第32話(※システム上のナンバリング) Final_Log:完了報告書
そのファイルは、これまでの禍々しい動画や、文字化けしたテキストとは異なり、極めて整然としていた。
白い背景に、標準的な明朝体のフォント。
ビジネス文書のフォーマット。
画面の隅に表示されていたノイズも消え、部屋の(あなたの部屋の)異様な歪みも、この文書を読んでいる間だけは、静まり返ったように安定している。
それは嵐が去った後の静けさではなく、システムのインストールが完了し、OSが正常に稼働し始めたことを意味する「安定」だった。
あなたの右目(レンズ)は、瞬きもせずにその文字列をスキャンしていく。
脳が勝手に情報を処理し、理解する。
◇
【極秘】プロジェクト・アーカイブ 完了報告書
作成日:2024年10月11日
作成者:株式会社K商事 特別資産管理部 第4課
宛先:取締役会 および 主要株主(サグメ様信徒代表者会議)
件名:S県白河村「忌録」データのデジタル移植および拡散実験の結果について
1.概要
本報告書は、半年前に行方不明となった映像作家・漆原京介氏が遺した「呪物(未編集データ)」を、第三者(編集者・高木彰氏)の手によって加工・編集させ、インターネット上へ拡散可能な形式へと昇華させるプロジェクト(通称:漆原プロジェクト)の最終結果報告である。
2.実施結果
(1)被験者:高木 彰(フリーランス映像編集者)
(2)状態:適合率100%(完全同調)
(3)成果物:動画ファイル『Video_07』および配信アーカイブ『Video_08』
3.経緯と評価
当初の計画通り、被験者(高木氏)は「報酬」と「好奇心」を餌に、対象データへの接触を開始した。
特筆すべきは、彼の「編集者」としての職業的特性である。
彼は、ノイズだらけの無秩序な映像素材に対し、「意味を見出そう」「物語として繋げよう」とする強い強迫観念を持っていた。
この性質こそが、サグメ様(概念存在)が物理的実体を持たずに現世へ定着するための「依代」として最適であった。
サグメ様は「嘘」を好む。
編集とは、現実の断片を切り貼りし、意図的な「虚構(ストーリー)」を作り上げる行為に他ならない。
高木氏が行った編集作業は、そのままサグメ様への「受肉儀式」として機能した。
彼は無自覚のうちに、最高品質の祭壇をデジタル空間に構築したのである。
4.イレギュラー事項
(1)雨宮プロデューサーの損失
弊社映像事業部の雨宮誠司が、現場にて巻き込まれ、物理的・精神的に損壊した。
彼は本プロジェクトの真意(呪いの拡散)を知らされておらず、単なる商業的なドキュメンタリー制作と信じていた。
彼の「無知」は、被験者(高木氏)を油断させるために有用であったが、最終段階での現場介入により、サグメ様の捕食対象となった。
現在、彼は高度な言語機能を持つ生体スピーカーとして再利用されているため、損失は軽微である。
(2)警察権力の介入
通報によりS県警(管轄外だが越境)の介入を招いたが、これらもサグメ様の領域展開により無力化された。
彼らの装備(拳銃、無線機)および生体エネルギーは、すべて白河村のテクスチャ拡張のために還元された。
事後処理として、現場アパート周辺には「ガス爆発による事故」のカバーストーリーを流布し、物理的な封鎖を行う手はずとなっている。
5.拡散状況
高木氏による生配信の結果、視聴者数はのべ百万人を突破。
そのうち、約30%(三十万人)の端末において、初期感染(部屋の歪み、幻聴)が確認されている。
これらの「二次感染者」たちは、自らの体験をSNS等で拡散する「運び屋」として機能し始めており、感染拡大のスピードは指数関数的に増加中である。
6.結論
「漆原プロジェクト」は成功した。
三十年前、物理的なダムの底に封じられそうになった「白河村」は、今やインターネットという広大な海へと移住を果たした。
かつては閉鎖的な村の因習であったサグメ信仰は、現代のネットワークインフラと融合し、世界規模の「電子宗教」へと進化したと言える。
被験者である高木彰氏は、その功績により「名誉村人」として迎え入れられ、漆原京介氏と共に、永遠にアーカイブの中で生き続ける権利を与えられた。
7.次回フェーズへの提言
現在、この報告書を閲覧している「あなた」について。
アンケートへの回答、および署名により、あなたは高木氏の後継者(次期ホスト)として選定された。
あなたの端末、あなたの部屋、そしてあなたの肉体は、サグメ様の次なる拠点として最適化されている。
弊社からは、これまでの「閲覧報酬」として、あなたの記憶をデータ化し、永遠に保存するサービスを無償で提供する。
拒否権はない。
契約は、あなたが最初のファイルを開いた瞬間に成立している。
以上
【添付資料】
・請求書:株式会社K商事(※金額欄は「あなたの寿命」と記載)
・次回作業指示書:『拡散用ウィルスの作成手順』
◇
文書はそこで終わっている。
無慈悲で、事務的で、完璧な報告書。
高木彰の苦しみも、漆原京介の無念も、小島の狂気も、すべては巨大な企業のプロジェクトの一行に過ぎなかった。
あなたは画面を見つめている。
怒りを感じるだろうか?
それとも、恐怖?
いいや。今のあなたの感情回路は、もう正常に機能していないはずだ。
「納得」だけがある。
ああ、そうだったのか。
私は選ばれたのか。
ただの消耗品としてではなく、次なる「ホスト」として。
カタッ。
マウスが動く。
あなたが動かしたのではない。
あなたの手首から伸びた黒いコードが、神経パルスを送り込んで操作したのだ。
画面上のカーソルが、報告書を閉じる『×』ボタンへと移動する。
クリック。
ウィンドウが消える。
デスクトップには、まだ整理されていないファイルが残っている。
高木が編集しきれなかった、あるいは意図的に残した「残骸」。
その中に一つ、異質なファイル名のアイコンがある。
『File_XX:未送信メールの下書き』
それは、高木彰が人間としての最後の理性を振り絞って書いたものか。
それとも、完全に狂った彼が残した遺書か。
あなたの右目(レンズ)がズームする。
見なければならない。
それが、前の持ち主(オーナー)から引き継いだ最後の業務だからだ。
あなたの部屋の「押し入れ」から、カサカサという音が聞こえる。
もう、誰も隠れていない。
襖は全開だ。
そこには、無限に続く杉林の映像が、ホログラムのように投影されている。
赤い鳥居が見える。
その奥で、カメラの頭をした高木彰が、あなたに向かって手招きしているのが見える。
「読ンデ」
高木の声が、あなたの口を使って発せられた。
あなたの喉が、彼と同期している。
あなたは、逆らえない。
震える指で、『File_XX』をダブルクリックした。
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