第二章 六年ぶりの再会①



 この世界では、魔素と呼ばれるものが空気中を漂っている。

 魔族の住むシェグナルト大陸の魔素は特に濃く、そのため魔物や魔族には適した環境らしいが、ただの人間が住むには不向きな場所だった。

 そうして人類は現在のティパレス大陸に国を築き、文明を開いていったが、ティパレス大陸に魔物が全くいないわけでもない。

 それは【表向き】魔王が倒され、【一応】世界に平和が訪れたとされる今もなお、変わらず存在している。

 過去の人類は、そんな魔物や魔族への対抗手段として魔術や聖術を極めることにしたのだが、神がいとし子に与える聖力と違って、魔力は遺伝によるところが大きい。

 特に『能動タイプ』と呼ばれる体内に保持する魔力を扱う者は、その傾向が顕著だ。

 彼らは生まれ持った魔力器官で魔力を保持したり生成したりするのだが、これが遺伝に関係しているのだとか。しかも保持できる魔力には限界があるため、有限の魔力で魔法を行使するには万物に宿る精霊に力を借りる必要がある。そのために彼らは特殊な言語を用いた〝呪文〟を唱えるのだという。

 逆に言えば、精霊に気に入られれば気に入られるほど、少ない魔力でも強大な魔法を使うことができてしまうらしい。

 一方で、魔力保持者には他に『受動タイプ』というものがある。

 こちらは空気中の魔素を体内に取り込んで魔力に変換するため、体内に魔力を保持する器官はなく、能動タイプより遺伝が強く出ることはないそうだ。

「──その魔力が不安定だから調査してほしい、ね」

 イザベラは、とっくに通信が切れて静かになった部屋で独りごちた。

 魔術通信具はいつも通信が切れると同時に消えるので、テーブルの上には冷めた紅茶入りのカップとソーサーしか載っていない。

 あんなに切実な顔をしたローレンツは初めて見たと、先ほどの彼を振り返る。

『ルアンはそれはそれは愛らしい子なのですが、どうにも魔力が安定せず、このままでは命の危険もあるほどなのです。特にシェグナルト大陸は魔素が多い分、魔力暴走の影響も大きい。そこでリリアンナと話し合った結果、一度ティパレス大陸で様子を見てみようということになりました』

 このとき本当なら『いつのまに子どもが』とその出生を隠されていたことを怒りたいくらいだったが、話題が話題だったためにぐっとこらえた。

『あなたはただの人間と違い、魔術が効きにくい体質です。であれば、ルアンの影響も受けにくいでしょう』

『だったらお姉様とルアンをこちらに戻せば解決ではなくて?』

『残念ながらそれはできません。いずれにしてもルアンとリリアンナを離さなければ、リリアンナの命も危ういのです。ルアンは魔力の暴走を起こすと、それによって減少した魔力を無意識にどうにかしようとするのか、リリアンナの生命力まで奪おうとしてしまうのです。いにしえから母と子の強いきずなうたわれているところですが、今回はあだになっているのですよ』

『そんな……お姉様は、お姉様はご無事なのっ?』

『今は安静にしていますので心配には及びません。リリアンナからあなたへ伝言です。迷惑をかけることになってごめんなさい、どうかルアンをお願い、と』

『わかったわ。お姉様の願いなら任せてちょうだい』

『……私が言えたことではありませんが、あなた本当にリリアンナが関わるとちょろいですね』

 ローレンツのあきれ顔は無視をして、イザベラは詳細をたずねた。そうして返ってきた答えが、ルアンの魔力が不安定な原因の調査だったのだ。

 つまり、子育てというよりはルアンの調査が本命のようで、ゆえにここでヴァレルドが出てくるのである。

 ヴァレルドは表向き『魔族』の研究をしている魔術師だが、実のところは『ぎよう』の研究をしている。

 ルアンは魔王の子でありながら『異形』の確認が取れていないため、そこに魔力が不安定な原因があるのではないかとローレンツは考えたらしい。

 魔族のあかしである『異形』の研究なんて、少なくとも表向きは誰もやっていない。多くの研究者や魔術師たちは、魔物や魔力、魔術の研究には積極的だが、『異形』になんて興味すら示さないのが普通だ。むしろけんしているくらいである。

 魔族もなぜ自分たちに『異形』が現れるのか実は知らないと言うのだから、ローレンツがヴァレルドを頼る理由はわからなくもなかった。

(ルアンは、三日後に来るのだったわよね)

 魔族は、生まれたときから『人間』とは違う形や異なる肌質を持っているが、それ以外は人間となんら変わるところはない。ゆえに自分たちも同じ『人間』だ──そう主張している。彼らからすれば『異形』は個性のような感覚らしいのだ。

 イザベラは死んだと思っていた姉からその話を聞いた。聞いて、勇者一行が魔王討伐中止の決断をしたのは、きっと姉の意向だろうと直感した。

 見た目が違っても同じ種族ならば、仲良くできるはずだと期待して。

 なんなら「一緒に和解の道を模索しましょう」くらいまで提案したかもしれない。姉はそういう人だ。無闇な争いを良しとしない。なるべく平和的な解決を望む。

 イザベラからすればかなり意地悪な人が相手でも──イザベラなら拳で解決しようとするが──姉は相手の事情を聞き、み取ろうとする。みんなに暴力的だった子どもが実は虐待を受けていたことが判明して救った、みたいな事件も過去にはあった。似たようなことを何度も姉のそばで見てきた。

 ローレンツ自身に進んで人間を害する意思がないことも、姉の中の信ぴょう性を高めたのだろう。しかも厄介なことに、ローレンツの主張は結構筋が通っているのだ。彼いわく、魔物は魔族にすらあずかり知らぬ存在であり、仲間ではないのだと。

 確かにそう言われて初めて思い返してみると、人間側は魔物の襲撃を受けるたびに魔族──ひいては魔王の命令で攻めてきているのだと思っていたが、実は魔族と魔物が共謀して人間を襲ってくることはなかった。

 また魔族が率先して人間を襲うというよりは、大概が魔族を恐れた人間側からの攻撃が戦争の火種になっていた。

 そんなふうにして一気に世界の真実のようなものを聞かされたイザベラは、正直に言ってちんぷんかんぷんで、ローレンツには大いに呆れられたものだ。

 ただイザベラにとっては、真実などどうでもいいのである。姉が言った。それだけがイザベラの真実だ。姉が〝シロ〟と判断したのなら、世界が〝クロ〟と決めたとしても、イザベラだけは姉の味方になると決めている。

(そう、だからわたくしはいいのよ)

 でも、他の人間にとっては違う。こういうとき少数派は多数派に勝てない。導き出された答えがどんなに道理を外れていても、多数派の意見が『正義』になってしまう。

(ヴァレルド様を、これに巻き込めですって?)

 冗談じゃない。率直な感想はそれである。フェデロスの宮廷首席魔術師として第二の人生を歩んでいる彼に、魔族側に通じているとの誤解を与えそうな魔王ローレンツからの依頼なんて、任せるわけにはいかないのである。

(それなのにあの変態魔王! 他人ひとごとだと思って! 勝手にも程があるわっ)

 イザベラがどんなに反対しても、ローレンツはヴァレルドに調査させろと譲らなかった。

(あと三日で誰か……誰か他に異形の研究をしている人を見つける? いいえ、心当たりなんかないわ。そもそも人間はだめよ。でも魔族の知り合いなんてあの変態しかいないし)

 たとえ人間側の研究者を見つけられたとしても、聖女あねの秘密を守ってくれる人でなければまずい。初対面の人間をそこまで信用できるほど、イザベラはふところの広い女ではない。

 これまで姉によこしまな心を持って近づいてきたり、悪意をもって寄ってきたりする人間を片っ端から遠ざけていたのはイザベラだ。そう簡単に初見の相手を信用できない。おかげで『聖女の番犬』なんてあだ名が付いたが、姉を守れている証拠だと思えば誇らしかった。

(ああ、お姉様。わたくしどうすればいいの。お姉様の子どもだもの。ルアンはなんとかしてあげたい。でもヴァレルド様を巻き込むのは、抵抗が……)

 いっそのことヴァレルドが邪悪で薄汚い人間だったら悩まずに利用できたのに、彼のような優しい人が馬鹿を見る世界は納得がいかない。──そう、姉のように、優しい人に優しい世界であらねばならない。

(こうなったら、ルアンが来るまでに異形の勉強をするのよ。魔術の知識も必要ね。わたくしがどうにかしてみせるから、待っていてくださいませね、お姉様!)

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