第24話 Hexis Year 1 ―― 芽生えの一年

Hexis条約が結ばれてから、季節がひとつ巡った。


まだ“街”と呼ぶにはあまりにもガタガタで、

“村”と呼ぶにはあまりにも雑多で、

それでも確かにここには、昨日より今日のほうがにぎやかな――

そんな場所が出来上がりつつあった。


タケルは朝いちばん、まだ寝ぼけ眼のまま広場に出て、

目の前の光景を見て、その場で頭を抱えた。


「……平和なのに、毎日カオスだな。」


ドグーが淡く光る。


「本日の朝六時までに記録された衝突件数――十二件。

 内容:水の取り合い五件、木材の争奪三件、歌声のクレーム二件、

 “誰の家の前か論争”二件。順調です。」


「順調って言うな。」


広場の井戸の前では、人間の奥さんたちが言い争っていた。


「そっち、バケツ多くない!?

 順番守ってよ!」


「こっちだって洗濯が溜まってんの!

 あんたのところ昨日も先に汲んでたでしょ!」


その向こうでは、魔族の青年たちが木材の山を巡って揉めている。


「それ、うちの家の分だぞ!」

「そっちこそ、印つけてなかっただろ!」


そしてさらに奥からは、耳のいいエルフの抗議が飛んでくる。


「この水路、夜中までジャブジャブ音を立てすぎ!

 静寂区域にまで聞こえる!!」


タケルはため息を吐いた。


「……なんで“共存”ってこんなうるさいんだ……」


リリアンが、分厚い設計図の束を抱えて通りかかる。


「井戸の構造が原始的すぎるのよ。

 水量管理も、利用時間の分割も出来てない。

 水路は勝手にせき止めるし、魔族区画は湿度高すぎ、

 人間は音に敏感すぎ、エルフは静かすぎ!!」


タケルは思わず言った。


「常にキレてるよね!?」


ドグーが冷静に添える。


「リリアンのストレス指数:上昇中。」


「当たり前でしょ!

 この街で“ドワーフかつ魔術設計ができる専門家”なんて私一人なのよ!?

 仕事が全部ここに集まってくるの!!」


リリアンは、唯一のドワーフだ。

だから、ドワーフに向けられる期待と偏見と好奇心が、すべて彼女一人に刺さる。


「昨日なんて、エルフの青年に

 『ドワーフ族は鍛冶と建築の神に愛されているのだろう?』

 って言われたのよ。私は魔術師よ!? 槌なんか振れないわよ!!」


「まあまあ……」


「笑ってごまかさないでよ、タケル。」


混沌としてはいる。

だが、誰もここを捨てようとはしなかった。


それだけは、この一年でタケルが学んだ事実だった。


◇ ◇ ◇


混乱を少しでも減らすために作られたものが、

Hexis学校だった。


街の真ん中、広場に面した少し高い場所。

リリアンが石と木で組み上げた簡素な二階建ての建物に、

朝から子どもたちが集まってくる。


人間の子、魔族の子、耳の長いエルフの少年少女、

どれにも属しきれないハーフたち。

色も体つきも様々な子らが、同じ扉をくぐる。


タケルは教室の前に立ち、深呼吸をした。


「……よし。今日はちゃんと先生やるぞ、俺。」


「タケルの教師適性――前回評価二十八%。

 本日は改善の余地があります。」とドグー。


「そういうことは黙って見守れ!」


教室の中は、すでにちょっとした戦場だった。


魔族の少年が、机の上に大きな絵を描いている。


「字、むずかしい。

 こっちのほうが分かりやすい。」


隣の人間の女の子が、眉をひそめる。


「文字で書かないと読めないでしょ!

 絵だけだと、後から分かんなくなるんだから!」


その後ろでは、エルフの青年が、静かに目を閉じている。


「声が多い……この部屋は……ノイズが……」


ノーミは不安そうに壁際で色を揺らしながら、

それでも懸命に椅子に座ろうとしていた。


タケルは前に立ち、手を叩いた。


「はーい、一旦静かに!」


全員の視線が集まる。その圧にタケルの胃がきゅっと縮んだ。


「えっと……ここは、

 みんなが“同じ言葉で話す練習”をする場所だ。」


魔族の子が不満そうに手を挙げる。


「なんで“線”だけで言葉書くの?

 歌や絵のほうがぜったい伝わる。」


タケルは苦笑しながら答える。


「歌と絵はいいよ。すごくいい。

 でも、“遠くの誰か”に伝えたい時、音も絵も届かないだろ。

 だから“線だけの印”が生まれたんだ。」


エルフの青年が、ゆっくりと目を開ける。


「私たちは、森で“沈黙”を聞く。

 風の振動で意味を感じる。

 印は……まだ慣れない。」


「まあ、慣れだよ、慣れ。」


タケルは黒板に大きく「Hexis」と書いた。


「ほら。この線の集まりを見ただけで、

 ここにいるみんなは“この街”のことを思い浮かべるだろ?

 それが文字だ。」


教室のあちこちで、子どもたちの色や表情が変わる。


ピリカが袖を引っ張る。


「タケル先生、今のはちょっとかっこよかったです!」


「“先生”って呼ぶな、こそばゆい……」


授業が始まれば始まったで、事件は尽きない。


人間の子は教科書に落書きし、

魔族の子は机を囓り(硬い感触が好きらしい)、

エルフの青年は静かすぎて存在感が薄くなる、


リリアンは隅の席で魔術基礎のプリントを配りながら、

頭を抱えていた。


「なんで“魔力は危険だから授業で使うな”って言ってるのに、

 机に刻印して火花を散らすのよ!!

 修復するの、全部こっちなんだから!!」


「すみませぇぇん!!」とグルが泣きながら謝る。


授業とは、忍耐だとタケルは悟りかけていた。


◇ ◇ ◇


街の外では、街の“からだ”を作る作業も続いていた。


水路は日々延長され、

レーヴァの涙から生まれた花々は、

農地に柔らかな光と微弱な魔力を与えていた。


イリスの精霊たちは、時々はしゃぎすぎて、

トマトの苗を一晩で森の大木くらいに育ててしまう。


「……精霊たちが、張り切りすぎたみたい。」とイリス。


育ちすぎた根は絡まり合い、

かえって作物が枯れかける。


「じゃ、じゃあオレが畑広げてくるッス!!」

グルは涙目のまま岩場へ走っていき、

号泣しながら槌を振るう。


ゴン。

ゴン。

ゴン。


硬い岩盤が、泣き声混じりの一撃で砕けていく。


「グル、泣きながら岩砕くのやめろ。

 ホラーだから。」とタケル。


「だってぇぇ……っ、岩固いしぃぃ……っ、

 でもみんなの畑のためにぃぃ……っ」


「いいやつなんだけどさぁ……」


リリアンは、唯一のドワーフとして、

建物の基礎や水路の勾配を見て回り続けていた。


「ここ、角度が足りない。

 このままだと水が淀んで腐るわよ。」


「こっちは逆に傾きすぎてます。

 人が転びます。」とドグー。


「わかってるわよ! 今まさに修正しようとしてるの!」


リリアンの怒鳴り声は、

Hexisの一年目の日常風景の一部になりつつあった。 


◇ ◇ ◇


ある日の放課後。

子どもたちが校舎からわらわらと飛び出していき、

広場の喧騒が一度落ち着くころ。


タケルは、少し離れた小屋を訪ねていた。


そこは、グレンの商会の仮事務所だった。


まだ壁も天井も粗末だが、

中にはすでに帳簿や木箱が整然と積まれている。


「よぉ。忙しそうだな。」


グレンは顔を上げ、口元だけで笑った。


「見ての通りさ。

 人が増えれば、物も金も動く。

 こっちは増える数字とにらめっこだ。」


彼の手元には、厚い帳面が広がっている。

品目、数量、受け取り主、支払われた対価――

一つ一つが、丁寧な字で記録されていた。


タケルは隣に腰をおろす。


「ちゃんと“記録”してんだな。」


「当たり前だ。

 でなきゃ商売なんてできねぇよ。」


ドグーが興味深そうに光る。


「現状、グレン商会の記録方式は“単式記帳”です。

 収入と支出が片側に並ぶ形。

 しかし、今後事業規模が拡大した場合――」


グレンが眉をひそめる。


「おい、その“たんしき”とかいうのはなんだ。

 またどこかの学院の言葉か?」


タケルは少し考え、膝を叩いた。


「……なぁグレン。

 ちょっと“お金の数え方”の話、してみない?」


「なんだよ急に。

 ケチつけるなら聞かねぇぞ。」


「ケチじゃない。

 将来の話だ。」


タケルは一本の炭筆を取り、

帳面とは別の紙に線を引いた。


「今のお前は、“入ったもの”と“出てったもの”を

 ただ順番に並べてるよな。」


「そうだが、それで何が悪い。」


「悪くはない。

 でも……“街全体を回す”には足りない。」


グレンが目を細める。


「……続きを聞こう。」


ドグーが横から淡々と補足する。


「タケル、説明モードに入ります。」


「黙って聞いてろ。」


紙の中央に、タケルは一本の縦線を引いた。


「ここを“真ん中”にして、

 左側を“入ってきたもの”、

 右側を“その分、誰に何を約束したか”って考える。」


グレンは腕を組む。


「……帳簿を、半分に割るってことか?」


「そう。

 例えば、お前が魔族の商隊から木材を仕入れたとする。」


タケルは左側に「木材+100束」と書き、

右側に「魔族商隊への支払いの約束」と記した。


「実際に金を払っていなくても、

 ここに“約束”って記録しておけば、

 後から見ても“何をどれだけ背負ってるか”が分かる。」


グレンの目が、少しずつ真剣になっていく。


「つまり、“今ある物”と“今しなきゃならない支払い”が

 一枚の紙で分かるってわけだな。」


「そういうこと。

 そして、全部の取引を“両側に書く”。

 左に何か書いたら、右にも必ず何かを書く。

 常に“左右が釣り合ってる”状態を保つ。」


ドグーが続ける。


「これにより、“今あるものの総量”と“誰への約束の総量”が

 常に一致していることを確認できます。

 誤差が出たときはどこかに記録ミスがある。」


「つまり、“嘘ついてる場所”がすぐ分かるわけだ。」


グレンの口元が、にやりと歪む。


「なるほどな……それは、いい。」


 


タケルはもう一枚、紙を取り出した。


「で、もう一歩進んだ話をしようか。」


「まだあるのか。」


「ここからが、本当に街を動かす話だ。」


タケルは、今度は「預かり金」と記した枠を書いた。


「例えば、お前の商会に“お金を預けたい”って人が現れるとする。

 この街の連中は、まだ“貯める”って感覚に慣れてないけど……

 これからきっと出てくる。」


グレンはうなずく。


「家を建てたい、店を持ちたい、

 でも今は全部の金がない、ってやつらだな。」


「そう。

 そういう人から金を預かるとする。」


タケルは左側に「金貨+100枚」、

右側に「預かり金(○○さん)」と書いた。


「預けた本人から見れば、“金貨の持ち主”は自分のままだ。

 でも、実際の金貨はお前のところにある。」


ドグーが説明を補う。


「この状態で、別の誰かに“お金を貸す”とどうなるか。」


タケルは、別行の左に「貸付金+80枚」、

右に「利子付きで返してもらう約束」と書き込む。


「ここで重要なのは、“預けた人の『百枚ある』という感覚”も、

 “借りた人の『八十枚手に入った』という感覚”も、

 両方が同時に存在してるってことだ。」


グレンの眉がぴくりと動く。


「待て。

 実際の金は百枚しかないのに、

 感覚としては百八十枚動いてるってことか?」


「そう。

 これを“信用でお金を増やす仕組み”って呼ぶ。」


タケルは軽く笑う。


「もちろん、やりすぎりゃ破綻する。

 でも、慎重に回せば、

 “今はまだ稼いでない誰か”の未来の仕事を、

 今この街に引っ張ってこられる。」


ドグーが、やはり簡潔にまとめる。


「未来の労働と価値を“先取り”する技術です。

 Hexis全体が大きくなる速度を、加速させます。」


グレンはしばらく黙っていた。


手元の紙を見つめ、

タケルの書いた左右の数字と矢印を何度も追いかける。


やがて、低く笑った。


「……すげぇ話だな。」


タケルは首をかしげる。


「あんまりいい顔じゃないな。」


「いや、最高だよ。」


グレンは立ち上がった。

目の奥に、商人特有の“燃え方”が宿っている。


「つまり――

 “まっとうに働く気があるやつ”には、

 今持ってない分も使わせてやれるってことだ。」


「まあ、そういう理解で、だいたい合ってる。」


「なら、やる価値がある。」


グレンは指を折りながら数え始めた。


「家を建てたい魔族の若者。

 店を持ちたい人間の夫婦。

 森から出たいエルフの職人……

 そういう連中に少しずつ貸して、

 代わりに“この街で働く約束”をもらう。」


タケルはうなずいた。


「働けば、街が豊かになる。

 街が豊かになれば、借りたやつも返せる。

 返せれば、また別の誰かを助けられる。」


「うん。

 “魔物から奪ってきた財宝”で動く街じゃなくて、

 “ここで働いた分だけ膨らんでく街”ができる。」


グレンの声には、いつになく静かな熱があった。


「お前、こういう話がしたくて

 Hexisなんてものをやってるんだろ。」


タケルは少し黙って、

それから照れくさそうに笑った。


「……たぶん、そうだな。」


ドグーが小さく光った。


「新たな定義を提案。

 Hexis:

 “祈りの代わりに信用で膨らむ街”。」


「いや、その言い方なんか怖いからやめて。」


三人の笑い声が、狭い事務所に響いた。


ここで交わされた紙切れの上の線と数字が、

後々、Hexisの爆発的な発展を支える基礎になることを――

この時は誰も、まだ知らなかった。


◇ ◇ ◇


日々の混乱は続き、

それでも一年は確実に過ぎていった。


Hexis学校では、

最初はちんぷんかんぷんだった文字も、

いつの間にか魔族の子どもがエルフの青年に教えるようになり、


サラの食堂では、

魔族向けの辛い煮込みと人間向けの素朴なスープが、

いつの間にか“混ざった定食”として出されるようになり、


レーヴァの涙花は、

畑の端で静かに咲きながら、

子どもたちが泣いたり笑ったりするたびに

少しずつ数を増やしていった。


イリスの精霊たちは、

相変わらず畑で張り切りすぎることもあったが、

最近ではノーミがそっと色を変えて

「今は休んで」と伝えられるようになっていた。


タケルは、

その全部を見届けながら、

毎晩焚き火のそばで、

ドグーと今日の出来事を振り返るのが日課になっていた。


「今日も、授業中に机が一台燃えた。」


「魔術安全教育カリキュラムの見直しを推奨します。」


「グレンが、“借金ノート”を作り始めた。

 みんな、少しずつ“未来のために金を借りる”って感覚を覚え始めてる。」


「信用残高――増加傾向です。」


「サラさんは、毎日忙しそうだけど……

 それでも、あの顔で『楽しいよ』って言うんだよな。」


「サラの幸福指数――高値安定。」


「……こうして振り返ると、

 この一年、ほんといろいろあったな。」


ドグーは少しだけ光を弱めた。


「Hexis Year 1。

 この一年で、“都市としての芽”は出揃いました。」


タケルは夜空を見上げた。

星が、Hexisの灯と重なって瞬いている。


「ここからだよな。」


「はい。ここからです。」


その夜、レーヴァは

涙花の中からひとつだけ、特別に光る花を摘み、

Hexis学校の窓辺にそっと置いた。


「……この一年、みんな、よくがんばりました。」


ノーミは教室の壁にもたれ、

揺らぎを静かな緑に落ち着かせながら、

誰もいない教室を見回した。


「ここが……私の“名前”の場所……」


イリスは森の縁から街を見下ろし、

静かに息を吐いた。


「混ざる街は……時代を変える。」


リリアンは分厚い設計図の束を抱え、

げんなりした顔で呟く。


「……これ、全部、第二期工事分か……。

 でも……

 ま、嫌いじゃないわ、こういう忙しさ。」


グルは涙目で槌を磨きながら、

鼻をすすった。


「オレ……泣きながら岩砕いて、泣きながら畑広げて、

 泣きながら授業受けた一年だったッスけど……

 でも……すげぇ楽しかったッス……!」


タケルは焚き火の前で、

小さく呟いた。


「Hexis Year 1。

 最初の一年にしては……

 上出来も上出来だよ。」


ドグーが静かに結論を述べる。


「都市成長率――順調。

 Hexisは、“物語を持つ街”としての土台を獲得しました。」


祈りだけに頼る森は終わり、

ためらいと信用と笑い声で膨らむ街が、

ゆっくりと、しかし確かに歩き出していた。


それが、Hexisの“一年目”の物語だった。

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