座標Xへの道程
五月雨
第一章第一節
『秩序は鋼の壁だ。その壁は越えようとする者を押し返すが、倒れた者を抱きとめることはない。』
魔王領第ゼロ情報提供装置
***
四十年前、人間の世界と、その並行世界に存在する魔族の世界が交わった。人間たちは必死に抵抗したが、それは虚しく、魔族の圧倒的な力によって敗北を喫した。その後、世界は魔族の支配下に置かれ、都市も文明も新たな秩序に組み込まれていった。魔王は人間の脳と高度な技術に目をつけ、人力で稼働する情報提供装置――サーバーを作り、そこに人間を働かせることで膨大な情報と監視を可能にした。
しかし、私の目は単なる監視者のそれではない。幼いころから知る七人――ルキアヌス、アウレリア、シルウァヌス、クラウディア、イグナティウス、セレニア、ウィクトリヌス――の存在が、私の心を掴んで離さない。彼らの笑い、泣き、喧嘩、励まし合う姿は、私にとってこの閉ざされた世界の中で唯一の光であった。
ルキアヌスは明るく皆をまとめる少年、アウレリアも優しく皆を支える少女だが時折弱さを見せる。シルウァヌスは冷静沈着で戦略的思考に優れ、クラウディアはおとなしく人見知りで、何かを秘めているようにも見える。イグナティウスは熱血で、時折核心を突く言葉を放つ。セレニアは落ち着きと優しさを兼ね備え、ウィクトリヌスは自信に満ち、判断力に優れる――まさに七人の少年少女は、この過酷な施設において異質な光を放っていた。
その日も、七人は密かに脱出計画を練っている。薄暗い通路の角で小声で話す声が、監視室に微かに届く。私はそれを盗み聞きながら、心を静めて見守る。報告すれば即死刑のはずだが、私は報告しない。幼いころから知る者たちが、自分の力で立ち上がる瞬間を、ただ見届けたいのだ。
『閉ざされた世界の中で、知恵と勇気は微かな火となり、鉄格子も闇も越えて胸の奥を温める。だが、その火は時に、守るべきものを傷つけることもある。』
モニターに映る通路の影を見つめ、足音や息遣い、囁きの一つ一つに耳を澄ませる。私にできるのは、彼らの火が消えぬよう影から見守ることだけだ。
***
薄暗い通路の奥、七人の小さな影が揺れていた。私は監視室の片隅で、彼らの会話を耳に入れながら、ひそかに胸の奥でため息をつく。
「ルキアヌス、次の扉の警備はどうなってる?」
アウレリアの声が少し震えた。普段は明るく、皆を支える彼女だが、今だけは不安が滲んでいる。
「大丈夫、情報はシルウァヌスがまとめてくれている。作戦通りなら、ここを抜けられるはずだ。」
ルキアヌスの声にはいつもの明るさがある。しかし、私は知っている――その背中の影に微かな迷いが隠れていることを。
「……もし失敗したら、どうなるんだろうね」
クラウディアの小さな声が通路に溶ける。私は一瞬、息を止めた。彼女は普段はおとなしく、ほとんど自己主張をしない。しかしその言葉には、何か別の思惑――隠されたものが潜んでいるように聞こえた。
イグナティウスはすぐに反応する。
「考えるな。俺たちはやるしかないんだ。ここで怯えても、誰も助けてくれない。」
熱血な言葉だ。しかし、彼の目は冷静に計算されていて、ただの感情論ではないことを示していた。
セレニアは微笑むように、しかし柔らかく言った。
「私たち、互いに助け合えば、きっと抜けられる。怖いけど、信じたい。」
その声に、私は胸の奥で微かな痛みを感じる――守ることも、逃がすこともできない自分の立場を突きつけられたようで。
「よし、次の階層に進むぞ」
ウィクトリヌスは自信に満ち、軽やかに指示を出す。その姿に、私は少し笑ってしまいそうになる。彼の自信が、七人の支えになっていることを知っているからだ。
通路の角を曲がると、七人は小さなスペースに身を潜め、次の扉の警備パターンを確認していた。私は監視カメラの映像を操作し、彼らの計画を微かに補助する。報告しない。死を恐れているわけではない――彼らの力でこの世界を渡り切る瞬間を、私は見届けたいだけだ。
『閉ざされた迷宮の中で、知恵は鍵となり、信頼は盾となる。しかし、時に最も静かな者が、最も鋭い刃を隠している。』
クラウディアの視線が一瞬、私の心に刺さる。彼女の沈黙の奥には、まだ私の知らない計画があるのだろうか――それともただの不安か。私は眉一つ動かさず、影から彼女たちを見守った。
そして七人は、夜の交代が迫る中、静かに次の階層へと移動を始める。通路の鉄格子越しに交わる小さな手の動き、息遣い、囁き――それらすべてが、脱出へのカウントダウンの合図となっていた。
私は監視室の椅子に沈み、暗い光を背に受けながら、ふと思う。
「守るべきは、彼らの命か、それともその未来か――」
その答えはまだ、私の中で揺れ続けていた。
***
七人は、迷宮のような通路を静かに進む。鉄の壁には古い配線と機械装置が絡まり、照明は断続的に点滅する。廃墟のようでありながら、そこかしこに監視の目――小型カメラや音声感知センサーが隠されていた。私はその配置をすべて頭に叩き込みながら、影から彼らを見守る。
「ここを抜ければ、次の階層だ……」
ルキアヌスが小声で言う。その背中には、明るさと希望が滲んでいる。私は知っている――その希望は、どんな絶望の中でも消えることのない火だ。
クラウディアは慎重に、だが迷わずに足を進める。その影が壁に映ると、私の心に微かな違和感が走る。彼女の沈黙はただの臆病ではなく、何か別の意図を隠しているようにも見えるのだ。
階層ごとに配置された警備用のセンサーは、人力で作動する信号装置により微妙に誤作動を起こす。七人は幼いころから受けた英才教育により、警報のタイミングや機械の微細な動作を瞬時に読み取り、影のようにすり抜けていく。
私は息を潜めながら、心の中で彼らを応援する。報告すれば即死刑。だが、私は報告しない。彼らの自由への一歩を、遠くから、影から、ただ見届けるだけだ。
突然、警報の赤い光が点滅する。
「見つかったか?」
ルキアヌスの声に、アウレリアが小さく首を振る。しかし、私は知っていた――追っ手がすぐそこに迫っていることを。
「やれやれ、手のかかるクソガキ共だ……」
私は心の中で小さく呟く。普段は冷静で無表情に見える私の声も、今だけは心臓の奥で震える何かを感じる。魔族と人間のハーフである私の血は、戦闘フォルムへの変化、『変怪』を促し、身体を戦闘用に適応させる。
七人は無事に通路の端に到達する。目の前には最後の門――厚い鉄扉が、脱出への障害として立ちはだかる。その瞬間、私は立ち止まる。背後には迫りくる追っ手の影。彼らを守るため、私は自分自身の役割を全うする時が来たのだ。
『閉ざされた世界の迷宮で、知恵と勇気は光となる。しかしその光は、最も近くにいる者の影をも濃く映す。光の先に見えるものは、希望か、裏切りか、それとも……』
私の胸の奥には、複雑な感情が渦巻いていた。彼らを自由に逃がしたい――だがその先に何が待っているかは分からない。守るべきは生命か、それとも未来か。答えのない問いが、私の心を締めつける。
鉄扉を前に、私は変怪した体を戦闘モードに切り替え、追っ手を迎え撃つ準備をする。その瞳は冷静に、しかし心の奥では熱い思いが燃え上がっていた。七人が安全に門を通り抜けること――それだけを祈りながら。
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