第24話 「氷雪の王」


吹雪の中、白一色の世界を踏みしめる。

常人なら凍え死ぬであろう世界を、紅いオーラを纏った男が進み続ける。

俺の探知スキルの前に、すでに敵の居場所は割れている。

相手も逃げることなく、こちらを見据えているのが分かる。


すると――荒れ狂っていた風と吹雪が、ピタリと消えた。

空には、嘘のように澄んだ月が輝いている。


(満月か……綺麗だ)


吹雪が静まり、月光が雪原を銀に染める。

その中心に立つ、《凍角の神鹿》。


枝分かれした魔石の角は樹氷のように輝き、純白の毛並みは月光を吸い込む。

淡い水晶色の瞳が、静かに俺を見つめる。


(まるで、氷雪の王だな。こんな美しい魔物が存在するのか……!)


相手が一歩踏み出すだけで、氷の結界のような冷気が辺りを包み込む。

まるで魔力の塊のような存在。

この身体の奥底から震えだす理由は、決して寒さだけではない。それほどまでの威圧感。


――まずは、小手調べ。


中級火魔法である《獄炎球》を生み出し、紅の火炎が雪原を走る。

それを見ても、相手は微動だにしない。

首元を覆うように生えている純白の毛に阻まれ、炸裂することもなく散って消える。

無傷――信じられないレベルの、防御力と魔法阻害効果。


それを合図に、神鹿が反撃の氷魔法を放つ。

地響きとともに、数えきれない鋭い氷柱(つらら)が地面から噴き上がる。

一歩でも踏み外せば、直撃して足元から身体を切り裂かれる。


黒鋼剣を握り直し、首元以外の部位を狙う。

しかし、頭を振り上げて、その魔石で出来た凍角で弾かれる。

刃先に冷たい衝撃が走り、雪と氷の破片が舞う。

何度も斬り上げ、踏み込み、横薙ぎに振るうが、その角には傷一つ付けられない。


魔力を凝縮したような凍角。

そこに氷を纏わせているのだ。生半可な硬さではない。


再び氷の魔法が連続して降り注ぐ。

全方位から襲い来る、圧倒的な魔力量を用いた物量攻め。

地面から氷柱が立ち上がり、吹雪に紛れ込まれた鋭い氷の刃が吹き荒れる。

完全に避けきれることなど出来ない。身体からは血が滲んでいく。


《感覚統合・色域》が、魔力と熱源の情報を一瞬で感じ取る。

それにより、氷魔法が形成される瞬間を察知できていても、コレだけ押されている。

自分の治癒力を信じて、多少の傷は受け入れる。

致命傷になる攻撃だけは、何としても確実に防ぐ。


刃と角、血魔法と氷魔法とがぶつかり合い、周囲が揺れる。


吸血鬼としての膂力(りょりょく)。まして、今は身体強化魔法をかけている、

まさに、全力での攻撃なのにびくともしない。

数度の突進の末、黒鋼剣の刃先が凍角に弾かれ、小さく欠ける音が鳴る。

指先に血が伝い、冷気と混ざり合う。赤い血が白銀の雪に染まる。


(くそっ!……ジリ貧だな)


それでも《凍角の神鹿》は動かない。

激昂に照らされた静かな佇まいが、逆に脅威を増幅させる。


――神鹿が足を踏み鳴らした。


空気が振動し、冷気が一層鋭くなる。

枝状の角から淡い光が滲み出す。

氷の魔力がゆっくりと結晶化し、雪原に微かな青白い光の帯を描く。


死の予感が、身体の隅々に走る。

《感覚統合・色域》が、瞬時に警報を鳴らす。


俺は身を翻(ひるがえ)し、間一髪でその場を飛びのいた。

氷のビームが放たれ、雪原を切り裂くように光の軌跡を描いた。


「……ッッ!」


その光の奇跡をなぞるように、一泊遅れて氷の刃先が突き出してくる。

それもギリギリで躱(かわ)し続ける。

雪煙が舞い、冷気が耳を刺す。

光と冷気の残滓(ざんし)が、視界の端に青白く残る。


(なんだよ、その出鱈目な技は!!)


息を整えながら、心臓の鼓動を感じる。

神鹿は微動だにせず、淡い水晶色の瞳が月光に輝く。

その冷たい視線が、次の攻撃を示唆(しさ)しているかのようだ。


魔力と温度の変化を読み取り、ギリギリで躱し続けているものの、一瞬でも遅れれば死ぬ。

それほどまでに威力・速度・範囲ともに桁違い。


月光に照らされ、白銀の毛並みと樹氷の角が静かに光る。

その姿は、冬そのものの化身――。


(ダメだ……さすがに強すぎる。

もったいないからやりたくなかったけど、こりゃ奥の手を使うしかない)


今まで集め続けた、数十匹にもおよぶ魔物たちの血を集めた石。

それを袋越しに握りしめる。


第二ラウンドが始まろうとしていた。




◇◆◇




この血の石は、数百リットルに及ぶ魔物の血を集めた結晶。

いわば、凝集した“力”そのものだ。


その全ての力を混ぜ合わせ、黒鋼剣に流し込む。

あの堅牢な凍角に負けないように、あの強靭な皮膚を斬り裂けるように……。

求めるのは純粋な破壊力。そのイメージが形を成して現れる。


――黒鋼剣から深紅の巨斧が浮かび上がる。


この武器ならば、欠けることなく戦える。

諦めたくない。俺はまだ引くつもりなんてない。

この怪物に対する勝ち筋は、まだ“一つだけ”残っているのだから……。


生死を駆けた、ひりつくような戦いが続く。

一手の間違いが、即致命傷へと至る。

氷魔法に傷を負いながらも、なんとか耐えている。


そんな状況にもかかわらず、俺の心中は興奮で滾っていた。

かつてなく、気が高ぶっている。


(この世界は面白い! こんなにも強い生き物が平気で居やがる!)


こうなりゃ、リスクは覚悟の上。

肉を切らせて骨を断つしかない。

生命力には自信があるんだ。


決意と共に、血ノ巨斧を振り下ろす――。

《凍角の神鹿》も必死に凍角で抵抗しており、力は互角。

しかし、魔法に圧倒的な差が出来ている。


相手は無傷のまま、俺だけが次々と傷を負い続けている。

どれだけ攻撃を食らおうとも、俺は一歩も下がらない。


(絶対に一矢報いてやる。ははっ……あん時のゾルデとの戦いを思い出すなぁ)


あの狩人ゾルデから逃げた時も、全身が血まみれだった。

絶対的な強者を相手にしてなお、活路を見出そうとしていたのを思い出す。


相手の視界を遮るように、俺の身体から滴る血が霧状に変化する。

――《血神の紋章:霧状》。


さすがの神鹿も、いきなり血霧で視界を奪われるのは予想外だったようだ。

その一瞬の隙を見逃さず、胴体に一撃を叩きこむ。


ついにその純白の身体に傷を付け、血が雪に散った。


そう、これが勝ち筋。唯一の突破口。

リスクを負ってでも、手に入れたかった物だ。


――ペロッ。


血ノ巨斧に付いた"血”を、躊躇(ちゅうちょ)なく舐め取る。

その瞬間行われる。血の分解・解析・吸収。

比べものにならないほどの力が体内を駆け巡り、血が沸騰しそうになる。


『氷魔法:極』『全魔法耐性:大』を獲得。


当然、それだけにとどまらない。

俺のすでに持つ『エレメンタルレジスト』

――火・雷・水に対する耐性が“究極(アルティメット)”進化を遂げる。


『エレメンタルイミュニティ』――すべての魔法に対する圧倒的耐性。


身体から湧き上がる力。

俺の全身の細胞が、さらなる領域へと進化する感覚。


「はははっ! 待たせたな神鹿……これでようやく同じ土俵に立てた」


先ほどまで微動だにしなかった神鹿が、唸(うな)るように威嚇する。

その雰囲気は、先ほどまでの静謐(せいひつ)な様子とはまるで違う。

荒々しい、狂暴な本性。

ほんのひと時で、自分の命へと届きうる敵に成長したことを、奴は認識したらしい。


「それでいい。ほんじゃ、決着と行きますか!!」


雪原に月光が差し込み、白銀と深紅が入り混じる戦場――

戦いは、まだ終わらない。





後書き:


凍角の神鹿 (ニヴルホーン・グラキエス):SSランク。

白銀の毛並みを魔法耐性を持ち、角は魔石の結晶が枝分かれして生えた樹氷のよう。

月光を浴びた角は、神々しいほどに輝く。

瞳は淡い水晶色――冬の化身にして、氷雪の王。


空気中から魔力を吸収しつつ、自らも溢れる魔力を放ち続ける。

その影響で巻き起こる吹雪は、あらゆるものを凍てつかせる。


この世に十匹に満たない、《神獣》と呼ばれる魔物の一体である。

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