今日も穴に落ちていく

ずーまん

序章1.テル:正解に納得できるかできないか

 息を吸うと、肺が熱で侵される錯覚に陥った。


 息を吐くと、周りを冷やしているような感覚がある。


 唇はかさかさで、失った水分を欲しているかのようだった。


 あぁ、麦茶が欲しいなあ。


 もう飲めないからこそ、失ってわかるあの爽やかさ。


「なあオイ、ここは地獄だと思うか?それとも天国だと思うか?」


 俺の隣から、言葉遣いは粗野で悪魔のようなのに、それとは裏腹に天使のように優しく柔らかな声が響いた。


 彼女―アマノ―は作り物みたいに整った容姿だし、常に安心感を与えるような微笑みを絶やさないから、口を閉じていれば完璧なのになあといつも思うけれど、そこは言わぬが花というやつだ。


「目の前にはデカい穴」


 アマノが続ける。


 そう、穴だ。


 俺たちは今、巨大な穴の縁に立っている。


 ぎりぎり反対側の縁が見えるから、だいたい直径4~5きろめーとるくらいだろうか。


 地平線が見える距離がそのくらいだったと記憶してるから、たぶん合っていると思う。


 底は真っ暗で判別がつかないけれど、とりあえず光が届かないくらいの距離があるのだろう。


「で、あたしらがいるとこ以外、ぜーんぶ溶岩の海」


 穴から目線を外して後ろを見れば、ほぼ赤褐色に支配されている。


 所々炎が噴き上がっていて、煮え立つような音が聞こえるし、肌が焼かれるような熱気を感じる。


 右も左も同じだ。


 俺たちが立っている周辺、小さな公園程度の土地以外は、穴か、溶岩ばかり。


「もうここは地獄にしか見えねえだろ」


 その通りかもしれない。


 俺たちが立っているここだって数日もすればなくなってしまうだろう。


 なにせ、のだから。


 俺たちがいる場所以外の穴の縁では、穴に向かって溶岩が流れ込んでいるのが見てとれる。


 まるで滝みたいだ。


 ここで俺たちが取れる選択肢は、溶岩の海での水泳に挑戦するか、穴へ飛び込んで底がとんでもなく柔らかいことを期待するかの二択くらいではないだろうか。


「だっていうのに、周りの奴らみんな、誰も彼も満ち足りた顔してやがる」


 ここには俺たち二人以外にも十数人の人間がいる。


 彼らは皆絶望を想起させるような表情ではなく、この状況にあって穏やかで笑顔さえ浮かべるものもいた。


 決して狂気に陥っているわけではなく。


 諦観ていかんしているわけでもなく。


 かといって死を理解していないわけでもない。


 彼らは「この先」がどうなるのか知っていて、それでも皆落ち着いている。


 表情だけ見るのであれば、それはまさにこの場所が天国であると錯覚してしまうほどだった。


 なんなら空は晴れ渡っていて、上だけ見上げていれば自然の雄大さに感動できただろう。


 まあ実際のところ空は溶岩の色を反射して黄昏ているし、地面の熱気や崩れ落ちる大地の音の主張が強いけれど。


 ここは地獄かもしれない。天国かもしれない。


 そう、アマノが真逆のことを思ってしまうくらいに、ここには天国と地獄が入り混じっていた。


 俺は少し考えて、こう答えた。


「いや、どちらとも思わないかな。――これが現実だよ。ここが現実だ」


「それ、答えになってなくねえか?あぁん?いや、なってるか?どっちだ?んんー?」


 アマノは俺の返答で思考の迷路に潜っていった。


 またやってしまったか。


 俺はどうも、いつもアマノを惑わせる発言をしているようだけど、普通に答えているだけだから改善策がわからない。


 とりあえず、アマノが迷路から脱出することを祈ろう。


 暇だし何秒で戻れるか数えてみようかな。


 いーち


 にーい


 さー


「やっぱり答えになってねえ!答えたっぽい感出してはぐらかしてんだろてめぇ真面目に答えやがれそしてひざまずこうべをたれてすきですって言え!」


 おお、早い。


 そしていつものように、すきですと言えとのご命令だ。


 そんなに求めずとも、アマノはいい奴だし、普通に好きなんだけども、まあ言葉に出せというなら特に断る理由もない。


 ところで少し離れたところにいた人たちがいつの間にか集まってきて期待の眼差しを向けていることにアマノは気付いてるんだろうか。


 俺は気にならないので、ひざまずき、こうべをたれ、言った。


「すきです」


「あ、う、うん・・・」


 アマノは頬を染めて、きょろきょろしながら、くねくねしだした。


 いつものことだ。


 友達に好きだって言われることくらい、慣れればいいのに。


 気が付くとアマノの周りには優しく『桃色の風』が舞っていた。


 周りの人たちは俺たちを見て、「うんうん」とか「これがないとなあ」などと楽しそうに感想を言っている。


 もはやここは地獄でも天国でもなく、混沌なんじゃないだろうか。


 アマノはようやく周りの状況に気付が付いた。


「てめえら!またやったな!あたしに『それ』やるんじゃねぇ!」


『それ』というのはアマノの周囲を彩る『桃色の風』のことだ。


 周りの人たちが『星力せいりょく』を使って引き起こした現象。


 名前通り、薄く桃色に色付いた風が吹くだけの効果しかない。


 ここに至って、アマノをからかうためだけに『星力せいりょく』を使うなんて、彼ららしいというかなんというか。


 怒られた人は笑いながら、


「最後までいいもの見れたよ!ありがとう!満足したから私は逝くね!じゃあ、私たちの事、よろしくね!」


 そう言って返事も聞かず駆け出し、穴の端から勢いよく跳び、穴の中心に向かっていくように消えて逝った。


「あはは、4人で逝こうって話してたのになあ。あいつらしい。俺らも逝くよ。彼女の協力者だし、次は俺らかなって。じゃあ、俺たちの事、頼んだよ」


 続いたのは3人。


 もう逝った彼女も含めた彼ら4人は仲良しの幼馴染組というやつだ。


 いつも4人で悪巧みしながら楽しそうにしていた。


 なお主な被害者はアマノだったのはご愛敬。


 今回は俺たちも返事ができた。


「・・・ああ、絶対に」


「おう!あたしらにまかせときな!」


 彼らは笑い合いながら進み、階段を1段降りるような仕草で消えて逝った。


 さっき『星力せいりょく』を使ったのは彼らだから、もう、『桃色の風』が舞うことは、ない。


 彼らを追いかけるように何人もの人が消えていく。


 微妙な違いはあれど、彼らは最後に必ず、「私たちを頼む」と言って穴へ向かっていった。


 これは、「自分たちがいなくなってもきっと人間はまた現れる」と信じているからこその言葉だ。


 俺たちは、後に現れる人間のことを託された。


 そして最後の1人。


「長い間、本当にありがとうございました。わしらの我儘を聞いてもらって、あなた方には辛い選択を強いてしまった。ですが、おかげで今、何の悔いもありません。あと数日もすれば大地は全てこの穴に飲み込まれ、ここは死の星となるでしょうが、この御恩は一生忘れません」


「おい!一生ってもうすぐそこまできてんじゃねえか!」


「はっはっは。さすがアマノさん。突っ込むところがあったら余さず突っ込んでくれる」


「そこは流すのが粋ってやつじゃないかな、アマノ」


「癖だよ!ついだよ!」


 そんな風にいつも通りの会話をする俺たち。


 長袖でよかった。


 でないと、笑って見送るんだと決めて、ずっと耐えていたのが無駄になる。


 掌を強く握りしめすぎて血が垂れてるのなんか見られたら、ぶちこわしだろう。


 たぶん2人も何かしら我慢してると思うけれど、それを見せていないし、俺だって見せるつもりはない。


「ではわしも逝きます。わしらのこと、よろしく頼みます。最後に握手をしてもらってもよいですか?」


「確かに、承った。でも男と握手する性癖はないんだ。すまない」


「この場面で!?まじかおまえ!?」


 まあ、手を出したらばれちゃうし。


 ほんとすまない。


「はっはっは。ほんとうに最後まで笑わせてもらえる。・・・では、アマノさんだけでも」


「しゃあないな!ほらよ!」


 そうアマノが差し出した手を、最後の彼は両手で大切そうに握り、頭を下げた。


 ・・・そして彼は、1度も振り返ることなく穴へ消えて逝った。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 最後に、溶岩と穴、そして俺たちだけが残された。


 アマノが自分の手を見ながら言う。


「なあ、ここは天国か?それとも地獄か?」


 手は、何かの水で濡れていた。


 そういえば彼は『星力せいりょく』で『水を認識できなくする』ことができたなあ。


 でも、使用者が死んだら、『星力せいりょく』で起きた現象は解除される。


 その水は汗だったのか、それとも。


「・・・現実だよ」


 ここには彼らが死んだという事実だけがある。


 天国でも地獄でもない。


 だってそれらは死後の世界だ。


 だったら、彼らがいるはずだろう。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 この時をもってこの星の人間は俺とアマノを残して消え去った。


 残ったのは溶岩と穴。


 きっと長い時間をかけて、星は元の姿に戻るだろう。


 人間だってまた現れるかもしれない。


 ・・・でも、納得できない人も、いるだろう。


「アマノ」


「どうしたよ」


 アマノはじっと穴を見つめている。


「これでよかったのか?」


「ああ。あたしたちはあいつらのオーダーに完璧に答えた。星と共に滅ぶって願いを、完璧に」


 見つめたまま、崩れない微笑み。


「これで正解だったのか?」


「ああ。あたしたちは見守るものとしての使命を忠実に果たした。それで滅ぶと知っていても」


 彼らがいなくなっても、ずっと見守っているみたいだ。


「納得しても、いいのか?」


「ああ。だって、こんなのどうしようもないだろ。あいつらの願い、叶えるしかないだろ。あたしたちに、何もしないでくれっていう願いを」


 アマノの髪が揺れているのは、熱風のせいだろうか、それとも心が揺らいでいるのだろうか。


「納得、できたか?」


「――――――――」


 アマノは一度、ふぅぅーっと大きく息を吐いた。


 そんなに空気出したら酸欠になるのでは?


 と思っていたら、今度は目一杯息を吸い込んだ。


 うん、これ絶対納得できてないやつだ。


 一瞬、静寂と溶岩の熱気が場を支配する。


 なお俺は耳をふさいだ。


「・・・・・・できるかーーーーーーーー!!!!あたしたちを!!!!残して!!!!満足して!!!!逝くんじゃ!!!!ねえ!!!!!!!!」


「ぬぐっふ」


 ふさいだ耳にも遠慮なくアマノの叫びが突き刺さった。


「あいつらの満足と!!!!あたしたちの満足は!!!!別物じゃーーーーーー!!!!!!!!!!!」


「ふぐぬぅん」


 耳が痛いんだけど?


「よし!テル!この星!どうにかするぞ!」


「え?何聞こえない」


「聞けよ!惑星開拓!再開するぞ!」


「え?何聞こえない。開拓って何だっけ」


「聞こえてんじゃねえか!」


 聞こえてないけど、アマノが言いそうなことくらいわかる。


「・・・・・・じゃあ、惑星開拓―――」


「―――再開だぁー!」


 俺はアマノの粗野な言葉遣いに、生きる力を感じた。




「でもまずは俺たちがこの溶岩と穴をなんとかして生き延びないとな」


「ここからひっくり返すのわくわくするな!」


 そして俺たちはどちらともなく、雲一つない、もう何物にも侵されない空を見上げた。


 黄昏はきっと明日へ続いている。




 これは、そんな、納得できない人の、お話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る