第28話 「闇の中に生きる理由」
砦街アーデルをノアが旅立った頃。
まるで入れ違うように、一団の影が街門をくぐった。
吸血鬼に憎しみを抱く者たちの集団――『聖銀旅団』
十名にも満たない一団の先頭に立つのは、リーダーである戦慄のゾルデ。
黒髪のくせ毛に、鋭い眼光。
胸元で揺れる銀の十字架(ロザリオ)は、聖銀旅団に所属する全員が身に着けている。聖者の祈りで鍛えられた聖銀は、吸血鬼にとっては灼ける呪詛そのもの。
まさに、吸血鬼への聖なる鉄槌の象徴だ。
彼らは、夜に動く。
闇夜に潜む吸血鬼を狩るため、同じく闇の中に生きる者たち。
時には、自らの血すら囮(おとり)にして、獲物を誘い出す狂人。
目の下に刻まれた深い隈(くま)が、いかに自らの命を削っているかを物語る。
彼ら全員が一流の力を持ちながら、冒険者としてではなく、吸血鬼狩人として生きている。大切な者たちを傷つけられ、奪われてきた仇を討つことのみが生きがいなのだ。
先頭を歩く三人――ゾルデ、バルバル、リゼン。
聖銀旅団の中でも最強と称される者たちだ。
もちろん、彼らも例外なく、悲惨な過去を持つ。
戦慄のゾルデは、かつて婚約者を吸血鬼の眷属に変えられた。
上位吸血鬼のみが使えるスキル『魅了(チャーム)』によって、彼女は意識を奪われて操り人形と化した。
彼女を傷つけることも出来ず、上位吸血鬼を殺すだけの力もなかった彼は、惨(みじ)めに嬲(なぶ)られた。
あげく目の前で婚約者を、その吸血鬼の眷属へと変えられてしまう。
怒り狂ったゾルデは、ボロボロになりながらも数時間戦い続け、
冒険者の応援が駆け付けて来たことで、彼女ともども吸血鬼に逃げられる。
その日以来、眠ることさえ赦(ゆる)されぬ夜を過ごし、吸血鬼を殺すためだけに生きるようになった。
その殺意の宿る瞳は、あの日の紅(あか)をいまだに閉じ込めたままだ。
堅牢のバルバルは、まだ幼き頃に、一匹の吸血鬼に村を襲われた。
崩れる家々、泣き叫ぶ声、そして地に転がる冷えた躯(むくろ)。
母親にクローゼットに隠れるように言われ、彼はその隙間から母の血が吸い付くされるのを見ていた。
夜明けの空の下で、生き残ったのは彼ひとり。他の村人数十名は、すべて血を吸いつくされて死んでいた。後に、ハッシュベルト国最大の吸血鬼被害と呼ばれる村の出来事である。干からびた母の亡骸を抱きしめながら、バルバルは復讐を誓う。
無慈悲のリゼン。
元々は敬虔(けいけん)な聖職者。
同じく修道士の道を歩み始めた愛娘は、神聖なる聖堂の前で殺された。
彼女は胸の十字架を握りしめ、絶命していた。そこに付着された血。
以来、リゼンは神への信仰を捨て、同時にすべての吸血鬼を呪う者へと変わった。
彼の胸に下げられた、古い血に汚れた“逆さ釣り”の十字架は娘の物だ。
三人とも、滅多にその過去を語らない。
だがその胸の奥には、喉をかきむしるような苦しみがこびりついている。
しかし、ハッシュベルト国では、そういった凄惨な事件は珍しくない。
彼ら三人に続く仲間たちも、皆が似たような過去を持っている。
人生を破滅に導かれた者たち――それが、聖銀旅団の正体。
そんな一団に身を落とし、その才覚でもって、あっという間にリーダーへと昇り詰めた男がゾルデだ。
類まれなる嗅覚と、雷帝と呼ばれるほどの実力。
遭遇することも難しく、倒すとなるとさらに困難を極める吸血鬼を、彼はこれまでに何体も殺している。
ゾルデは片手に、血痕羅針(ヘマコンパス)を握っていた。
追跡対象の血を用いた呪具は、血の主であるノアの居場所を指し続ける。
「……このタイミングで動き出すとはな、やっぱり勘のいい奴だ」
ゾルデが呟く。
思い出すのはヴェルナー・ノイマン卿から初めて息子(ノア)の処分を依頼された時だ。あの時も、会う前に感づかれて脱走をし始めていた。
今回のことといい、偶然では片づけられない。
「まるで俺たちの動きを見透かしているみてぇに、今度は南西に向かいやがった」
「確かに不気味ですね。もう十日近く、ここアーデルの街を指していたというのに」
隣でリゼンが低く応じる。
その目は祈りを失った暗い瞳をしている。
「例え、これが誘いだったとしても構わねぇ……。
俺たちは血痕羅針(これ)を使って追い詰めるだけだ」
ゾルデは羅針を握りしめ、針先を見つめる。
どれだけ離れようとも、一度捕らえられた血は、主の元へ還るべく蠢(うごめ)き続ける。
「今回はそれがあるとはいえ、いつものように情報収集もするのでしょう?」
「もちろんだ。一番の目的はノアで間違いないが、そいつの血に集まった吸血鬼どもの一掃も狙いだ。
そのために、これだけ人員を裂いて来たんだからな」
聖銀旅団の大部分がハッシュベルト国を出るというのは、つまり自国での吸血鬼に自由を与えることになる。当然反対意見も出たが、ゾルデが一言「今回の獲物(ノア)には、それだけの価値がある」と迷いなく言ったため、彼に絶対の信頼をおく者たちは、それ以上の反論がなかった。
「兄貴に任せておけば上手くいく」
バルバルは異様に広い肩幅を揺らし、破戒槌を背負いながら、のんきに鼻を鳴らす。
この言葉は、すでに彼の口癖になっている。
彼は戦闘は強いが、頭が致命的に弱い。
ゾルデという切れる飼い主の元でこそ力を発揮する。
「とはいえ、出立からここまで時間をくうとは思いませんでしたね。ゾルデさん」
「……まったくだ。
あのタヌキが邪魔建てしなければ、今頃捕らえられていたかもしれんものを……」
――そう、ここまで時間を食ったのには理由がある。
彼らがここへ来るのが遅れたのは、単に距離が遠かったからではない。
国境の関所で足止めを食らったせいなのだ。
両国の国境付近には緩衝地帯が存在する。そこを挟んで、互いを睨み合うように関所がある。二国間の緊張を象徴する、厚い鉄門と監視塔の連なる場所だった。
ハッシュベルト国からキャメル国へ入国する際、その関所で身分証明などの手続きが必要となる。そこで散々待たされたあげく、関所の長(おさ)がなかなか通行を許可しなかったのだ。
キャメル国側の関所長の名はバルド・レイナー。
浅黒い肌に白髪混じりの短髪、切れ長の瞳。
鋭い頭脳で、他国の要人や貴族の顔をほぼ記憶していると言われる切れ者だった。
「お前たち、聖銀旅団だな?
なぜお前らのような吸血鬼を狩るためだけの連中が、我らキャメル国に足を踏み入れる?」
彼は椅子の背にもたれながら、鋭い視線でゾルデ達を見据える。
「俺達だって、たまには旅くらいするさ。
入国料もちゃんと払うし、何も問題はねぇだろ?」
ゾルデは静かに言う。
「問題があるかないかを判断するのが私の仕事だ。
何せ最近は、そちら側の職員が厳しく出国手続きをしているようだしなぁ。
まさかとは思うが、吸血鬼が我が国へ潜り込んで来ているのか?」
その問いに、ゾルデの眉が一瞬だけ動いた。
ノアの名を出せれば話は早い。だが、ヴェルナー卿に口止めされている。
正直、そんな保身のための口止めなどどうでも良いのだが、莫大な金を払う依頼主。
その資金は今後の活動のためにも必要だ。無下に扱うこともできない。
それに下手にキャメル国で騒ぎになり、ノアに身を隠されても厄介だと思ったのだ。
「想像するのは自由だ。だが、俺達の目的はあくまで観光さ。
これ以上、無駄な問答(もんどう)は辞めにしてもらおう」
ゾルデは言葉の終わりに殺気を滲ませた。
それ以上詮索するなという、警告でもある。
バルド関所長はしばし沈黙し、やがて低くつぶやく。
「……お前たちのような連中が動くと、どこかで血が流れる。
我が祖国を汚されるわけにはいかんからな」
言葉とは裏腹に、彼は手を上げて門兵に通行を許すよう指示を出した。
「いけ好かないが通してやる。
祖国のために、利用できる者はなんでも利用するのが私のスタイルだ。
ネズミが潜り込んだのなら、専門家に任せるとしよう」
嫌味な男だが、決して無能な男ではない。
すでに吸血鬼がキャメル国に潜り込んだという確信がある。
そうでもなければ、聖銀旅団がこれだけの人数で動くなどありえないのだから。
「戦慄のゾルデよ。
ここだけの話だが、首都ルミナスで血を抜かれたような不審な死者が急激に増えているという。お前らの狙っている獲物とは別かもしれんが、吸血鬼の根絶を謳(うた)っているのだろう? 観光のついでに調べてみるといい」
ゾルデだけに聞こえるように声を落とし、バルド関所長は言う。
ゾルデは鼻で笑い、短く答えた。
「そうか。どうやら、首都ルミナスまで観光に行く必要があるようだな。
――情報感謝する」
それだけ言うと、聖銀旅団は門を抜け、乾いた風の中へ歩み出る。
その背中を見送りながら、バルドは思う。
(まるで、死神のような連中だったな……。
せいぜい、お前らが“獲物”にならぬよう気を付けるんだな)
◇◆◇
――そして現在。
砦街アーデル、そこの冒険者ギルド『灰狼の牙』に、彼らは集まっていた。
「それで兄貴、このギルドでノアって奴を聞いて回るのか?」
すでに夜なので開いている店が少ないというのもあるが、冒険者ギルドならいつでも食事が出来るし、情報も集まる。デカい七面鳥にかじりつきながら、バルバルは問う。
「ふふふ、バルバルさん。相手はまだ若い吸血鬼とはいえ、すでに知能があります。
馬鹿正直に“ノア”を名乗るはずがありません」
リゼンが冷ややかに笑う。それに、ゾルデも頷く。
「そうだな。人目を避けて過ごしているか……
人間に紛れているとしても、“ノア”という名を出すほど間抜けじゃないだろう。
まだ生まれ落ちて5歳だが、ろくに教育も受けずに、流暢に言葉も使えていた。
それだけ知能が高いということだ……俺達、大人と同程度の思考力はあるだろうな」
屋敷を脱走したのだから、当然追われていることも理解しているはず。
それに両親には酷い扱いを受けてきたのだ。
ノアという名前などとうに“捨てている”と考えるのが普通だ。
「じゃあ、どう探すんだ?」
バルバルは眉をひそめ、丸太のような腕を組む。
ゾルデは無言で羅針を掲げた。血のような赤が夜気に揺らめく。
「この血を追えば、いずれ辿り着く。だが、それ以外の手がかりがないのも事実だ」
「そうですね。一応はノアという名前の少年が来ていないか、この街で吸血鬼の被害がなかったか――それを聞いて回りましょう。結局は、いつもの吸血鬼探しの手法と同じですよ」
「そうだな。ノアより先に、あの“王の血”に惹かれた者どもが、先に釣れるかもしれませんしな」
ゾルデの口角がわずかに歪んだ。
「なるほど! さすが兄貴とリゼンだな!」
バルバルは笑いながら、また一口、七面鳥にかじりつく。
血の羅針盤に従い、彼らの足跡は、静かに、確実に――ノアたちのいる方角へと向かっていく。着実に、狩人の足音は近づいていた。
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