第9話 桂木雪花




「い、いやぁ……わざわざ迎えに来てもらって悪かったなぁ……」

「つーん」


12時間の長旅の末、成田に着いたときにはもう夕陽が街を覆っていた。


ヴァイオリンケースを肩に担ぎながら、のそのそと人混みに溶け込もうとした俺の前に現れたのは、2シーターのやけに燃費の悪そうな車だった。

とんだ物好きがいたものだと鼻で笑っていたのだが、そいつはあろうことか俺を車に放り込み、そのまま発進したのだ。


「あ、あのぅ……雪花さん……?」

「つーん」


そして今、愛しのお兄様を無視して、謎の擬音を発しながら運転を続けるコイツは、俺の双子の妹――桂木雪花かつらぎせつかだ。

俺と同じジュリアード音楽院の元生徒で、ピアノを専攻している。


昔はご近所でも有名なブラコン妹だったのに、気がつけば「兄さん掃除の邪魔、どっか行って」だの「兄さんとお風呂? 笑えない冗談ですね」などと、イタリアンマフィアも尻尾を巻いて逃げ出す面構えに変貌していた。

お兄様お兄様と言って、何をするにも俺の後ろをつけてきたあの頃の面影は、今のところどこにもない。


「え、えーと……ごめんなさい?」

「つーん」

「んだよ、その態度は。そんなに俺が悪いのか、ああン? 確かに一緒の飛行機で帰る約束はしたが、こっちにも事情があったんだよオラァ」

「……………………」

「冗談ですほんとすみませんでした。土下座でも何でもするんで、そろそろ勘弁してもらえないでしょうか……」


鬼のような無言の圧に屈し、早々に全面降伏に入るお兄様。


音楽と金儲けに特化した俺とは違い、雪花は基本的になんでも完璧以上にこなすジェネラリストである。両親が年中不在な俺にとっては、もはや家長にあたる人物であり、あくまで逆らおうものなら俺はすぐに家をおン出され、あっという間に行路病人に成り果てるのだ。


「……分かりました。今回に限り、許してあげます」

「いや、ほんと申し訳ない……」

「兄さんの非常識さは今に始まったことではないですが、何で急にオーストリアに行ったんですか? 約束を破ったことだけは無かったじゃないですか」

「それは……」


言えるわけが無かった。

イル・カノーネを取り戻したあの後、急遽オーストリアに立ち寄った理由。それは、俺がニコロ・パガニーニとして、最後にやっておかなければならないことがあったから。


「……まあいいです。とにかく私は兄さんのせいで、地獄を味わいました」

「いったい何があったんだ?」

「…………」


雪花は視線を前方をに向けたまま、無言で手の平を俺に差し出した。


「なに、じゃんけんでもしたいの?」

「違います! 5回ですよ5回! 帰国の途中でナンパされた回数!」

「ちょ、分かったから前みて前! あなた、運転中!」

「何もかも全部兄さんのせいです!」


幅寄せしてクラクション鳴らされたのも俺のせいにされるのは、さすがに理不尽すぎではなかろうか……。


ちなみに、数日前に18歳になったばかりの雪花が、何故この時点で運転免許を持っているかというと、国際免許という裏技を使用したらしい。


「ま、まあなんだ……モテるのはイイ事じゃないか」

「じゃあ逆に訊きますが、兄さんはの女性に声を掛けられて嬉しいですか?」

「……ちっとも嬉しくないな」

「それと同じことですよ」

「……なるほど」


ようやく得心がいった。かくいう俺も、帰りの機内でCAやら隣席の女(いずれも20代)にひたすら声を掛けられて、うんざりしていたのだ。


ぶっちゃけ俺は、あまり自分の容姿を好んではいない。陽子さん曰く、絶世の美少年に俺は該当するらしいが、前世で病弱だった身としては、儚げな美少年などではなく、もっとこう筋骨隆々で、野性味溢れる漢というのが理想形なのだ。


そしてそんな俺の半身、一卵性双生児である妹の雪花も、世間的には絶世の美少女ということになり、ニューヨークの街を歩けば勝手に写真を撮られたり、突然花束を渡されるなどのナンパに遭うこともそう珍しいことではない。


そういう事情もあり、内弁慶な雪花は一人で家の外に出ることはまずない。必ず俺という歩く防虫スプレーを携帯する必要があったのだ。めちゃくちゃ不本意な話だけど。


「…………」


ハンドルを握る雪花の横顔をふと眺めると、切れ長の鋭い目に、腰にまで伸びた銀髪が俺の瞳に映る。性格や髪の長さを除けば、まるで鏡を見ているようだった。


「……なに人の顔をジロジロ見てるんですか」

「いやー、なんで俺たち日本人なのに、髪が白いのかなーって」

「そんなの私が知るわけないじゃないですか」


俺たちの名前に由来する銀髪。

まあ厳密には金髪の一種であるホワイトブロンドなのだが、俺の知る限り両親を含め祖先にそのような西洋人はいない。


「母さんが現地でハッスルしてたとかなら分かりやすいんだけど」

「……そういうことする人に見えますか?」

「まったく見えないな」


考古学を専門とする父さんと母さんは、根っからの研究者で、俺と雪花もあの二人が笑うところを一度も見たことがないほどの堅物人間だ。だいたい俺の親族は、爺さんを含め皆揃って苦虫を噛みつぶしたような顔をしていて、毒舌で、 全体的に愛がない(特に俺に対して)。


「そんなことよりも兄さん。さっきからずっとスマホが鳴ってますが、取らなくてもいいんですか?」

「いいんだよ」


どうせエリカだ。あのミュンヘンコンクールの後、俺は結局一度も顔を見せずに出国したから、きっとブチギレてるのだろう。


「ちなみに昨夜、エリカさんと電話で話したのですが、『いい加減通話に出ないと陽子さんにあることないこと吹き込むぞ』と、言っておられました」

「……チッ」


一期一会な前世とは違い、デジタルで繋がり続ける厄介な時代である。

俺は渋々ながら通話ボタンに手を掛けた。


「あー、クソお掛けになったこの番号は一切使用されておりません。番号をクソお確かめのうえ、クソ改めてお掛け直しください(英語)」


そう言って俺はすぐに電話を切った。お上品な妹の前でFワードを連発するのは中々勇気のいることだが、俺は脅しに屈する男ではない。


「ククク、今頃向こうでピーチクパーチクわめいてるだろうが、日本に帰っちまえばこっちのモンだ」

「……どうなっても知りませんからね」


雪花の不穏な一言を最後に、会話が途切れた。


俺はなんとなくラジオのチャンネルを変える。だが、どこに合わせても知らない曲ばかりが流れていて、つまらない。

仕方なく国営放送に切り替えると、ちょうど天気予報が始まったところだった。


『今日は4月4日です。ちょうど桜の満開を迎えた関東地方は、広い範囲で晴れるでしょう。ただし、南風が強いので洗濯物の取り扱いには――」


そういえば日本はもう桜の季節か。


12歳の春に日本を飛び出して、夏を迎えて、そして秋が過ぎ、もう何度目の冬を越えたのか、そろそろ数えるのも面倒になる。過ぎ去ったことを振り返ると、大抵は笑い話になるような、そんな年月が過ぎていた。


そうして俺の手の中には、本来の持ち主の元へと帰ってきた〝イル・カノーネ〟がある。


「なあ、雪花――」


俺は180余年にも及んだ長旅の疲れを癒すため、ゆっくりと目を閉じる。


「今まで俺の我が儘に付き合わせて、すまなかったな」

「…………」


雪花は何も応えなかったし、目を閉じているので顔を伺うことすらも出来ない。


ただ、なんとなく……きっと俺が今まで見たこともないような顔で微笑んでいるような、そんな気がした。

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