパレードだ」
「それでも、剛くんは啓太を見捨てない。……どうして?」
その問いに、剛は少し照れくさそうに鼻を擦った。そして、視線を窓の外に向け、ぽつりと語り出した。
「高校の時、あいつは天才肌のエースなんかじゃなかった。誰よりも不器用で、誰よりも球が荒れてて……誰よりも負けず嫌いだった」
剛の脳裏に、泥だらけで走り込みをしていた啓太の背中が浮かぶ。
「俺がなんであいつのキャッチャーをやってたか分かるか? あいつはな、どんなに打たれても、どんなに肩が痛くても、試合セットの合図が出るまで、絶対にマウンドを降りようとしなかったからだ」
剛は視線を美咲に戻した。
「今のあいつを見てみろよ。毎日終電まで働いて、理不尽なことで頭下げて、ボロボロになりながら……それでも、仕事(しあい)投げ出してねえだろ?」
美咲の胸に、その言葉が染み渡る。 そうだ。だから、彼を好きになったのだ。
「……私が好きになったのも、そこだったな」
美咲は遠くを見るような目で、十年前を思い出した。
「啓太はね、自分が『カッコいい』からモテてると思ってたみたいだけど、全然違うの。私が好きだったのは、彼が『カッコ悪い姿』を晒してでも、何かを守ろうと必死になってるところ」
十年前、別れ話の時に彼が言った『十年後に独り身なら結婚してやる』という約束。 あれは、未来への希望などではなく、彼なりの精一杯の「カッコつけ」であり、同時に「本当は一緒にいたかった」という弱音でもあったことを、美咲は理解していた。
「輝いてるから好きなんじゃない。泥だらけでも立ってるから、好きなんだよ」
美咲の確信に満ちた言葉に、剛はニカッと笑った。
「なら、話は早い。俺と美咲ちゃんの意見は一致してる」
剛は座席表を折り畳み、テーブルの上に置いたペンで、F卓4番の場所に赤い丸をつけた。
「今のあいつに必要なのは、休息じゃねえ。また立ち上がるための『理由』だ。……頼んだぞ、美咲ちゃん。俺はもうボールを受けてやれねえけど、君なら、あいつの暴投も受け止めてやれるだろ?」
「もちろん。……剛くんこそ、ナイスリードありがとう」
美咲が微笑むと、剛は「よせやい」と手を振って立ち上がった。
「さて、俺はこれから新婦のご機嫌取りだ。……当日は、盛大に空気を読まないからそのつもりでな」
「ふふ、期待してる」
店を出て行く剛の背中は、かつて扇の要としてチームを支えたキャッチャーそのものだった。そして、彼の作った最高のお膳立て(ゲームプラン)。
「あとは当日美咲ちゃんが、あの席でうつむいている元エースに、十年分の想いを込めた「ストライク」を見せつけるだけだな」
剛は振り向くこともせず、美咲に聴こえないほどの声で、呟いた。
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