きゅう皿目 『心友』
この町に住んで二年。幼少期をいれれば十二年くらいか。
僕はこの数日で何度自己新記録を達成するのだろう。
息は相変わらず荒いが、これまで無暗に走っていた時のような不快感はない。
それは今まで後ろを見ていた僕が、前を向き始めているからだろうか。
お金を節約して(ケチって)切りにいけていないぼさぼさの黒髪を揺らしながら、一人の男が夜の闇を切り裂き走る。
それはもちろん僕だ。
母を助けることはできなかった。過去は変えられない。
でもそれを苦に悲観し、すべてを否定しても意味はない。
失ったものはどんどん過去になる。それを未来に連れて行くために走るんだ。
だから今僕たちは走っているんだ。
***
「頼む。通してくれよ……」
僕は河原を超え、奥にある森の入り口に立っていた。
手には銀色の盆と焼きナスの器。ポケットには僕の描いたあの子の絵とこの森で拾った僕宛ての手紙が入っている。
今夜は月夜で、手に持つ盆もそれを反射し輝き満月のようだった。
僕は森の中に入っていく。
一歩一歩足を前に進める。
森の中は、今夜は月夜だというのに思いのほか暗い。一人で暗闇の森に入るのはもちろん人生初だから微かに不安が芽生えてきていた。
そんな時、目の前の壁のような茂みから光が漏れているのが見える。
自ら入っていったとは言え明りをみるのは安心する。
どうやらその光は上空からの月光で、月夜に照らされた一軒の日本家屋が僕の目の前に現れた。それはまるで童話のようだと思った。
その家の門扉まで行くと、閉ざされた玄関扉の奥、中の土間に誰か立っているようだった。そのうっすら見える影に向かって僕は言う。
「僕が……僕らが子どもの頃、一緒に遊んでいた女の子はお前だったんだな」
「なんで……」
玄関から聞こえる声は、聞き覚えのある懐かしい温かみのある、僕が求めていた声だった。
「リツ」
「ウリちゃん」
やっと会えた……いや、僕が、僕らが記憶から消し去ってしまった女の子は、ずっとここで待っていたのだ。
もしかしたら、思い出していればいつでも会えたのかもしれないな……
「なんで私のこと覚えているの……」
俯きながら言っているように聞こえる彼女の声。
「オヤジさんがあの時の銀の盆とリツが作ってくれた焼きナス持ってきてくれたんだ」
「おとうさんが……お節介なんだから」
「それだけじゃない。子どものころに描いた絵、リツが描かれててそれで思い出すきっかけになったんだよ」
僕は折りたたんでいた絵をポケットから取り出し、玄関にむけて突き出した。これを見ろ!って感じに。
「あれさぁ、神社に奉納したのお前だろリツ。似顔絵描いてもらったからって神社で保管されるのはさすがに恥ずかしいぞ」
「へへ、嬉しかったからつい」
やっぱりこいつだったらしい。何故か周りも僕も覚えていなかったけど、神社にこんな大して上手くもない子どもの絵なんて奉納できるのは信仰されているようなやつだけである。
「でさ。忘れていたこの期間、色々調べたよ。子どもの頃のことや町のこと。僕とコウとミキと三人でさ」
「そう…なんだ…へへ、三人は仲直りしたんだね良かった」
姿は見えないが、リツのかわいく温かみのある声が聞こえてきて僕の胸に染みていく。彼女はずっと僕たちのことを心配していたのだろう。
僕はしようと思って忘れていた、心に刺さっていた棘を抜くことにした。
「……そういえば、まだ僕謝ってなかったな」
そうだ。謝っていなかったことが確かにある。
「風呂場でのことごめん!コウもミキも……そしてリツも!」
あの時、お湯を僕の頭にぶっかけた時の彼女の顔を思い出す。あの時は理由も何も理解ができなかった。理解しようと努めることもしなかった。
でも、今ならわかる。
「お前が言っていた通り、みんな僕を思いやってくれていた。リツがあの手紙と地図を残してくれたからまた出会えた……本当にありがとう」
「……」
リツは黙って僕の言葉を聞いていた。
「それにあの時助けてくれたのはリツだろ?子どもの頃、母さんを助けようと川に飛び込んだ僕をリツは助けてくれた。自転車で落ちた時と合わせれば二回も命を助けてくれたんだ……それを忘れていたなんて、最低だ。ほんとにごめん!」
僕はさきほど思い出したすべてに対する自分の弱さを恥る。
人間忘れることもあるだろう。しかし、本当に大切なことは忘れてはならないのだ。
「いや……ウリちゃんは悪くないよ」
「そんなことない。もしかしたら、何故か町の人間みんなお前たち河童のことを覚えてなかったのも僕がリツを怒らせたからかもしれない……」
もともと幼少期の記憶が母の件もあって薄れていっていたが、町の人たちだけは、河童のことを覚えていた。それを確かめた夜、あの風呂場でのことがあってそれがきっかけでみんな忘れてしまったように感じる。
「そうだ。聞きたいことがあるんだ。この町の伝承のこと」
不思議なこと、聞きたいことは尽きないが、コウの描いた絵に描かれたリツをみて怯え、その後コウのばあちゃんが言ったことがやはり気になる。
「なんで、荒御霊としてリツは恐がられてるんだ?」
「……それは」
しばらく間が空く。
どうしても答えられないことなのだと察する。
僕は質問をなかったことにするべく、一段声を張り上げて言う。
「そ、そっか。わかった。まぁそれはいいとして、また四人で遊ぼう!僕たちはいい大人になっちゃったけどさ!」
そうだ、みんなでまた遊ぼう。それがいい。コウとミキの今の状況はわからないけど、思い出していなくてもまた新しく思い出をすくればいい。
などと僕は希望に胸躍らせ考えていたが……
「……ごめんねウリちゃん。無理なんだ」
リツが震えた声で微かにつぶやいた時、玄関の戸が開かれた。
理解できないことはまだまだあるが、それもとりあえずはどうでもいいだろう。
リツの美しい白銀の髪、艶のある唇、無邪気な丸い目をまた見られるのならと思ってリツの姿が見えるのを待っていた。
しかし
「その姿……!」
そこには期待した血色のいい彼女は立っていなかった。
「なんでそんなに透けてんだ」
そう、透けていた。
着ている白のワンピースが月の光に照らされて透けているとかでは決してない。
白銀の髪もみずみずしい肌も唇もあの時僕の手を握ってくれた手も透け、後ろにある玄関の段差が見えている。
事態を呑み込めず指先一つ動かせずにいると彼女が口を開いた。
「私はもう消えちゃうんだ……」
「なんで……ッ!!」
消え……る?リツが?せっかく思い出してこれからまた四人一緒に居られるって、忘れていた分まで居られるって思っていたのに……
そんなはずはない。こいつは荒御霊。神様だ。少し想像した厳かな神様像とはかけ離れているけれど、リツは確かに神様なんだ。なら消えるはずがない。
そう自分自身に呪文のように言い聞かせ、次に出す言葉の弾丸を選んでいると突然、
「なんだよ……この風ッ」
突風が吹いてきた。
それはまるで僕にここから出ていけと言わんばかりに吹いてきたのだ。
なんで出ていかなきゃいけない。僕たちは幼馴染の友だちだ。神様である前に僕らにはなんでもない最高の友だちなんだよ。ふざけるな。
そう脚に願いをかけ、踏ん張っていたが、努力虚しく転ばされてしまった。
それはもう無様に三回転はしながら後ろに転がっていった。持っていた盆と器も風に吹かれた木の葉に巻き込まれながら飛んでいく。それを僕は無力に無様に見ていることしかできない。
そんな情けない僕にリツは寂しそうに言う。
「神様のルールを破っちゃったからね。私、悪い子なんだ」
「ルール……?」
ルールとはなんだろうか。それは僕に……僕らや町に関係があることなのだろうか。
そういえば何かこの河童の家にいた時きいたような気がする。
だがなんだったか……違う。今はそれどころではない。
「でも後悔はないよ」
「どうしたらいい?!教えてくれ!僕はもう……」
飛ばされないように地面に張り付く僕。あの鬱陶しい夏のセミも、暑い日差しに叩き落されないように、必死にしがみついて求愛していたのかもしれないと今なら愛おしくさえ思う。
「いいんだよウリちゃん。私たち神様が帰るべき場所に帰るだけだから」
「なにか……僕にできることはないのか!もう何もできないのは……」
森の木々は揺れ、大量の木の葉が吹き荒れ視界を隠す。
目に突風と塵が入ってしまい涙がにじむ。
「じゃあ元気でねウリちゃん。町の人たちみたいにもう荒御霊にかかわっちゃダメだよ」
「まっ……」
「大丈夫。ウリちゃんはもう溺れないよきっと」
目を開けてると、そこは自分が元々寝ていた森の開けた場所だった。
あの時もここにいた。この森の中なのに不自然に何もない空間にはリツの家があったのだと改めて理解した。
今度は過去が僕から逃げていく。
でも、知っている。オヤジさんが教えてくれた通り、過去を未来に連れて行けるのは僕たち生きるものだけだ。
まだやれることがある。
僕は足早に森を後にし、コウの家に向けて走り出した。
***
タッタッタッ
坂を上りコウの家が見えてきた時、門前に二つの影が目に飛び込む。
「あれって……」
「居たか?」
「いや……どこいったんだろ……」
コウとミキだ。顔をみると二人とも汗を垂らしながら息を切らしている。
どうやら僕のことを探してくれていたようだ。
夜とは言えこの暑さの中探してくれていたのか……申し訳ないことをした……
「二人とも!」
「ウリ!」
「お前どこいって……」
「ごめん!いきなり出て行って!」
僕は二人に腰が九十度曲がるほど深く頭を下げた。
顔は見えないが、たぶん驚いているんだろうな。
「二人があってたんだ。生きてるなら前向くべきだったんだ。後悔して立ち止まり続けることは生きてる人間にも死んだ人間にも失礼だった」
「ウリ……」
この二人と仲直りできたのもリツのおかげだ。それを決して無駄にはしない。
「コウ、ミキ。僕はまだ諦めたくない。手伝ってくれるか」
「……」
二人は顔を見合わせて、クスっと笑い
「ウリさんよ。何を当然のことを言ってんだ?それに忘れてねぇか?まだ俺らにはできることがあるんだぜ?」
そうコウはいい、昔みたいなイタズラぽい顔で笑った。
***
あとがき
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作者は小説ほぼ未経験、初投稿で右も左もわかっていませんので、優しく応援していただけるととてもうれしいです!
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