第6話 Video_1.5:道中のノイズ(未編集).mp4
『Video_1.5:道中のノイズ(未編集).mp4』
こんなファイルは、最初のファイル一覧には存在しなかった。
サーバーの同期ラグで遅れて表示されたのか、それとも私が『Video_01』を開いたことがトリガーとなって、隠し属性が解除されたのか。
理屈をこねて自分を落ち着かせようとするが、マウスを握る手は汗で滑った。
拡張子はmp4。動画ファイルだ。
容量は極端に小さい。数メガバイト。十数秒程度の映像だろうか。
私は意を決してダブルクリックした。
プレイヤーが立ち上がる。
◇
<動画再生開始>
タイムコード:なし(メタデータ破損)
画面は真っ暗だった。
レンズキャップをしたまま録画したような、完全な漆黒。
しかし、音声だけは鮮明に入っている。
ゴオオオオ……
トンネルの中だ。
先ほどの『Video_01』で聞いたのと同じ、タイヤがコンクリートを噛む走行音と、風の反響音。
「……ねえ、漆原さん」
小島の声だ。
だが、先ほどの映像とはトーンが違う。
怯えているような、あるいは、泣き笑いを含んだような、不安定な声色。
「なんだ」
漆原の声。こちらは変わらずぶっきらぼうだ。
「後ろの席、誰か乗せましたっけ?」
心臓が跳ねる。
漆原と小島は二人で取材に行っているはずだ。後部座席は機材置き場になっていると、事前の資料にも書いてあった。
「寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ。機材だけだろ」
「ですよね。……でも、いるんですよ」
「あ?」
「カメラ、回してるんです。僕たちが前を向いているところを、後ろからずっと」
衣擦れの音がする。
小島が振り返ろうとしている音だろうか。
「おい、やめろ小島。運転中だ。変な冗談はやめろ」
「冗談じゃないですよ。ほら、モニター見てくださいよ。僕のカメラ、今、電源切ってますから」
カチャ、カチャ、とスイッチを弄る音。
「じゃあ、今、この声を録ってるのは誰のマイクですか?」
その問いかけと共に、漆原が舌打ちをする音が聞こえた。
直後、映像に光が灯った。
パッ。
暗闇だった画面がいきなり明転する。
そこに映し出された映像を見て、私は息を止めた。
アングルがおかしい。
車内だ。
だが、カメラの位置は「ダッシュボードの上」だ。
フロントガラスの内側に張り付くように設置されたカメラが、車内全体を広角レンズで捉えている。
運転席の漆原と、助手席の小島が映っている。
二人とも、正面(カメラの方)を向いているはずの運転中だ。
しかし、映っている二人は、背中を向けていなかった。
二人とも、真後ろを向いていた。
運転席の漆原も、助手席の小島も、体は進行方向を向いたまま、首だけを百八十度ねじ曲げて、後部座席の方を凝視していた。
ありえない角度。
頚椎が砕けていなければ不可能な姿勢だ。
そして、二人の視線の先――後部座席の真ん中には、「カメラ」があった。
いや、この映像を撮影している「視点」があった。
二人は、その視点に向かって、満面の笑みを浮かべていた。
口角が耳まで裂けんばかりに吊り上がった、硬直した笑顔。
「ミ」
小島の唇が動く。
「ツ」
漆原の唇が動く。
「ケ」
二人の声が重なる。
「タ」
ザザザザザッ!!!!
激しいノイズと共に、画面が極彩色に明滅する。
最後に一瞬だけ、後部座席の「視点」の持ち主が映り込んだ。
それは、カメラではなかった。
真っ黒な、人の形をした「穴」のような何かが、カメラを構えるポーズも取らず、ただそこに「存在」していた。
その「穴」の顔の部分には、目も鼻も口もなく、ただ、無数のミミズのような白いノイズが這い回っていた。
プツン。
再生が終了した。
◇
「うっ、ううっ……!」
私は口元を押さえ、トイレに駆け込んだ。
胃の中身をすべて吐き出した。
夕食のコンビニ弁当が、胃液と混ざって喉を焼く。
なんだ、あれは。
あんな映像、特撮でも作れない。
首のねじれ方、皮膚の突っ張り方、眼球の充血。
すべてが生々しすぎた。
何より、あの「笑顔」。
人間が人間に向ける表情ではなかった。
獲物を見つけた捕食者の喜びとも違う。もっと無機質で、それでいて悪意に満ちた、「発見」の合図。
私は洗面台で口を濯ぎ、鏡を見ないようにして部屋に戻った。
PCのモニターは、再生終了後の黒い画面のまま、静かに明滅している。
逃げ出したい。
今すぐPCの電源を引き抜き、このアパートを出て、人の多いファミレスか何かに逃げ込みたい。
だが、体が動かなかった。
恐怖で足がすくんでいるのではない。
「続きを見なければならない」という、奇妙な義務感が脳を支配し始めていたのだ。
漆原のメモにあった言葉。
『見続けることだけが、奴らをこの箱の中に留めておく唯一の方法』
もし、私がここで見るのをやめたら?
あの「穴」のような存在は、このPCから出てきて、私の背後に立つのではないか?
いや、もう立っているかもしれない。
確認するのが怖い。
確認しないためには、画面を見続けるしかない。
私は震える手でマウスを握り直した。
次のファイル。
次は、文章データだ。
映像ではない。文字なら、まだ耐えられる。
私は逃げるように、次のフォルダを開いた。
リストにあった『File_02』はもう見た。
その次は……そうだ、私の番だ。
私の「記録」も、この物語の一部になりつつある。
次のファイル名は、リスト通りであれば『Log_01』。
だが、フォルダ内にあったのは、私が作成した覚えのないテキストファイルだった。
【Log_01:作業日報_担当者A.txt】
更新日時:2024年10月05日 23:59
作成者:高木彰
日付は、今日だ。
時刻は、今の数分後。
私がまだ書いていないはずの日報が、既にそこにあった。
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