なつ休みのおもいで

 灼熱しゃくねつというに相応しい炎天下の中。俺は山間のとある一軒の廃家の前にいた。解体している途中だったのだろうか。その廃屋は右半分がごっそりと削り取られたかのように、崩れていた。家を支える鉄骨や木の柱がむき出しになっている。ここから見る限り、誰かに荒らされた形跡はない。『本当に危ない場所には、落書きや不法投棄が一切ない』と誰かが言っていたのを思い出した。セミの声が俺たちを囲い込むようにして響き渡っている。うるさいなんて考える余裕もないくらいの暑さに、自分がなぜ、こんなところにいるのかわからなくなってきた。


 ふと、ミコの方を見ると、彼女はしゃがんでがれきの残骸を見ているようだった。割れた茶碗や食器、雑に縛られた雑誌や本にボロボロになった段ボール、色褪せて元の色もわからなくなってしまった家具が無造作にまとめられている。ミコはジッと目を凝らしながら、体も動かさずに何かを探していた。しかし、ガサガサと草をかき分けて俺が近づいた途端、ぬっとと立ち上がって何かを拾い上げる。

それは一冊のノートのようだった。ミコがノートをめくるのと同時に、俺はうしろからそれを覗き込んだ―――――




 『なつ休みのおもいで』

八がつ九日 

 きょうから、おじいちゃんとおばあちゃんちにいきました。でも、おばあちゃんはびょういんにいってたからあえませんでした。でもおじいちゃんはぼくを川につれてったから、たのしいかったです。ぼくは川できれいな石をみつけました。石はとてもきれいです。おじいちゃんにしぜんのものはもっていくのがだめだといわれた。だけどぼくはその石がすきだったから、ぽっけにいれてかえりました。

 

八がつ十四日

 きょうは、おうちでしゅくだいをしました。しゅくだいはきらいでした。しゅくだいをしてたらおじいちゃんのお友だちがきて、ぼくはそのしとのはなすことがきになりました。そのしとはこわいかおをして、なにかがなくなったっておじいちゃんにはなしてました。ぼくはこわいかおがこわくてへやにもどりました。おじいちゃんにこわいかおのをはなしたら、なんでもないよといわれた。なくなったものもきいたけど、わからないっていわれました。


八がつ十六日

 おばあちゃんがにゅういんしました。びょうきがなおならいっておじいちゃんがいってました。となりのおばさんがきて、たたりだって大きなこえでいってた。おじいちゃんがおこって、たいへんだった。それからおとおさんとおかあさんがきて、ぼくはまだおじいちゃんちにいたかったけどかえりました。おじいちゃんはぼくをぎゅとしていた。


八がつ二十二日

 もうおじいちゃんちにはいけないとおとおさんにいわれました。なんできいたけどおとおさんはだめだからだめといった。かなしいかった。そのあと、ぼくはげーむをしてあそびました。まりおしました。でもげーむはたのしくなかったです。


八がつ二十五日

 きょうおとおさんとおかあさんがおこってます。大きなこえでいえの中がぐちゃぐちゃで、ぼくはこわいかっただからじぶんのへやにいきました。そこでかいだんにころびました。いたいけどおとおさんとおかあさんがこわかったからがまんしました。そこでポッケに石がみつけました。川でみつけた石がみつけました。でも石はきれいじゃないです。ぼくはこの石を、やまに、やまに    やまに        やまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせやまにかえせ――――――


 パタンとミコはノートを閉じた。最後の方は文字がぐちゃぐちゃになっていたので、何が書いてあったのかわからない。凡そ、子どもが書いたにしては狂気じみた文章だった。


「おい、なんなんだよこれ・・・」

 俺は思わず、ミコに聞く。


「さあね」

 ミコは首を傾げると勢いよく立ち上がった。


「川っていうのはね、境界線なのよ。元々は、あの世とこの世の境目として認識されていた。三途の川もそこから来ているってのは有名な話よね。今でも川が県境の印になっていたりして、例えば、ここら辺だと高千穂川や鬼神川なんかが、ちょうど県境を流れているでしょ」

 なるほど、言われてみるとそうだ。車で出かけた際、川をまたぐ大きな橋の途中で『○○県へようこそ』なんて看板を見かけたことが何度かある。


「この子は、そんな境界線でもある川から石を持ち出した。それも多分、普通の石じゃない。」

 結界石をね、とミコは続けた。


 古来より石は、道具や武器、建築材、墓石など様々な使われ方をしてきた。その中の一つが結界だ。結界の役割を果たす石は、小さいものではソフトボールほどのものから、大きいものでは数メートルを超える岩に至るまである程度の大きさ、質量のあるものが選ばれてきた。石が神の依り代として考えられていた、ということもその要因の一つだと思われるが、それ以上に、そんな大切な石がいとも簡単に持ち去られてしまわないようにするためというのが実情だったんじゃないだろうか。いずれにせよ、結界石なるものは子どもが持つには大きすぎるし、なによりポケットなんかには入りっこない。

 では、なぜこんな事件が起きてしまったのか・・・。


「その山で使われていた結界石は、きっと川の中に沈められていたんじゃないかな」

 俺の問いにミコは静かにそう答えた。


 境界線である結界にすることで、村に降り注ぐ災厄を免れようとした。あるいは、村に侵入しようとする魑魅魍魎ちみもうりょうを追い払おうとしたのかもしれない。細かいことは俺にはわからない。だが、川の中に沈められた石は長い長い年月を経て、徐々に削られ、小さくなり、やがては丸みを帯びて上流から下流へ流れていった。そして、その石をたまたま拾ってしまったのだろう。この家の子どもは。事件というよりこれは事故だ。俺は中学で習った浸食、運搬、堆積という言葉を思い出しながらそんなことを思う。

 

「おじいさんは教えてくれてたのにね。自然にある物は持ち帰ってはならないって」

 腰に手を当てながら、ミコはため息をついた。すると今度は、のそりとがれきを跨いで廃屋の中へと入り始める。ミコを追いかけるようにして、俺も廃屋に入った。むき出しの状態で数年、いや数十年以上放置されていたのだろう。臭いは特にしなかった。ただ床のあちこちが雨水で腐食して、いつ抜けてもおかしくない。ここは居間だろうか。ガラスの散乱した床の上に、カーペットとソファだったであろうものが置かれている。家具が放置された状態で解体を行うなど余程、急を要していたのか。

 ミコはというと、居間の奥にある階段を上り始めていた。いつ崩れてもおかしくないだろうに、大した度胸である。


「おいミコ、危ないって」

 こんなことを言われてビビるタマの女ではない。「大丈夫、大丈夫」とだけ声が返ってきた。床を踏み抜かないようにそろりそろりと歩いて階段の下までたどり着くと、ミコがこちらを見下げるようにして立っていた。心なしか自慢げな顔をして。


「お宝ゲットしたわ」

 ミコは微笑を浮かべて、手に持った赤黒い塊を見せつけてきた。それは、今にも人の血が溢れ出してくるんじゃないかというほどの禍々まがまがしい輝きを放っている。


「縁起でもないこと言うなよ・・・」

 まあ、これからこの石を元あった場所へと返しに行くのだ。バチはあたるまい。 


          〇


 帰り道、後ろに座っているミコが俺に声をかけてきた。


「今日はありがとね、付き合ってくれて」

「ああ、いいよ別に。こないだ世話になったしな」

 そう答える俺にミコは「それとこれとは別。アイスはちゃんと奢ってね」と平然と言ってのける。こいつには敵わないなと思う。


「ところでさ」

「ん、なに?」

「いや、今日の結界石。こんな話、一体どこから仕入れてきたんだ?」

 アハハと笑ってミコが返答する。


「・・・さあ、どこだろうね」

 その声が一瞬にして風の音にかき消される。ミコは神社の娘だ。神社では祭りや祈祷のほかにお祓いの類も行っていると聞く。きっとそうした関係からミコは情報を得ているのだろう。だが・・・なぜだか、それだけではない気がする。多分それを知ってしまえば、俺も後戻りはできない。そう思った。ミコと違って、俺には霊感や神通力なんてものはない。いざとなったら自分の身は自分で守らないといけない。黙りこくる俺に何を思ったのか、ミコは「じゃあ、あと何回か私の手伝いしてくれたら教えてあげる」と言った。


「いいや、遠慮しておくよ」

 俺の答えを予想していたのか、ミコは大きな声を出して笑った。


          〇


―――――県江里えさと村で発生した一家失踪事件についての速報です。今日午前八時ごろ、曲神山くまがみやま七合目付近の山林で、約十五年前に行方不明になった遠堀とおぼりさん一家のものと思われる遺体が発見されたとのことです。発見者は川の水質調査をしていた県の職員で、警察は先ほど、遺体は既に白骨化しており、着用していた衣服に残されたDNAから身元を特定する予定だと発表しました。


 画面が切り替わり、事件発生当時の映像が映し出される。鼈甲べっこうのメガネをかけた渋い声の男性リポーターが、まだ綺麗だったころのあの家を前に事件の概要を話している。別に驚きはしなかった。昨日、あの石を元あったであろう川に戻しに行ったとき、なんとなくこうなるような予感はしていた。ミコは分かっていたのだろうか。きっと分かっていたに違いない。俺はもっと彼女について知りたいと思うと同時にこれ以上、深入りしない方がいいと理性が訴えかけるのを感じた。


「ごちそうさま」

 席を立ちあがる父と母が俺に声をかける。


「あら、もう行くの? いってらっしゃい」

「最近、事故や事件が多いから気を付けていくんだぞ」

 俺は「ああ」とだけ言って家を出た。正直、この先こんな経験を味わうことは一生できないだろうと思う。オカルト好きにとって、そのチャンスをみすみす逃してしまうのは一生の不覚だ。だから今は・・・今だけはミコとともに、その先に何があるのかを確かめてみたい。


 ただ、家族にだけは迷惑をかけるわけにはいかない。それが俺の、“最後の境界線”だ。

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