カセット・テープ・ダイアリーズ:M県「口隠(くちかく)し村」失踪事件・全記録
@tamacco
File_01: 【導入】未配達の小包と、由良境介という男
このテキストを開いてしまったあなたへ。
まず初めに断っておかなければならないことがある。これから記す一連の文章は、私の創作ではない。また、特定の個人や団体を誹謗中傷する意図もなければ、実在する地域への風評被害を目的としたものでもない。
私はただ、送られてきた「データ」を文字に起こし、可能な限り時系列順に並べ替えたに過ぎないのだ。
そこに何が映っていたのか。何が録音されていたのか。そして、それらを記録した人物が最後にどうなったのか。私には判断がつかない。あるいは、判断したくないとさえ思う。
しかし、もしあなたがこの記録を読み進めるのであれば、一つだけ忠告しておきたい。
途中で「音声」や「映像」の描写が出てくる箇所がある。もし、文章を読んでいる最中に耳鳴りがしたり、部屋の隅に人の気配を感じたりした場合は、直ちにブラウザを閉じてほしい。
これは脅しではない。
私がこれから語るのは、ある行方不明になった男が遺した、呪いにも似た「遺言」だからだ。
***
事の始まりは、2023年の10月上旬のことだった。
季節外れの長雨が続き、都内の気温が急激に下がった時期だと記憶している。
その日、私は自宅兼仕事場のマンションで、締め切りに追われていた。私はフリーランスのライターをしており、主に実話怪談やオカルト、未解決事件を扱う雑誌やWebメディアに寄稿して生計を立てている。
昼夜逆転の生活が続いていた午後三時過ぎ、インターホンが鳴った。
モニターには配送業者の姿はなく、エントランスに荷物が置かれているという通知だけが表示されていた。置き配を頼んだ覚えはなかったが、通販で資料本を注文することは日常茶飯事だ。私は重い腰を上げ、玄関のドアを開けた。
そこにあったのは、異様な風体のダンボール箱だった。
サイズは80サイズほど。スーパーマーケットで無料配布されているような使い古しの箱で、表面には何度もガムテープが剥がされた跡があった。
何より気味が悪かったのは、箱全体が湿気を帯びてふやけており、微かに泥のような臭いを放っていたことだ。
宛名ラベルを見る。
「東京都杉並区……」
住所と私の名前は、太い油性マーカーで殴り書きされていた。水に濡れたせいか文字が滲み、黒いインクがタールのように垂れている。
そして、差出人の欄は空白だった。
不審物としての警戒よりも、職業柄の好奇心が勝った。私はその薄汚い箱を抱え上げ、仕事部屋へと持ち込んだ。
箱はずっしりと重く、中で何かがゴトゴトと転がる音がした。
カッターナイフで厳重に巻かれたガムテープを切り裂く。
湿ったダンボール特有の、腐葉土のような臭いが鼻をついた。
箱を開封した私は、中身を見て息を呑んだ。
乱雑に詰め込まれていたのは、大量の記録媒体だった。
数本のUSBメモリ、SDカード、外付けハードディスク。そして、それらに埋もれるようにして、時代錯誤なカセットテープが五本、輪ゴムで束ねられていた。
どれも泥汚れが付着しており、まるで地中から掘り起こされたタイムカプセルのようだ。
一番上に、破り取られた大学ノートの切れ端が一枚、入っていた。
そこには、震えるような筆跡でこう書かれていた。
『俺が戻らなかったら、これを頼む。口隠し村のことを、世に出してくれ』
署名はなかった。だが、私はその筆跡に見覚えがあった。
そして何より、この乱暴な頼み方と、アナログな記録媒体への執着。私の脳裏に、ある男の顔が鮮明に浮かび上がった。
由良境介(ゆら きょうすけ)。
その名前を聞いてピンとくるのは、一部のディープなドキュメンタリー愛好家か、サブカルチャーの住人くらいだろう。
彼はかつて、インディーズの映像作家としてカルト的な人気を誇っていた。
代表作は『団地の影』というドキュメンタリー映画だ。高度経済成長期に建てられた巨大団地で多発する孤独死と、住人たちの間で囁かれる怪談を三年がかりで取材した作品で、そのあまりに陰鬱でリアリティのある映像は、一部で「本物の幽霊が映っている」と話題になった。
由良は、徹底した現場主義者だった。
「ネットで拾ったネタで記事を書くな。現地へ行け。空気を吸え。そこに住む人間の顔を見ろ」
それが彼の口癖だった。
私と由良は、新宿のゴールデン街にある狭いバーで何度か顔を合わせた程度の関係だった。互いにオカルトを飯のタネにする同業者として、酒が入れば怪談話や業界の噂話に花を咲かせたものだ。
彼は痩せぎすで、いつも黒っぽい服を着ていた。眼窩が深く、その瞳は常に何かに怯えているようでもあり、同時に獲物を狙う猛禽類のようにも見えた。
「最近、面白いネタを見つけたんだ」
最後に会った半年前、由良はジントニックのグラスを揺らしながらそう言った。
「地図から消された村の話だ。よくある都市伝説じゃない。もっと土着的な、血の匂いがする話だ」
彼は声を潜め、私の耳元で囁いた。
「M県の山奥だ。『口隠し(くちかくし)』っていうんだよ。妙な名前だろ?」
その夜を最後に、由良境介は姿を消した。
文字通りの失踪だった。
SNSの更新は途絶え、携帯電話も繋がらない。彼のアパートの大家が家賃滞納を理由に部屋に入ったところ、もぬけの殻だったという噂を聞いた。
業界内では「ヤクザ絡みのトラブルで逃げた」とか「取材先で殺された」とか、あるいは「精神を病んで実家に帰った」など、無責任な憶測が飛び交っていた。
私もまた、彼のことなど忘れかけていた。東京という街では、人が一人いなくなることなど日常の風景に過ぎないからだ。
だが、彼は消えていなかった。
いや、彼自身は消えてしまったのかもしれないが、彼の執念だけが、こうして泥まみれのダンボール箱となって私の部屋に届いたのだ。
私は震える手で、一番上にあったSDカードを手に取った。
ラベルには『2023.09. 进入路』と書かれている。
パソコンを起動し、カードリーダーに差し込む。
画面上にフォルダが表示される。
プロパティを確認すると、ファイルの最終更新日は、由良が失踪したとされる時期と一致していた。
私は唾を飲み込み、フォルダを開いた。
そこには、数百枚に及ぶ写真データと、数本の動画ファイル、そしてテキストファイルが格納されていた。
なぜ、由良は私を選んだのか。
もっと親しい人間はいただろうし、大手メディアに持ち込むことだってできたはずだ。
それとも、切羽詰まった状況で、たまたま名刺を持っていた相手が私だっただけなのか。
答えは、このデータの中にあるはずだ。
私は覚悟を決め、最初のテキストファイルを開いた。
ファイル名は『取材メモ_01』。
作成日時は、2023年9月10日。彼が失踪する約一ヶ月前の日付だ。
これから公開するのは、そのテキストの全文である。
なお、プライバシー保護のために一部の固有名詞は伏せ字にしているが、それ以外は原文のままである。
由良境介特有の、ぶっきらぼうだが熱量の高い文章が、モニター越しに私へ、そしてあなたへと語りかけてくる。
――いや、それは本当に「由良境介」の言葉なのだろうか?
今となっては確かめる術はない。
ただ、湿った箱から漂う腐臭だけが、この記録が忌まわしい場所からもたらされた事実を証明している。
(以下、由良境介の取材データより抜粋)
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