近くの可愛い奴は男だし…。
ズッキーニ
近くの可愛い奴は男だし…。1
午後の授業が終わった講義室には僕と高松しか残っていなかった。
「いい加減、諦めたら?早島は女の子にはモテないんだよ。」
高松は肩掛けのカバンに資料を詰めながら、僕に対して失礼な事をいう。
「モテたいわけじゃないんだ。誰か僕に温もりをくれる相手を探しているんだよ。」
誰か、家族以外の人間に好意を持たれてみたい。そんなささやかな願いを持っているだけなのだ。
「だーかーらー。私がいるじゃん」
高松はそう言って、僕に肩を回し、やわらかい体を押し付ける。長く穂先で切りそろえられた艶のある髪。寸分の狂いもなく神に設計されたかの造形。痩せてはいるが。細ってはいない、しっかりと調整されたプロポーション。やわらかく、親しみやすい物腰。人としての完成形がそこにいるのだろう。あまりに出来過ぎた存在が僕を誘っているのだ。これは選ばざるおえない。男であるというあまりに大きな障害さえなければの話だが。
「僕が異性愛者だという話は高松と何回も話したよな?」
「うん。だから私も女の子になったよ?」
僕と高松が出会ったのは大学に入学してからひと月ほど経ったテニスのサークル歓迎会だった。その時の高松は眩い王子様としてお姉さま方に囲まれて、僕が心の中で血涙を流すほど羨ましい花園を築き始めていた。歓迎会の途中、具合が悪そうに中座した高松を心配して付き添い、介抱したのが、僕たちの初めての接触だった。それから僕と高松は昼食を一緒に取る仲になり…、初めて高松から恋人になってほしいと告白されたのは、まだ高松が王子様形態の時だった。
「姿かたちを変えればいいというものじゃなくてだなぁ」
僕はその想いに答えられないと高松の誘いを断った。高松の顔はみるみる暗くなっていき、その場から走り去ってしまった。僕は追いかけようとしたが、高松の僕の走力よりも遥かに高く、追いつくことができずにその日は僕も諦めてしまった。
「でも、可愛くなったでしょ?」
僕が振った日から高松は一週間ほど大学に来なかった。あの日の場面を運悪くお姉さま方に見られていたらしく、テニスサークルの女性陣から学内での誹謗中傷、僕の授業参加への嫌がらせ等を受けていた。僕が地獄と化した大学生活にうんざりして大学近くのホームセンターでちょうどいい縄を探していると、今僕の隣にいる女になった高松が後ろから肩を叩いたのだった。
「…なんで君が僕に対してそこまでやってくれるのか分からないんだよ」
思い当たるのは歓迎会の介抱ぐらいしか思い当たらないが、正直高松ぐらいのスペックを持っているなら女の子は誰でも高松を構うだろう。
「早島が良かったの。…恥ずかしいけど運命の出会いって奴かな」
はにかむ高松にむず痒い表情を浮かべてしまうと、それに気が付いた高松が僕の事をからかうように鼻をつまんでくる。軽やかな果実の匂いが鼻をくすぐり、余計に照れてしまう。くそぅ、僕は異性愛者なのにっ。
「…もう帰ろう。遅いし。」
「…家行っていい?」
「…家まで送る。」
「ひひっ。やったっ」
高松がしてやった様な表情で両手のこぶしを握る。僕は肩を落とし、やられた気恥ずかしさを隠すように高松に席を立つように急かす。
「僕は普通に生きたいのに、君がそうさせてくれないものだから、困っちゃうなぁ」
リュックを背負って僕は左手を腰に当てる。高松は立ち上がり講義室の入り口前まで行き、僕の方に振り替える。
「私をおかしくしたんだから、早島も普通なんて選ばせないんだからね?」
はにかんだ早島の口元を濃紺に飲まれる寸前の橙が照らして色付ける。僕の背筋に甘い寒気が走った。
壁が新しい高層のマンションの入り口で、僕と高松は腰より少し低い高さの生垣に腰掛けて談笑していた。
「いつも僕を引き留めようとするよね」
「部屋まで来てくれたらもっとくつろげる様になるよ?」
「遠慮しておくよ」
ある意味部屋の玄関が理性崩壊のラインだと予想する。そこを越えてしまうと僕の倫理観のタガが外れてしまい、異性と同性の境界線が曖昧になって高松の事を受け入れてしまうだろう。いや、別に拒絶しているわけじゃないんだが、まだ僕は普通の恋愛の可能性があるんじゃないかと思うのだ。
「あ、ちょっと待ってて。飲み物持ってくる」
「いいのに…」
高松はエントランスに小走りで向かった。そういえば高松が僕の言うことを聞いたことなんてなかったかもしれない。高松が美女形態になってから、お姉さま方の嫌がらせは止まった。高松が手を回したのもあるのだが、それよりも高松の僕に対する思いの丈に感動したらしい。お姉さま方が僕の所にやってきて、代表のお姉さまが僕の手を握りしめ「応援してるっっ」と熱烈な激励を頂いてしまった。今となっては僕と高松は大学では有名なカップルとなってしまっている。したがって僕は女の子の恋人を作るには学外に出て交流を図るしかないのだが、僕にそんな度胸は無い。
「はい。甘いのしかないけど」
戻ってきた高松が僕にミルクティーとココアの紙パックを差し出す。僕は礼を言ってミルクティーを貰う。高松がココアのパックにストローを挿し、先の所をほんの少しついばんでココアを吸う。僕はパックを手でもてあそんで中の茶葉を回す。
「かわいいのはかわいいんだよなぁ」
僕はあきらめを込めた呟きをこぼす。高松はしっかりとした眉を八の字にして柔らかい笑顔を浮かべて何も言わない。女だったらとは言わない。高松だって僕の事を好きになってくれて、そう思ったことは何度かあるだろう。事実、僕が高松が男であることを理由に一度誘いを断っているのだから。僕がそれを言ってしまうのは高松が選んだ今の姿とそれを日常に仕掛けている僕を否定してしまうことになるだろう。
「…早島が難しい顔をするのは、私は苦しいな?」
高松が僕に体を寄せる。緩やかな風が甘い香りを運んでくる。僕はパックにストローを挿して、ミルクティーを飲む。口を外してパックを振ると残りは半分くらいの重さになっていた。
「別に、僕は、…いいんだ。君と今こうしてるのは嫌いじゃないから」
「…ちゃんと私の事も考えてくれてるのは分かってるよ」
高松がパックを生垣に置いて、開いた両手で僕の耳たぶを摘まむ。
「初めは他の誰かの事を好きになってくれればいいな、と思っていたけど。…この時間を他の誰かにくれてあげるのは癪だな」
僕が引っ張り出せる少しばかりの本音。高松は目を丸くして、少し目を伏せて、僕の頭を両手で挟み、こねくり回す。
「…堕ちるな」
高松が意地の悪そうな表情を浮かべる。
「甘いよ。まだまださ」
僕は残りのミルクティーを啜った。一口目よりも少し甘く感じた。足された甘さは高松の物かそれとも僕の物か。
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