第13話 夕暮れの図書室と、無謀な賭け
「君は、なんでこれを研究してるの?」
愛佳が聞いた。 愛佳の知る莱亜は、本なんて読まないし、すぐに集中力が切れるタイプだ。 『TikTok』のショート動画を見ている方が似合っている。
「いや、研究なんてしてないよ」
莱亜は気まずそうに答えた。
「私には愛佳みたいな頭脳はないし、こんな……神羅万象(しんらばんしょう)の神秘的な理論なんて、理解できないもん」
「研究というほどのことじゃないわ。私はただ、暇なだけ」
学校の宿題を終わらせるだけで深夜2時になる莱亜にとって、「暇だから論文を読む」という天才の感覚は理解不能だ。 愛佳への崇拝度がまた上がった。
愛佳は本棚へ歩き、莱亜がどうしても見つけられなかった『魂の21グラム』を抜き出し、手渡してくれた。
「歴史の中で否定されたこれらのパラドックス(逆説)を読むと、かつてはそれが真実だと信じられていたのに、結局は覆されたという事実に惹かれるの。普通の人とは違う景色を見ているような気分になるから」
「愛佳は全然普通じゃないよ。成績だってトップだし」
「成績が良くても、ただの学生よ」
愛佳は言った。
「私はずっと、自分はただの学生で終わるべきじゃないと思ってた。毎日学校に行って、塾に行って、宿題をして、テストのために精力を使い果たす。結局はみんなと同じ、量産型の人生」
愛佳の声に、熱がこもる。
「……違う、そうじゃないの。私はみんなとは違う。私には、もっと特別な使命があるはずなの!」
そう言った時、愛佳の秀麗な横顔には、莱亜には理解できない神聖な何かが宿っていた。 振り返った愛佳の、その灼熱のような視線に、莱亜の心臓がドキンと跳ねた。
期待を込めて、私を見ている。
「愛佳、言いたいことは分かるけど、みんなと同じじゃダメなの?」
「そこが我慢ならないの」
愛佳はきっぱりと言った。
「あなたは現状に満足しすぎている。努力もしない、何も求めない、流れに身を任せて、流行りのゲームをして、流行りの服を着て、ネットスラングばかり喋って。あなた自身の個性はどこにあるの? そんな風に生きちゃダメ。自分にはもっと重要な使命が与えられていると信じるべきよ。そしてその使命は、『あなたにしかできないこと』なの」
莱亜は愛佳を崇拝している。 だから、その「あなたにしかできないこと」という言葉を反芻した。
でも、この世界に、私にしかできないことなんてあるのだろうか?
「必ずあるわ」
愛佳は断言した。
「私は、何か目的があってこの世に生まれてきたと信じてる。あなたもそうよ」
夕日の最後の残光が、愛佳の輝く横顔に溶けて消えた。 すべてが灰色に沈む直前のその瞬間は、莱亜の心に深く刻まれた。
いつか私も、愛佳のように自分の存在に自信と期待を持てる日が来るのだろうか。
私にできること。 私を特別にする何か。
莱亜は左手に握りしめた古びた本を見下ろした。 心臓が高鳴る。
実は、すでにその答えを握りしめていたのだ。
「愛佳、なんとなく分かった気がする」
莱亜はゆっくりと言った。
「私は、誰かを助けたい」
たとえその“誰か”が、夢の中の人物だとしても。
日が完全に落ち、電気のない図書館は闇に包まれた。 二人の少女はそこを出て、並んで校門へと向かった。
夕暮れの中、兄の風也(フウヤ)が車のドアにもたれてスマホをいじっていた。 かなり待たされたはずだ。
風也は久しぶりに妹の隣にいる優等生を見て、面白そうに目を細めた。
「やあ、愛佳ちゃん。言っただろ、うちの莱亜と一緒にいるとバカが伝染るって」
莱亜は白目を剥いて、愛佳の腕にすがった。
「無視して、愛佳」
しかし、愛佳は冷淡に腕を引き抜いた。 どうやら関係修復には至っていないらしい。
莱亜はショックを受けた。
「仲直りしたんじゃなかったの? だって普通に話したし……」
「莱亜。絶交するって言ったのはあなたよ。私はあなたの意思を尊重して関係を絶っただけ。仲直りしたいなら、それなりの努力と誠意を見せなさいよ。そうじゃなきゃ、私の原則(ルール)が崩れるわ」
えっ! ええーっ!?
「来週、地区のマラソン大会があるわね。もしあなたが完走して、上位50位以内に入ったら、仲直りしてあげる」
もし体育の成績だけで高校入試があるなら、莱亜は間違いなく首席合格できるだろう。 運動神経はアマゾンの猿並みに発達しているのだから。
しかし――。
「マラソンって長距離でしょ……私、持久走は苦手なの」
瞬発力はあるが、スタミナがないのだ。
莱亜が怯えるのを見て、愛佳は意地悪く言った。
「それとも、数学と英語で90点以上取る方がいい?」
それだと、一生絶交したままだ。
「い、いや! マラソン走る! 愛佳のために命を懸けて走ります!」
莱亜は胸を叩いて誓った。
「誠意を見せるよ。待ってて、愛佳!」
愛佳は肯定も否定もせず、風也に軽く会釈をして去っていった。
愛佳の背中が見えなくなるまで、風也は腕を組んだまま、ニヤニヤと笑っていた。 その無言の笑顔は、いつもの毒舌よりも莱亜の神経を逆撫でした。
「お兄ちゃん、なんでバカにしないの?」
「お前がそんなにやる気を出すのを初めて見たからな。驚きすぎて言葉も出ないよ」
風也は悠々と言った。
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