第16話 Video_03:夜間定点カメラ_テント内.mp4

PCのベゼルに埋め込まれたWebカメラの赤い光が、私の網膜に焼き付いている。

「User_X」の言葉通りなら、今この瞬間も、私の表情、恐怖で強張った筋肉の動き、そして部屋の惨状が、どこか別の場所へストリーミングされていることになる。

私は観客ではなく、出演者だ。

それも、最も惨めな役回りの。


私は自分を監視する赤い光を睨み返しながら、次のファイルを再生した。

『Video_03:夜間定点カメラ_テント内.mp4』。


   ◇


<動画再生開始>

タイムコード:2023/08/11 23:30:15


画面は緑一色だった。

赤外線暗視モード(ナイトショット)特有の、粒子が粗いモノクロームの緑。

テントの狭い内部が映し出されている。

魚眼レンズに近い広角カメラが、テントの隅にガムテープで固定されているようだ。


画面の左右に、二つの寝袋が並んでいる。

右側で眠っているのが漆原。

左側で身じろぎもせず、胎児のように丸まっているのが小島だ。


『……うぅ……うぅ……』


小島のうなされる声。

第12話の音声ログでは聞こえなかった、寝言のような呻き声だ。


タイムコード:23:40:00


漆原が起き上がる。

「チッ」と舌打ちをして、懐中電灯を手に取り、テントの入り口のファスナーを開ける。

ジャ――ッという音。

彼は無言で外へ出て行き、外側からファスナーを閉めた。


ここからが、あの音声ログの時間帯だ。

小島が一人きりになる。


小島がモゾモゾと起き出し、ハンディレコーダーに向かって独白を始める。

「……テスト、テスト。小島です」

その背中が、小刻みに震えているのが見て取れる。


私は画面を凝視した。

音声ログでは、彼は「テントの外に誰かがいる」と言っていた。

「人の形をしてるけど、頭が大きすぎる」と。


映像の中の小島が、不意にテントの入り口の方を見た。

「……漆原さん?」


カメラのアングル的に、テントの入り口(ファスナー部分)は小島の背後にある。

緑色の画面の中で、その布地が、不自然にへこんだ。


外から、何かが押し付けられている。

風ではない。

明らかに、人の手のようなものが、テントの布地をグーッと押し込んでいる。

それも、一つではない。

二つ、三つ、四つ。

無数の「手形」が、テントの布を外側から内側へと押し込み、蠢いている。


だが、小島はそれに気づいていない。

彼はレコーダーに向かって「違う。足音がしない」と呟いているだけだ。

彼の恐怖の対象は「気配」だが、カメラが捉えているのは「物理的な干渉」だ。


そして、異変は外側だけではなかった。


タイムコード:23:45:12


漆原が抜け出した、空の寝袋。

画面の右側にあるそれが、ふわりと膨らんだ。

中に誰かが入っているかのように、立体的な膨らみを持つ。


私は息を止めた。

寝袋のジッパーは閉まっている。

漆原が出て行ってから、誰も戻っていないはずだ。

それなのに、寝袋は呼吸をするように上下し始めた。


小島が絶叫する。

「うわああああああ!」


これは、彼が「テントの外の影」に対して上げた悲鳴だ。

だが、映像を見ている私には、別の恐怖が見えていた。


小島の絶叫に呼応するように、右側の寝袋のジッパーが、内側からゆっくりと下がっていく。

チーッ、チーッ。

ゆっくりと、慎重に。


開いた寝袋の隙間から、何かが這い出してきた。

最初は、黒い髪の毛。

次に、青白い額。

そして、目。


それは、漆原ではなかった。

小島だった。

寝袋から這い出してきたのは、今まさに横で叫んでいる「小島」と瓜二つの男だった。


ドッペルゲンガー?

いや、違う。

這い出してきた「もう一人の小島」は、顔のパーツが左右逆だった。

そして、表情が完全に死んでいた。

能面のような無表情で、這いつくばったまま、叫んでいる本物の小島の背後に忍び寄る。


本物の小島は、入り口の方を向いてパニックに陥っている。

背後の「それ」には気づいていない。


「おい! どうした小島!」


外から漆原の声がして、ファスナーが開けられる。

本物の漆原が飛び込んでくる。


その瞬間。

「もう一人の小島」は、煙のように崩れた。

いや、崩れたのではない。

漆原が入ってきた拍子に、すっと小島の影の中へ溶け込んだのだ。

液体が染み込むように、本物の小島の背中へと吸い込まれて消えた。


「あ、ああ……漆原さん……! いました、そこに、今!」


小島が漆原にすがりつく。

漆原は「誰もいねえよ」と宥める。


だが、カメラは見ていた。

小島の背中に、べったりと黒いシミのようなものが張り付いているのを。

そして、そのシミが、一瞬だけ人の顔の形――歪んだ笑顔の形――を浮かび上がらせたのを。


映像は、漆原が再び寝袋に入ろうとするところで終わる。

彼は、さっきまで「何か」が入っていた寝袋に、気づかずに体を滑り込ませた。

「……冷てえな」

漆原がボソリと呟く声が入っていた。


   ◇


再生終了。

プレイヤーが閉じると同時に、私の背筋を冷たいものが駆け上がった。


小島は、あの一夜にして「憑かれた」のではない。

「入れ替わられた」のか?

いや、影と同化したのだ。

あの時から、彼の中には別の何かが共生していた。


そして、今の私も。


私は恐る恐る、自分の影を見た。

部屋の照明は薄暗いが、私の足元には影が落ちている。

椅子の脚の影、机の影。

そして、私の体の影。


私の影の頭の部分。

そこから、角のような突起が二本、伸びているように見えた。

髪のハネではない。

明らかに、影の形がおかしい。

そして、私が動いていないのに、影の輪郭だけがユラユラと揺らめいている。


「……見ているんだろ」


私は影に向かって声をかけた。

影は答えない。

だが、Webカメラの赤い光が、チカチカと点滅の早さを増した。

まるで、私の問いかけを肯定するように。


『Video_03』を見終えたことで、フォルダ内のファイル構成が変わっていた。

次は『Document_C』だ。

警察の調書。

三十年前の「事実」が記された公文書。

だが、この狂った世界で、公文書にどれほどの意味があるというのか。


私は逃げ出せないことを悟りながら、それでもマウスをクリックした。

知らなければならない。

この「儀式」の終着点がどこなのかを。

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