第14話 腹ペコ司令官と虚ろな矢

 南辺境地へ向かう街道は、思っていた以上に荒れていた。


 雪は踏み固められず、ところどころでぬかるみ、古い車輪の跡と、途切れた足跡が交錯している。


 灰色の雲が低く垂れこめ、遠くの森は白く煙ったように見えた。


 タケルはマントの襟を立てながら、ため息をつく。


「……いや、寒いし、暗いし、人いないし……

 “開発対象地です!”って言うにはだいぶ殺風景じゃない?」


 隣を歩く土偶――ドグーが、いつもの淡々とした声で答える。


「現状の南辺境地、人口密度は王都の二十五分の一。

 治安指数、王都比マイナス六〇ポイント。

 “未開発”という表現は妥当です。」


「数字で言われると余計しんどいな……」


 その後ろを、十名の王国騎士が、鎧の音を立てながら歩いていた。


 軍靴が雪を踏み、白い息が一斉に上がる。


「しかし……」

 騎士の一人が、小声で言った。

「こんな辺境に、本当に“新しい都市”を作るつもりなのか……?」


「それに、あの土偶だ。魔物より怖い」


 ひそひそ声が背中に刺さる。


 タケルは聞こえないふりをしながら、前を向いた。


(……まあ、怖いよな。

 土偶と一緒に新都市建てるとか、普通に怪しいよな……)


 前方を歩くセレスが振り返り、騎士たちを一喝する。


「私語は慎め。

 我々は王命に従い護衛任務に就く――それだけだ。」


「はっ!」


 背筋が一斉に伸びる。


 その少し後ろで、シオンがそっとタケルの横に並んだ。


「タケル様。

 ……緊張、していますか?」


「ちょっとな。

 これからの“街づくり”が、ここから全部始まると思うと。」


 タケルは笑ってみせる。


「まあ、最初の一歩は、だいたい泥だらけって相場が決まってるし。」


「ふふ……

 その泥だらけを、少しずつ整えるのが、きっと私たちの仕事ですね。」


 シオンの笑顔は、寒さの中でやけに温かく見えた。


 そんな中――


 ドグーの目が、淡い光を帯びる。


「前方、魔力残滓を検出。

 属性:闇。

 強度:高位。

 警戒を推奨。」


「闇属性……?」


 リリアンが、マントのフードを少し下げ、金色の瞳を細める。


「ほう……

 この辺りに“高位魔術師”なんていたかしら。」


 セレスの表情が険しくなった。


「全員、止まれ。」


 行軍が止まり、騎士たちが手を武器にかける。


 前方には、朽ちかけた木造の家が数軒、歪んだ形で並んでいた。


 窓は割れ、扉は外れ、雪が積もった廃村。


 その村の入口付近――


 黒い影が一つ、ふらふらと立っていた。


 深い闇色の肌。

 長く尖った耳。

 肩まで届く、乱れた白銀の髪。


 雪の上に足を取られながら、今にも倒れそうな様子でこちらを見ている。


 ドグーが告げる。


「種族推定――ダークエルフ。

 魔族側高位戦力の可能性あり。」


 セレスの顔色が変わった。


「……タケル、下がれ。」


「え?」


 タケルが返事をするより早く、セレスは杖を構えていた。


「光精霊よ、矢となりて――

 闇を射抜け。」


 空気が軋み、黄金の矢が三本、閃光となって走る。


 騎士たちが息を呑んだ。


「お、おい……!?」

「いきなり撃つのか!?」


 光の矢は一直線に、ダークエルフの胸元へ―


 その瞬間。


 彼女の足元に、黒い“波”が走った。


 音もなく、色もなく。


 ただ、世界の“線”が一瞬、ぐにゃりと歪む。


 タケルには、そう見えた。


「……え?」


 光の矢が、その黒い波に触れた刹那―


 何もなかった。


 炸裂も、爆音も、火花もない。


 矢は、撃たれる前から存在しなかったかのように、きれいに消えていた。


「……は?」


 タケルが思わず声を漏らす横で、騎士たちがざわめいた。


「矢が、消えた……!?」

「防がれたんじゃない……最初から“なかった”みたいな……」


 セレスは、顔を引きつらせながら杖を握りしめる。


「……“虚”……だと……?」


 リリアンの瞳がぎらりと光った。


「今の……

 反射でも、相殺でも、盾でもない……

 “因果”ごと消した……?

 やっぱり……虚フィールド……!」


 ドグーが解析結果を告げる。


「観測:

 光矢の軌跡ログが欠落。

 セレスの筋肉運動と魔力消費は記録されていますが、

 “矢が存在した事実”だけが抜け落ちています。」


「矢を撃った記録だけ消すって何その怖い仕様!?」

 タケルが叫ぶ。


 だが当のダークエルフは――


 虚フィールドを展開した直後、ぐらりとバランスを崩し、その場に膝をついた。


「……っ……くそ……

 三日も飯食ってねぇのに……

 無理して……虚なんざ……張るんじゃ……なかった……」


 そのまま、前のめりに雪の上に倒れ込む。


「ちょっと待て!!

 理由が思ったより生活感ある!!」


 タケルは思わず駆け寄ろうとした。


「タケル、近づくな!」

 セレスが叫ぶ。

「そいつは魔族軍の司令官――“虚のリリー”だ!

 因果をなかったことにする存在だぞ! 消される!」


「“消される”ってワードが重いんだよ!!」


 ドグーが告げる。


「魔力残量――零・四パーセント。

 生命活動は辛うじて維持。

 空腹と疲労による限界状態と推測。」


「やっぱり腹かよ!!」


 タケルは制止も聞かず、倒れたダークエルフ――リリーへ駆け寄る。


「おい、大丈夫か!? 生きてるか!?」


 雪に顔を伏せていた彼女が、ゆっくりと目を開けた。


 金色の瞳が、重たげにタケルを捉える。


「……うるさい声……だな……

 今、頭に響く……」


「生きてる! よかった!」


「良くねぇ……

 三日くらい……まともに食ってねぇ……

 魔力も……すっからかんで……

 動けねぇ……

 だから……そんな大声出すなら……」


 リリーは、タケルの胸倉を弱々しくつまみ上げるようにして、かすれ声で言った。


「……食物を……持ってこい……」


「結局そこかよ!!!」


 後ろで騎士団がざわつく。


「ま、魔族の司令官が……飢えで倒れてる……?」

「そんな間抜けな話が……!」


 セレスはなおも警戒を解かない。


「タケル、近づくなと言っている!

 腹が減っていようと、“虚”は虚だ!

 因果ごと消される危険は変わらない!」


「いや、どう見ても消す前に倒れてたけど!?」


 シオンがそっとタケルの横に膝をついた。


「……脈は、かすかですが、あります。

 皮膚の冷えもひどいです……

 このままでは、本当に……」


「死ぬよな。」


 リリアンは少し距離を取りながら、魔力の流れを観察していた。


「虚フィールドの残響……

 さっきの一瞬で三連展開した痕がある。

 たぶん、ここに来る前に大規模な因果操作をしてる。

 魔力枯渇も納得、ってわけ。」


「つまり“本物”の虚使いってことか……」

 タケルは唾を飲み込む。


 それでも――


 雪に顔を伏せながら、震える指で自分の腹を押さえるダークエルフを前にして、


(……このまま見捨てるのか?)


 その問いは、もう答えが決まっているものだった。


「タケル。」

 ドグーが淡々と告げる。

「彼女の救助は非効率です。

 魔族軍司令官を助けることで、王国側からの信頼を失う可能性が高い。

 あなたの“Hexis計画”の成功率は一四%低下します。」


「具体的だな、おい。」


「王国騎士団の心証も悪化します。

 ここで関係を維持するほうが――」


「うるせぇ。」


 タケルは、腰の袋から固いパンを取り出した。


 旅の保存食だ。


「おい。

 食えるか?」


 リリーが、ゆっくりと顔を上げる。


 金色の瞳が、乾いた砂漠みたいに揺れている。


「……それ……

 マジで……食っていいのか……?」


「いいから食え。」


 タケルは、パンをそっと握らせる。


 リリーは震える手でそれを掴むと、


「…………っ」


 一拍置いて――


 豪快にかじりついた。


「もぐっ……もぐもぐもぐもぐもぐもぐ……!」


「咀嚼速度、通常の一・七倍。

 極度の飢餓状態です。」


「黙って見てろドグー!!」


「いやぁ……さすがだねタケル。

 見ず知らずの魔族に飯を出す度胸は尊敬するけど――」


グレンは荷車を指で弾き、笑った。


セレスは額に手を当てて言った。


「……タケル。

 お前は本当に……

 敵か味方かもわからぬ存在に、迷いなく食物を与えるのだな……」


「だって腹減ってるんだぞ?

 それで死なれたら寝覚め悪いだろ。」


 その言葉に、シオンがぱちりと瞬きをした。


「……やっぱり、タケル様は。

 “そういう方”なのですね。」


 リリアンは苦笑しながらメモを走らせる。


「“敵味方より、目の前の飢餓を優先する人間”。

 うん、タケルのためらい(Δt)データ、また面白いところが増えた。」


「人を実験サンプルみたいに言うな!!」


 パンを半分ほど食べたところで、リリーの呼吸が少し落ち着いてきた。


 頬にうっすら血色が戻る。


「……ふぅ……

 死ぬかと思った……

 いや、八割方死んでた……」


「そんなギリギリだったの!?」


 リリーはゆっくりと身を起こし、タケルをじっと見つめた。


「……人間。

 名前は。」


「タケル。」


「タケル、ね……

 覚えた。」


 リリーは、残り半分のパンを片手に立ち上がろうとする――が。


 足がふらつき、よろけた。


 タケルが慌てて支える。


「おいおい。

 まだちゃんと立てねぇだろ。」


「うるせぇ……

 魔族の女は強く、逞しく、しなやかでなきゃならねぇんだよ……

 いつまでも地面に転がってられるか……」


 そう言いつつ、しっかりタケルの腕に体重を預けている。


「全然逞しくねぇな!?」


 セレスが、じりじりと距離を詰めながら言う。


「……虚のリリー。

 お前がこの辺境にいるということは、

 魔族側の動きも相当だということだな。」


 リリーは鼻で笑った。


「さあな。

 質問は高級飯を奢ってからにしてくれ。」


「お前、さっき死にかけてなかった!?!?」


 リリアンが口を挟む。


「でもさっきの虚フィールド、

 “矢を撃った事実ごと無効化”してたよね。

 あれ、どのくらいの範囲で使えるの?」


「答えるわけねぇだろ、物騒な研究者め。」


「物騒はお互い様だよ。」


 そのとき――


 森の奥から、雪を蹴立てるような足音が近づいてきた。


 バサバサと枝が揺れ、息を切らした影が飛び出してくる。


 灰緑色の肌。

 まだ幼さの残る顔。

 粗末な革鎧と、短い槍。


 若いオークの少年だった。


「――姉さん!!

 ここにいた!!」


 リリーが振り返る。


「……グル?」


 少年――グルは、肩で息をしながら、目を見開いた。


「よ、よかった……!

 生きてた……!

 てっきり腹減って死んだかと……!」


「お前、私をなんだと思ってんだ。」


 タケルが思わず突っ込む。


 セレスは即座に剣の柄に手をかけた。


「オーク……!

 魔族の斥候か!」


 騎士たちも構える。


「魔族だ! 敵だぞ!」

「二人揃っているなら危険すぎる!」


 グルはびくっと肩を震わせたが、リリーを見て叫んだ。


「姉さん、やばいっすよ!!

 マジでやばいっす!!

 早く街に戻らないと――全滅だ!!」


 その言葉に、空気が凍りついた。


「……全滅?」

 リリーの表情から、冗談めいた色が消える。


「冗談に聞こえるか?」

 グルは震える声で続けた。

「姉さんが殿やってくれたから、

 一度はみんな逃げられたんすよ……

 でも……魔物の群れが、そのまま街まで押し寄せてきて……

 もう城壁も限界で……

 このままだと、本当に……全滅だ……!」


 シオンが口元を押さえる。


「……そんな……」


 リリアンは、ペンを止めた。


「魔物の群れが“街レベル”を包囲……

 規模がおかしいね。」


 セレスはリリーを睨みつける。


「……お前、魔族の街を拠点にしているのか。」


「うるさいよ。」

 リリーはパンを握りしめた拳を震わせる。

「たまたま逃げ場をなくした連中が集まっただけの場所だ。

 “街”なんて大層なもんじゃねぇ。」


「だが、お前にとっては――仲間だろう?」


 タケルの問いに、リリーは舌打ちした。


「……ああ、クソ。

 そうだよ。

 そこで勝手に暮らしてる馬鹿共が――

 今、死にそうなんだ。」


 グルが叫ぶ。


「姉さん!

 ここでぐだぐだ話してる時間ないっす!

 一秒でも早く戻らないと――!」


 リリーは一度だけ、大きく息を吐いた。


 そして、タケルをちらと見やる。


「……タケル。」


「なんだよ。」


「さっきのパン。

 命の借りだ。

 返すつもりだったが……

 ちょっと後回しになりそうだ。」


「後回し前提なんだな。」


 リリーは、ほんのわずかだけ口元を歪める。


「……無事で戻れたら、そのとき改めて返す。

 だからさっさと帰って、

 “人間の街づくり”でもしてな。」


 言い終えると同時に、

 彼女の周囲の空気が、わずかにざらりと揺れた。


「おい、待て――」


 タケルが手を伸ばしたときには、

 リリーの姿は、もう十歩先の雪の上に移動していた。


 虚フィールドによる“距離のすり替え”。


 まだ魔力は完全には戻っていないはずだが、

 意地と根性で無理やり使っているのが見て取れる。


「姉さん、無茶すんなよ!」

 グルも慌ててその後を追う。


 雪煙を上げ、二人の姿は森の中へ消えていった。


 静寂。


 白い息だけが、辺りに残る。


 ドグーが、ぽつりと言った。


「大規模戦闘の予兆。

 “南辺境地の危機”は、予測時刻より前倒しされています。」


 セレスが、タケルを振り返る。


「タケル。

 今のを見たな。

 あれが“虚のリリー”だ。

 味方にすれば心強いが、敵に回れば――王都が一つ消し飛ぶ。」


「物騒な例えだな。」


「だからこそ言う。

 これ以上、彼女と深入りするな。

 王国の立場から見れば、お前はもうギリギリだ。」


 タケルは一瞬だけ目を閉じ、

 深く息を吸い込んだ。


(……どうせ、放っておくつもりなんて、最初からなかったけどな。)


「ドグー。」


「はい。」


「南辺境地の魔物の数と、

 予想される戦場の規模、出せるか?」


「可能です。

 魔力反応と過去データから推定――」


 数字が淡くドグーの体表に浮かび上がる。


 シオンが、不安そうにタケルを見る。


「タケル様……

 行くのですか?」


「行かなきゃ、たぶん後悔する。」


 タケルは笑ってみせた。


「せっかく街を作るならさ。

 “見捨てた場所の先”に作るんじゃなくて、

 “見捨てなかった結果として”作りたいだろ。」


 リリアンがくすりと笑う。


「やっぱり、タケルはそうじゃないとね。

 そうじゃなきゃ研究対象として面白くない。」


「お前、結局そこかよ。」


 セレスは大きく嘆息する。


「……分かっていた。

 お前がそう言うことぐらい。

 王都に戻ったら……面倒な報告になりそうだ。」


「ごめんな。」


「謝るくらいなら、死ぬな。」


 シオンは胸の前で手を合わせる。


「神よ……

 どうか、この“揺らぎ”を見守ってください。」


 ドグーの目が淡く光る。


「Hexisチーム――

 目的地更新。

 目標:南辺境魔族街の生存者保護、および状況観測。」


「勝手にチーム名決めるな。」


「タケルのためらい(Δt)に基づく更新です。」


「余計なこと言うな!!」


 騎士団の隊長が、一歩前に出た。


「……タケル殿。

 王命は南辺境地の視察――

 だが、魔物の大群が街を襲っているとあれば、

 見過ごすわけにもいかぬ。」


 彼は一拍置いて、頭を下げた。


「我ら王国騎士団十名、

 あなたの判断に従う。」


「……いいのか?」


「“人間か魔族か”などと、

 今さら選んでいる余裕はないのだろう?」


 タケルは、少しだけ嬉しくなった。


「じゃあ――行こうか。」


 南辺境地。

 魔族の街。

 虚のリリー。

 魔物の群れ。


 そして、その先に――


 まだ誰も知らない“Hexis”の姿が、かすかに揺らめいているような気がした。


「行くぞ、ドグー。」


「了解。

 タケル。

 あなたの非効率な選択が、

 どんな因果を生むのか――観測を開始します。」


「言い方ァ!!」


 白い息を吐きながら、タケルたちは森の奥へと歩き出した。


 ――次の瞬間、彼らを待つのは、

 魔物の咆哮と、虚ろな黒の波、

 そして、燃え上がる“街を守りたい”という、

 あまりにも人間くさい願いだった。

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