ひと皿目 『飛んで火にいる夏のUMA』

「お母さん、あのお話して」

「……いいわよ」


 この六畳の狭い部屋で僕はこの女性からよく町の昔話を聞かされた。

 その女性はショートカットの黒髪は艶やかで、この蒸し暑くかびた部屋には似つかわしくない気品がある。


「むかしむかし、この町の森には神様がいました。神様は災害を鎮めたり、病気を治してくれたり町の人にとても尊敬されていました。でも、町の人はお願いするばかりで友達にはなってくれませんでした。だから、その神様はいつもひとりぼっちで寂しがっていました」

「ひとりぼっち……かわいそう……」

「そうだね。でもね、大丈夫だよ。この神様に声をかけてくれた男の子がいたの。その子のおかげでみんなとも仲良しになったんだよ」


 僕はそれを聞いていつも安心する。でも……


「その神様は感謝してお礼にこの男の子に永遠の命をあげちゃうの。でも……それはとってもダメなことなんだ」

「ダメなの?」

 ねえ、なんでなんで?と何度もきいたことをうっすらと覚えている。

 なんでだろうと女性は言い、よく困らせたっけ。

「その神様はね、罰として消えちゃうの。それからは皆神様を忘れちゃったんだって……」


 女性は寂しそうな顔でいつもそう言った。

 この話を何度もしてほしいと僕が言ったのは、こんな悲しい表情をさせるためじゃない。


「大丈夫!今度は僕が神様見つけて、仲良しになるから!」


 そう言うと、いつも僕が大好きだったあの笑顔を見せてくれる。

 僕はこの母の笑顔を守らなきゃいけないと幼心に誓っていた。



 

ドドドドド。


「お母さ……お母さんッ」

「子どもが飛び込んだぞ!おい!救命胴衣持ってこい!レスキューを呼べ!」


 身体にまとわりつく灰色に濁った水は決して僕を離してはくれなかった。

 昔テレビで災害の特集をみていて、水が襲ってきても僕なら泳いで逃げられるよ!と得意げに言っていたのが恥ずかしくなる。

 手足の一切が動かない。これに抗えるものが地球上のどこにいるだろうか。

 周りにいた野次馬も何もできずにいるようだった。責めはしない。

 荒れ狂う水はまさしく神そのものなのだから仕方ない。

 溺れながら叫んだせいで身体の中に濁流が入ってくる。

 決して取り除くことのできない不快感を抱いたまま、僕の視界はだんだん暗くなっていった。




 全身の力を抜き絶望に身を任せ諦めかけたそのとき、その暗闇の中に一筋の光を感じた。唇には温かい感触がある……これはなんだろう。


「り……ウリちゃん!」


 聞き覚えのある声だ。でも爆音で流れる濁流の中で何故声が聞こえるのだろうか?

 温かい感触に温かい声、思いやりに直接触れたらこんな感じかなとも思った。




「溺れるッ!!」


 部屋の中に成人男性にしては高めな声が響き渡る。

 外から聞こえるみーんみんみんというセミの声が僕の残響を消していく。

 ありがとうセミたちよ。できることなら情けない僕ごとかき消してくれ。

僕が跳ねるように飛び起きたからほこりが舞っている。カーテンなど軟弱ものの一切ない、僕の四畳一間の城に陽光が降り注ぎ、光子一粒一粒が舞ったそれらに反射し目に突き刺さる。

額から滝のように流れる汗。着ているタンクトップとトランクスは身体に張り付いて不快の権化と化していた。この不快さは、神をも泡を吹いて卒倒するほどの不快指数を誇っているだろう。

 枕もとに置いていた目覚まし時計は、アラームをセットした八時からは程遠い、早朝五時十分にこと切れていた。別れというものはいつも突然訪れる。

 おかげで真夏の昼の太陽に蒸し殺されるところだったのだ。

 この運の無さはもはや世界が意思をもって僕を殺しにかかってきているとさえ思う。

 いや……むしろ汗で溺れ死んだ方が良かったのかもしれない。

 そうすれば今目の前にある現実からも逃げられる。


 そう思いながら、プライドの為に無理して買った長財布に残された一人ぼっちの10円玉を見つめ、僕はうなだれていた。

 今日は大家さんが集金に来る日なのだ。小説家である自分は収入が入ったら必ず払うと言っているのに今日集金に来るという。来たって虎の子の10円玉を見せつけて終わりだ。払えるものなんて何もない。

 そこで誰かに金の無心でもすればどうにかなるかと早寝早起きで金策に走ろうと思っていたのだがこの始末である。自分の不運を呪う。日頃からいい子にしているというのに神様はどこに目をつけているんだか。


「……よし」


 ベージュの短パンと僕の心を映したような白いシャツに着替え、僕は自分自身にこう告げる。


「逃げよう!」

 

 そして僕は所持金10円と生活を苦しめている主犯、敬愛なるおタバコ様をポケットに突っ込んで、ウリ2世と名付けた銀色に輝く世界一のママチャリに跨り、家の前の坂道を下っていく。

 どこというあてもない。ただ大家さんという僕の人生史上最大の敵から離れられれば文句はなかった。




「いくぜ、ウリ2世」


 坂道の途中にあるカーブを目前に僕は周りには聞こえないような声でつぶやいた。        

 このカーブを全速力で曲がる。それがお金のない自分にはとんでもない贅沢で快感だった。

 いつも通りの力加減でハンドルを曲げて体重を右にかけようとした瞬間、ぎょっとした。

 動かない。ハンドルがきれないのだ。まるで自転車全体が一つの塊になったようにガッチリと固定されてしまっていた。

 こんなことがあるのだろうか。ブレーキをかけようにももう止まれる距離感ではない。日々のメンテナンスを怠った過去の自分を呪う。


 目の前にはさっきまで大好きだったカーブ。手元には鉄塊と化した我が相棒ウリ2世。もう行くしかない。飛ぶしかないと僕はぐっと覚悟を決めていた。

 このあと大けがを免れられないとわかっているのに行くしかない。

 この超無力感はどこかで経験したことがある。

 そうか、あの時僕の世界を終わらせた濁流だ。身にまとわりつく理不尽を受け入れるほか、ただの人間である自分には、それしかできない。


「ふっ……」


 こうなったら笑顔のまま飛んでやる!

 どうせ人生、生きるか死ぬかは50/50だ。なら笑顔で行ってやる!あと大家さんにも良い言い訳になるしな。

 そう零コンマ一秒前の自分は心の中で大見得を切っていた。しかし……


「いやぁあああッ!!誰か止めてくださいぃいぃぃッ!!」


 涙やら鼻水やらよだれやらほぼすべての穴から水分を垂らしながら命乞いする自分がそこにはいた。

 先ほどまでの無限にも感じられた自己語りはなんの意味もなかったようだ。

 どれだけ御託を並べても怖いものは怖い。

 そんな垂れた鼻水の言い訳をしているうちに僕はカーブを曲がらずそのまま宙を舞っていた。

 高速で落ちているはずなのに視界はスローに見える。見ると下は河原のようだった。普段ここは通り過ぎるだけなので忘れていた。

 そうだ、ここは昔よく遊んだ河原だ。そして確かこの川のどこかで母さんは死んだんだ。

 僕が過去に溺れたのは、濁流だったからだけが原因ではない。

 自分は泳げないのだ。だからこの高さから落ちて生きるか死ぬかは50/50と言ったが撤回しよう。下が水なら確実に死ぬ。

 親子そろって同じ死に方なんて笑えない。いやむしろ笑い話にして後世に語り継いで欲しい。それしか僕の足跡を残すことはできそうもないのだから。


 そんなことを考えていた僕は再度ぎょっとすることとなる。

 下の河原をよく見ると緑の身体にカメの甲羅のようなもの、頭には光る円盤のようなものを乗せた生物が川で何かを洗っているのが目に留まる。

 よくは見えないがあれは所謂河童……という生物だろうか。

 本物なら水かきの感触や子どもは卵で産むのかとかぜひ取材したいものだ。

 はは、いいもの見れたぜ。生きて帰ったら誰かに自慢してやろう。友達なんていないけど。


ザパーン!

 そう思いながら僕は清流に沈んでいった。


    ***


「ウリちゃんってなんでウリちゃんなの?」


 僕は目を丸くさせていた。

 大安売りで手に入れた2Bの鉛筆を使い、スケッチブックに目の前の森と川の絵を描いている。

 その隣で、少女はそう言った。さっきまで今日の晩御飯はなんだろうという話をしていたのに、急な方向転換。脈略の無さにびっくりする。


「ショウリだからウリってみんないうんだ……変、かな?」

「ううん。かわいいよ!いいお名前!それに……」


 少女は一瞬言い淀んだように見えた。肌が透けるように美しく、唇も朝露に濡れた果実のようなつやをたたえている。


「コウ、ミキ、ウリ……みんなとお揃いで仲良しなんだね!」


 少女は満面の笑みでそう言った。その太陽のような表情を誰も疑うことはないだろう。

 しかし、なぜだろうか。その笑顔は嘘なのだと幼心に思った。その仲良しにキミは入っているのか……などとも思った。

 少女を助けたいと感じたからこそ傍にいたのだ。周りはよしなさいと言っていたけれどそんなのは関係ない。

 これは恋なのではない。そんなチープなものではない。本物の友情だ。愛を超える友情なのだ。

 そう誓ったはずだったのに……全てを台無しにしたのは僕なのかもしれない……


ゴポポポ


「……リちゃん……ウリちゃん」


 声が聞こえた気がした。温かい感覚。あの時によく似ている気がする。

 そういえば、母も温かな声の人だったな。


「ん……か、母さん……」


 目をうっすらと開けると、そこ誰かがいるのがぼんやりと分かった。

 光沢のある肌に、ビー玉のような綺麗な瞳。それに黄色いくちばしに、水晶のような頭のお皿……背中には特大の甲羅なんて背負ったりなんかして……


「誰が母さんだバカ野郎」


 目をぱっちりあけると、見慣れない生き物の顔が僕の顔面5センチの距離にあった。


「!!」


ドタドタダンッ!

 無意識に僕は寝起きとは思えないほどの勢いで部屋の壁まで飛んで逃げていた。ぶつかった衝撃でタンスやガラス障子が揺れている。


「おう。目が覚めたのか小僧。そりゃよかったぜバカ野郎」


 なんだ、なにが起きたというのだ。目の前にいるのは間違いなく河童だ。

 信じられないかもしれないがあの伝説上の生き物、河童だ。鱗の光沢とかくちばしの質感とかそもそも緑の肌とか……当たり前だがリアル河童を初めて見た……初めて……?


「あ、あの僕はどうやってここに……」

「覚えてないのかよ。娘の話によれば川で洗濯していたら急に小僧が降ってきたらしいぞバカ野郎」


 そうだった、僕は川に落ちたのだった。

 それにむ、娘……?ああ、そうか。あの河原でみた河童は娘だったのか。あの距離では性別まではわからなかった……そもそも河童に性別があるのなんて初めて知ったわけだが。

 着替えも娘さんが乾かして着替えさせてくれたのだろうか。人間ではないが恥ずかしがるのがマナーだろうか。


「そそ、そうなんですねぇ~。む、娘さんが僕を……」

「娘……さん……?」


 急に空気が変わるのを感じた。

 目のまえの初対面の河童の眉間にはしわがより、青筋を立てている。河童なので正式には緑筋なのかもしれないが。

 兎にも角にも、空気が震えるほど明らかに憤怒しているのが一瞬でわかった。

 逃げた方がいいかと考えた瞬間、一気に間合いを詰めて胸ぐらを掴まれそのまま河童の目線のはるか上空まで持ち上げられた。

 瞬きもしていないのに見えなかった……


「い、いきなりなんなんだよ……」

「娘さんんんんだとおおぉおぉ?!娘はお前なんぞ軟弱ものにはやらんわバカ野郎おおぉぉおッ!!」


 なるほど。察した。どうやら僕が娘さんと言ったことがこのオヤジ河童の逆鱗に触れてしまったらしい。

 人間社会でもよくある親子のあれだ……あれ。

 そう。ただの親バカだ、馬鹿野郎。


「そ、そんなつもりないっ……誤解だって……!」


ぐぐぐっ。

 ああダメだ。この河童きいちゃくれねぇ。締め付けもどんどん強くなってるし。

 よく見ると頭の皿がぐつぐつと沸騰し、くちばしも黄色から赤になっている。

 よし学会で発表して人生大逆転だ!と言いたいところだけど、その人生もここで終わりそうだ。ほんとツイてない……


 「なにしてるの!」


 ぱかんッ!

 一瞬銀と白の閃光が走り、気づけば沸騰してた緑のおっさんは奥のふすまを突き破りさらに奥の壁に突き刺さっていた。足を広げぴくぴくし、まるで車にひかれ干からびる前のカエルのようだ。


「もうお父さん何をしてるんですか!せっかくのお客様なのに!」


 喉を押さえ、下を向き咽せながら聞こえてくる美しい声に耳を傾ける。さっきのオヤジからこんな美しい音を発する生き物が生まれるとは到底信じられなかった。だが所詮河童は河童。緑のUMAに変わりはない。


「ごほごほ……ど、どうもありが……」


 顔を上げてお礼を言う途中でぴたっと止まってしまった。


「大丈夫ですか?う~ん怪我はないようですし熱も下がったようですね」


 僕の額に手を当てながらその子は屈託のない笑顔を浮かべる。

 その子の肌は緑でもなく、皿もくちばしも甲羅もなく親河童とは大違いだったが、僕の動きを止めたのはその温かい笑顔だった。







  ***


あとがき

【作者からのお願い☆】


少しでも


「面白かった!」


「作品に興味あり!」


と思っていただけましたら幸いです!



作者は小説ほぼ未経験、初投稿で右も左もわかっていませんので、優しく応援していただけるととてもうれしいです!



気に入っていただけましたら


ぜひ下にある♡から、応援よろしくお願いいたします。



仲良くしていただける方はフォローもぜひ!


皆様の一助になれる作品を目指し邁進いたしますので


何卒応援のほどよろしくお願いいたします。





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