第19話 協力プレイ

 バスを降りた場所からさらに奥へ。整備された遊歩道は終わり、足場の悪い山道へと入っていく。

 地面は湿った土と腐葉土で覆われ、所々で木の根が網の目のように張り出している。

「うわ、滑るっ」

 前を歩く栞がバランスを崩す。

「危ない!」

 俺は反射的に手を伸ばし、彼女のリュックを掴んで支えた。

「……ふぅ、ありがと。セーフ」

「気をつけてください。ここ、移動難易度高いです」

「了解、慎重に行く!」


 俺たちは慎重に足を進める。

 段差のきつい場所では俺が先に登り、上から手を差し伸べる。栞はその手を迷いなく掴み、身体を引き上げる。

「よいしょっ!」

 言葉にしなくても、自然と役割分担ができている。

 タンク役が前衛で道を開き、後衛を守る。

 ゲームの中では当たり前の連携だが、現実の、しかも生身の人間相手にこんなにスムーズにいくとは思わなかった。


 三十分ほど歩いただろうか。

 遠くから、ゴォォォォという重低音が聞こえ始めた。

 空気が一気に冷たくなり、微細な水滴が肌に触れる。

「聞こえる? ボスの気配!」

 栞が目を輝かせてペースを上げる。


 木々のトンネルを抜けた先に、それはあった。

 落差二十メートルほどの滝。

 岩肌を削るように激流が落ち、白い飛沫を上げている。

 滝壺からは霧のような水煙が立ち上り、そこに差し込んだ陽光が鮮やかな虹を描いていた。

「うわぁ……!」

 圧倒的な光景に、二人して息を呑む。

 マイナスイオンなんて生温い言葉じゃ足りない。大自然のエネルギーそのものだ。


 栞はすぐにリュックを下ろし、カメラを構えた。

 表情がクリエイターのものに切り替わる。

「すごい……でも、これ難しいな」

 ファインダーを覗きながら、彼女が独り言のように呟く。

「どうしました?」

「逆光がきつすぎるの。滝の白飛びを抑えようとすると岩が黒つぶれするし、岩に合わせると滝が真っ白になっちゃう」

 人間の目には綺麗に見えても、カメラという機械の目には明暗差が大きすぎるのだ。


「うーん、HDR合成するしかないかなぁ。でもそれだと、あの一瞬のきらめきが死んじゃうんだよね」

 彼女は悔しそうに唇を噛む。

 俺は周囲を見回した。何か使えるものはないか。

 ゲームのグラフィック処理を思い出す。暗い部分を明るくするには、光源を追加するか、環境光を反射させるしかない。

 俺の視線が、自分のバックパックに止まる。


「……栞さん、ちょっと待っててください」

 俺はバックパックを開け、昨日買ったばかりの白いフェイスタオルを取り出した。

「え、何するの?」

「簡易レフ板です。ゲームのライティング処理と同じ理屈で、太陽光を反射させて岩場の影を消せませんか?」

「……なるほど! 補助光!」

 栞の顔がパッと明るくなる。


 俺は滝の側面にある岩場によじ登った。滑りやすくて危険だが、ここなら最適な角度で光を当てられる。

 タオルを両手で広げ、ピンと張る。太陽の光を捕まえ、栞が狙っている岩陰へと反射させる。

「どうですか!?」

 水音に負けないよう大声を出す。

「もうちょっと右! そう、そこ! 完璧!」

 栞が叫び返す。

 ファインダー越しに、俺たちの視線が一つになる。


 風が吹き、滝の水量が変化する。

 虹の色が濃くなり、水飛沫がダイヤモンドダストのように輝く一瞬。


 カシャッ。


 渓谷の轟音を切り裂くように、乾いたシャッター音が響いた。

 一度、二度、三度。

 迷いのない連写。


 栞がカメラを下ろし、プレビュー画面を確認する。

 数秒の沈黙。そして。

「……撮れたっ!」

 彼女が弾かれたように顔を上げ、満面の笑みで叫んだ。

「撮れたよ湊くん! 私が撮りたかったの、これだ!」


 俺は岩場から降り、彼女の元へ駆け寄る。

「見せてください」

 小さな液晶画面の中には、光と影、水と緑が奇跡的なバランスで調和した一枚があった。

 ただ綺麗なだけじゃない。轟音や冷気、湿った空気の匂いまで伝わってくるような、圧倒的な臨場感。

「すごい……」

「でしょ!? 湊くんのおかげだよ!」


 興奮のあまりか、栞が勢いよく俺に抱きついてきた。

「えっ、ちょ、」

「ありがとう! 最高のアシスタントだよ!」

 小柄な身体が、俺の胸に飛び込んでくる。

 柔らかい感触。ふわりと香るシャンプーの匂い。そして、トクトクと速い心臓の音。

 俺の思考回路がショートし、全身が硬直する。

 心臓がうるさいほど鳴っているのが、相手に伝わってしまうんじゃないかと焦る。


 数秒後。

 我に返ったのか、栞がパッと身体を離した。

「あ、ごめん! つい、嬉しくて……」

 彼女の耳が赤くなっている。

「い、いえ。いい写真が撮れてよかったです」

 俺も顔が熱い。どこを見ていいかわからない。


 気まずい沈黙が流れる。

 けれど、それは決して嫌なものではなかった。

 滝の音だけが響く中、俺たちの距離は、物理的な接触以上に縮まっていた。

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