15.悠里玖――驚愕

 悠里玖ゆりく須磨都すまとは、アンノウンの右腕が斬り落とされる瞬間を、モニター越しに目撃していた。


 ぐしゃりと音を立てて、地面に倒れるアンノウン。

 ナイフを落とし、動かなくなる。


「ふ……、ふふ……。怪盗アンノウン、やぶれたり!」

 野間のまが勝利のたけびを上げた。


「おおっ! やった、やったぞ! アンノウンめ、ついにくたばりおった!」

 悠里玖ゆりくかんする。


 しかし、隣の須磨都すまとだけは表情を崩さなかった。

「まだです。まだ、アンノウンが死んだとは限らない」


「思慮深さは君の美徳だが、須磨都すまとくん。見えなかったかね? あの血しぶきの量! あれだけ出血して、まともに生きていられる人間はいない!」

 悠里玖ゆりくは舞い上がった気分で言う。


「ですが、アンノウンは人間の枠に収まるような存在ではありません。肉体が死んだとしても、奴の精神まで消えるかは分からない」

 須磨都すまといた。

「アンノウンにとって、あの肉体は使い捨ての消耗品だったかもしれません。戦闘の途中、野間のまさんに憑依した可能性だって、否定できませんよ」


「なっ……」

 息を呑む悠里玖ゆりく


 モニターを注視すると、野間のまは今、倒れているアンノウンに近づこうとしている。

 アンノウンの息の根を確実に止めるためだろう。首を狙って、刀を振り上げた。


 それが振り下ろされるよりも、早く。


 


「なんだ!?」

 悠里玖ゆりくはパニックにおちいった。


「煙幕か……!」

 須磨都すまとが目を見ひらく。


 轟音ごうおん

 さくらぞの邸が、揺れる。


 


 爆破されたのだと理解したとき、いで、


「ひぃっ! 爆弾だぁ!」

 絶叫する悠里玖ゆりく


「伏せてください! お義父とうさん!」


 須磨都すまとの鋭い指示に従い、悠里玖ゆりくは即座にその場でうずくまる。

 爆発は起こらず、つつは大量の煙をき出した。


 すぐ近くにいた須磨都すまとの姿すら、視界に映らない。


(メ、メチャクチャだ……! 奴が着ていたラバースーツでは、発煙筒はつえんとうと爆弾を隠し持ったまま戦うことなどできなかったはず……! まるで意味が分からない!)


 やがて、煙は徐々に薄れていく。


「ご無事ですか! お義父とうさん!」


 リビング内には悠里玖ゆりく自身と、須磨都すまとしかいなくなっていた。


「奴は……、アンノウンは、どこに消えた?」

 悠里玖ゆりくはモニターに視線を向ける。


 庭では、野間のまが横たわっていた。煙幕におおわれた際、気絶させられたのだろう。

 アンノウンの姿はなく、切断された右腕だけが残っている。


「まさか……、金庫室に?」

 須磨都すまとが呟く。


「いいや、それはない」

 すぐに否定する悠里玖ゆりく

「この部屋が煙幕に包まれている間、私はずっと昇降口の上にいて、一歩たりとも動いてはおらん。地下に侵入できたはずがない!」


 そして悠里玖ゆりくは、にやりと笑みを浮かべる。


「アンノウンめ、尻尾を巻いて逃げおったんだ! 致命傷をわされたから、勝ち目がないと判断したに違いない!」


「そうでしょうか……? 僕はそのようには思えません。今すぐに、金庫室を確認するべきです。由名ゆなを連れて、なんらかの手段で僕たちの目をあざむき、地上へ脱出する算段かもしれない」

 須磨都すまとかたくなに主張した。


 その態度に、悠里玖ゆりくは不信感を抱く。

「昇降口は明日まで、何があっても絶対にけん! まさか、今の君はアンノウンに身体を乗っ取られているんじゃないのか!? だからそう言って、昇降口をけさせてしまおうと誘導しているんだ……!」


 眼球運動の解析は、短時間では済まない。今すぐに再検証することは不可能だ。

 芽生めばえてしまった疑念は、簡単にはぬぐえなかった。


「僕がアンノウンに? 馬鹿馬鹿しい! 金庫室に侵入されたかもしれないのに、奴が逃げたと断定した貴方のほうこそ、憑依されてしまったんじゃないですか? 僕らの条件は同じです。乗っ取られていないとは、どちらも証明できない!」


「私は昇降口の上を離れていないと、言っておろうがぁぁぁ!」

 悠里玖ゆりく憤慨ふんがいし、ドローンを操作するための送信機を手に取る。そして、それを須磨都すまとに向かって投げつけた。

「アンノウンが金庫室に立ち入れたはずはないのだ! 間違いなく、奴は逃げた! 右腕を斬り落とされて逃げん奴があるか! なぜ理解できん!」


 気球騒ぎから、野間のまとの戦闘、リビングの壁の爆破に至るまで、怪盗アンノウンの行動は全て、悠里玖ゆりくの想像をりょうしていた。

 所詮しょせんは窃盗犯だろう、とたかくくっていたからこそ、その衝撃は果てしない。


 悠里玖ゆりくは、脅威が去ったと信じたいのである。


「あの煙幕の中にいて、自分の立っていた位置が正確に分かりますか? 貴方自身は動いていないつもりでも、実際は昇降口の上からズレてしまっていたかもしれません」

 投げられた送信機を片手で受け止め、須磨都すまとは言った。

「すみません。僕もあまりの急展開に驚いて、冷静さをいていました。アンノウンをめていた……。奴は、ただのこそ泥なんかじゃない。本物のけ物です」


 言葉を返せない悠里玖ゆりく。確かに自分は動かなかったはずだと記憶しているが、改めて問われると、自信が失われていく。


 須磨都すまとは続ける。

「僕はお義父とうさんの決定に従います。金庫室の中を確認しないほうが、侵入される隙は発生しづらい。確かに合理的です。ただ僕は、アンノウンが由名ゆなさんに接触しているかもしれないと思うと、発狂しそうになるんです。汚い犯罪者の手が彼女に触れてしまう可能性を考えたら、もう……」


「忘れるな、須磨都すまとくん」

 悠里玖ゆりくも先ほどよりは、落ち着きを取り戻して語る。


「分かりませんよ。アンノウンはこちらの理解をちょうえつしています。僕らが仕掛けたトリックなんて、とっくに見抜いているかもしれません」

 須磨都すまとはあくまでも悲観的な意見をべた。



 結局、悠里玖ゆりくを通して、昇降口はけないことになった。


 二人は気絶している野間のまをリビングのソファに運び、彼ら自身もそのソファに腰掛けた。

 風の吹き込むリビングに居座りたくはなかったものの、それでも悠里玖ゆりくは昇降口の監視を絶対にやめないと決めている。須磨都すまとも黙って、共に監視を続けた。


 野間のまの身体を運び込む際も、玄関ではなく壁の壊された部分から出入りしたため、悠里玖ゆりく須磨都すまとは昇降口から目を離していない。

 アンノウンが金庫室に出入りする隙など、一切なかった。



 数十分ほどが経過した頃。


 モニターに映る森の中から、


「あっ、ああっ、あああああああっ!」

 絶叫する悠里玖ゆりく


「ズームしてください! 早く!」

 須磨都すまとが訴える。


 気球には、ラバースーツを着た灰色の覆面ふくめんの人物が乗っていた。悠里玖ゆりくの目には先ほどのアンノウンと同一人物に見えたが、


 しかし、悠里玖ゆりくを驚愕させたものとは、右腕の有無ではない。

 その腕がかかえている対象だ。


 悠里玖ゆりくはドローンを上昇させ、かかえられている人物の顔を確認する。


「なんてことだ。嗚呼ああ由名ゆな……!」

 悠里玖ゆりくは娘の名を呼ぶ。しかし、すぐにが彼の脳裏をよぎった。


「逃がすものか!」

 須磨都すまとが駆け出す。

「殺してやる、殺してやるぞ、アンノウン! 僕のフィアンセに触れて、生きていられると思うなよ! この世に生まれ落ちたことを後悔するような苦しみを味わわせてやる!」


 気球は少しずつ、さくらぞの邸から離れていった。

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