17.バステト――追われる者

 間髪を入れず、フィデリスがナイフを投げて、発射された矢を正確に落とした。

 見たところ、須磨都すまとが持っている物は一般的なタイプのボウガン。矢を一本ずつ装填そうてんする必要があり、片手でそれを行うことは本来、非常に困難である。


 しかし、須磨都すまとは焦りを見せない。


「ナイフ投げなんて弱気だな、アンノウン! さっきみたいに発砲して、僕を撃ち落としたらどうだい!」

 言いながら、彼はボウガンを足の間に挟み、無駄のないぎわで新たな矢を装填そうてんした。


 バステトは考える。

(ボクがドローンを破壊してたことに気づいてるんだ……。なのにどうして、こんなに強気なのぉ……? イカれすぎでしょ……! 下手したら死ぬよ……!?)


 須磨都すまとがぶら下がっているドローンをだんで破壊してしまおうか、とバステトは一瞬だけ思ったが、落下した場所によっては殺してしまいかねない。


「アンノウン、お前がどんなけ物だとしても、この僕は殺せない! なぜなら、僕は運命に愛された男なのだからね!」


(そうか! こいつ、賢者の石エリクサーの効果を知らないから自分の運が良いと思ってるんだ! だから平気でこんな無茶をできるわけか……!)


 おそらく、須磨都すまとは二十代前半くらいだろう。

 事前の調査によると、れい家は十年ほど前に賢者の石エリクサーを購入している。つまり、須磨都すまとは十代の頃からそのおこぼれにあずかっていたということ。


 彼にとって、自分にはなのだ。


「ハーッハッハッハ! 愛は全てにまさる!」

 夜空に高笑いを響かせて、須磨都すまとは二本目の矢を放ってくる。


 バルーンが貫かれ、気球全体が墜落ついらくし始めた。


「……もし身体に触ったら、口いてあげないから」

 フィデリスはささやき、バステトをかかえたままちょうやくする。


(ちょっ、さすがに無茶だって!)

 バステトは必死で、義手であるフィデリスの腕にしがみつく。もしも由名ゆなの姿で受け身を取ると、須磨都すまとに変身をやぶられてしまうかもしれない。落下はけたかった。


 身軽に木々のえだび移り、地上へ着地するフィデリス。バステトは降ろされる。


「……ここで動かないで。私がやる」

 フィデリスは言った。バステトは無言で頷き、予備のナイフをこっそり彼女に渡す。


 由名ゆなの姿で戦闘をするわけにはいかないし、別人に変身してしまうと由名ゆなの不在を怪しまれる危険がある。バステトは応戦できそうにない状況だ。


(せめて、だんで補助できないかな……)

 上空を見るバステト。


 須磨都すまとがぶら下がっているドローンは、地のを活かし、無数の木々を完璧にけて飛行している。


(仮に暗視スコープを装着しても……、木々の隙間を狙ってドローンを墜落ついらくさせて、しかも須磨都すまとには致命傷を負わせないようにするって、ほぼ不可能だよね……)


「さあ見ていてくれ、由名ゆな! 白馬のプリンスが今、悪しき怪盗を打倒し、君を救い出してあげるからね!」

 フィデリスを狙って、さらなる追撃の矢を須磨都すまと


 彼女はなんなくかわし、先ほど気球から降りたときとは反対に、えだび移って今度は上へと登っていく。


「おっと、これは怖い怖い」

 須磨都すまとは笑って、人が立てる程度の太いえだを、矢で切り落とした。


 空中を浮遊する須磨都すまとをフィデリスが気絶させるためには、まず攻撃が届く範囲に近づかなければならない。

 しかし、足場となるえだは有限。太いえだを先んじて切断されてしまうと、フィデリスが近づく手段はなくなる。


 加えて、ドローンを操作しているのは、さくらぞの邸にいる悠里玖ゆりくだろう。

 この場にいる須磨都すまとの心を読み取ったところで、ドローンの動きを予測する役には立たないのだ。


「どうした? 怪盗アンノウン! 所詮しょせんはこの程度か!」

 須磨都すまとる矢の雨が、フィデリスを襲う。


「…………んっ」


 狭いえだの上にいては格好かっこうまとだと判断した様子で、次々と放たれる矢をかわすため、地上へ戻るフィデリス。


(なんとかフィデリスちゃんを助けたいけど……、どうしたら……!)

 バステトはかつに動けない。本物の由名ゆながこの場にいないと気づかれてしまえば、須磨都すまとは合理的な判断を下し、さくらぞの邸に戻ってしまうはずだ。それではおとりとしての役割が果たせない。


 フィデリスの強さを、バステトは信頼している。総合的な身体能力で比べると、フィデリスのほうがバステトにまさっていた。

 だが、今回はいくらなんでも相手が悪い。『読心マインドリーディング』を活用した近距離戦闘が得意である彼女に、ドローンによる飛行とボウガンの遠距離攻撃で攻めてくるとは――。


 そのとき、戦況が動いた。矢をかわし続けていたフィデリスが、木の根本に生えたつたに足元をすくわれ、体勢を崩したのである。上空を飛ぶ須磨都すまとに注意を奪われていたせいだろう。


「さあ、あの世で報いを受けるがいい、アンノウン!」


 矢がはなたれる。フィデリスは咄嗟に、左腕を前に出して矢を受け止めた。矢は彼女の左腕をつらぬく。


「ほう……。なるほど、義手か。その足も義足かな? 体型に対して腰の位置が高すぎる」

 出血しない様子を見て須磨都すまとは言った。

「良かった良かった、安心したよ。腕が再生するなんてけ物にもほどがあると思っていたけれど、タネを明かされてみればチャチな手品だね。要するに、頭か胴体を狙えば良いわけだ」


(フィデリスちゃん、やっぱりボクも一緒に……!)

 バステトは思考で訴えかけるが、フィデリスはバステトにだけ伝わるように、かすかに首を振る。手を出すな、と言いたいらしい。


生憎あいにくUNKNOWNアンノウンは追いかける側ではない」

 フィデリスは調覆面ふくめんの内側のボイスチェンジャーを通しているため、機械的な声になっている。

「追われる側だ」


 義手の中から発煙筒はつえんとうを取り出し、煙幕を発生させるフィデリス。

 そしてバステトに駆け寄ってきて、彼の手を引く。


「ふっ、しゃくな!」

 須磨都すまとは高度を下げて、煙の中へ突っ込んでくる。


 由名ゆなを取り戻すことが目的である須磨都すまとが、この煙に包まれた森の中で二人を見失わないためには、高度を下げるしかないのだ。


「……所詮しょせん素人しろうと

 フィデリスは呟き、疾走しながら後方こうほうにナイフを投げる。


「ぐわっ!」

 煙の奥から、須磨都すまとの情けない声が聞こえた。


(やった?)

 バステトは振り返る。煙で何も見えない。


「……ドローンは落とした、はず」

 かかえていたバステトを降ろすフィデリス。


 その瞬間、後方の煙から矢が飛び、彼女の足をかすめた。


「……へえ。やるね」

 彼女はバステトを残し、引き返していく。


 視覚が役立たないからこそ、須磨都すまとは山勘で矢をたのだろう。故意の攻撃は心を読んでかわせても、デタラメな攻撃はかえって回避できないのだ。


 しかし、形勢は既に逆転した。


 視覚の封じられる場は、フィデリスが最も得意とする戦場だ。

 敵は何も見えずとも、彼女は思考がこえてくる方向を手掛かりに、敵の位置を特定することが可能。


 決着は一瞬だった。


 煙が晴れたとき、そこには横たわる須磨都すまとと、彼を見下ろしてたたずんでいるフィデリスの姿があった。

 須磨都すまとは泡を吹いて意識を失っている。首筋に手刀を叩き込まれたのだろう。


 向こうにはナイフの刺さったドローンが落ちていた。前面のカメラとマイクは壊れ、既に機能していない。


「良かったぁ。心配したよ〜っ! フィデリスちゃんっ!」

 バステトは彼女に抱きつこうとするが、ひょいとかわされる。


「……馬鹿にしないで。私は素人しろうとになんて負けない」

 言葉とは裏腹に、少しへいした様子でフィデリスは答えた。


「とりあえず、一安心だね。あとはあるじ次第ってところかな」


「…………」

 彼女は警戒した表情を崩さない。


「フィデリスちゃん? 大丈夫? どこか痛む? あんまり役に立てなくてごめんね」

 その顔を覗き込むバステト。


「……誰か、来る」


「え?」


「……二人。……ううん、四人かな。……こっちに二人、近づいてきてる。……少し離れたところに、あと二人。……どうして?」

 フィデリスは震える声で呟いた。

「……あるじが、危ない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る