【一】バース判定は突然変異②

バスから見える河原の遊歩道は昨夜降り積もった雪が溶けて、アスファルトが輝いていた。子供たちが斜面でソリ遊びをしている。ここ数年の暖冬で滅多に見かけなくなった風景に、思わず笑みが溢こぼれた。


「あれ、昔やったよな」


 小学校からの友人は、僕の視線を追って呟いた。


「圭太。明日の試験、頑張れよ」


「ああ。合格したら、俺たち地元小中高大コンプリじゃね?」


「運命だな」


 車内の女生徒が全員、こちらに振り向いた。女性たちは『運命』という言葉に過敏反応する。アルファとオメガが世界でたったひとりの相手『運命の番つがい』と呼ばれるパートナーと巡り会える伝説が大好きなのだ。


 映画やドラマ、小説や漫画の人気トップテンは『運命の番』ものばかり。僕の母親の本棚は「ラブ・クイーン運命の番つがいシリーズ」で埋め尽くされている。


「いや、ただの腐れ縁だ」


 圭太の言葉に、女性陣があからさまに肩を落とした。僕と圭太が番だと期待したのかぁ。高校生で運命の番。まさにドラマティックだが、二人はモブ顔だ。それは僕が一番、自覚している。


 小学校低学年の頃は女の子と勘違いされて、男の子に告白されたことがあった。ひとえにチビが故の不幸な出来事だ。そういえば彼は転校していったな、とふと思い出した。


「じゃあな、輝。パンばかり食べ過ぎるなよ」


「わかってらい!」


 幼馴染は、ひとつ手前のバス停で降りていった。パンばかりと言われても、好きなんだからしょうがない。僕はこの世で一番のご馳走をゲットすべく、車内アナウンスが終わると同時に下車ボタンを押した。




「次は福ふく来らい町一丁目。パンパンパンセン~♪ みんなのパン屋『パンセン』前~」


 ピンポーン。


 圭太なんてとんでもない。『ハニークロワッサン』こそが僕の運命じゃ~。


 心の中でパンに向かって愛を叫んでみた。


『ハニークロワッサン』に出会ったのは、かれこれ十年前。繁華街で人気のパン屋『パンセン』の二号店が僕の住む町でオープンした。


 母親はヘルシーさが話題のライ麦パンが気に入ったが、僕は黄金色に輝く『ハニークロワッサン』に一目惚れ。以来、毎日通っているヘビーユーザーだ!




 停留所を降りると、『パンセン』の大きな看板が迎えてくれる。小遣いは全てパン屋につぎ込んでいる、と言っても過言ではない。


 カランコロン。


 約三十畳の広々とした店内は、数人の客が棚やテーブルに並ぶパンを選んでいた。あんパンにフランスパン。チョココロネにクロワッサン。大人のメロンパンのカゴは空っぽだった。


 奥の工房からパンの焼ける匂いが流れてきて、思わず唾が湧いてくる。観葉植物と背の低い仕切りの向こうには、二人がけのテーブルが十個配置されているイートインコーナーがあり、席がほとんど埋まっていた。


「いらっしゃいませ。輝てる君、ちょうどハニークロワッサンが焼き上がったよ!」


「わあ。ありがとう、店長!」


 イートインに空席を見つけた僕は椅子に鞄を置くと、トレーとパンばさみを持って目当てのハニーへ突進した。


「あんぱんやライ麦パンも焼きたてだよ」


「僕の運命は、ハニークロワッサンだけです~!」


「プッ。なにそれ」


 吹き出したのは店長の奥さんだ。赤あか間ま夫妻は二十代の若夫婦だが、店長は中卒でパンセンに入ったパン職人。十八歳で海外へ留学し、本場のドイツパンを学んだ。けれども僕は本店で師匠に教えられたとかいう、ハニークロワッサン推しです。キリッ。


 サービスのコーヒーを紙コップに注いで、テーブル席へと舞い戻る。


 香ばしい香りが、僕の鼻孔をくすぐってきた~。


 パクリ。パリパリッ。サクサクッ。


「サクサクッと口で溶けていく食感。バターのこってりと蜂蜜の甘さが口の中でワルツを踊って、僕を至福の舞踏会に連れていってくれるんだよ~」


「ママ~。僕もあれ食べたい~」


 隣のテーブル席の幼稚園児が、僕を指さしてきた。


「こら、指ささないの。お兄さん、それは何てパンかしら」


「ハニークロワッサンです!」


「ふふっ。ありがとう」


 親子は再び店内のパンコーナーへと歩いていった。よし。またひとり、ハニークロワッサンの虜にしてやるぜ~。


 店長の奥さんにVサインをして、コーヒーをゆっくり飲んだ。そうだ。大学生になったら、ここでアルバイトしようかな?


「店長、バイトは募集しないんですか。僕、四月から働けます!」


「パートさんで足りてるから、募集はしめたんだ」


「そんな~」


 まるで恋人に振られた気分だ。……いたことないけど。


 自宅までの五百メートルを重い足取りで歩いていくと、やがて戸建て住宅が見えてきた。敷地面積は六十五坪、バーベキューのできる庭と駐車場あり。玄関の南天が北風に震えていた。南天よ、僕の心も寒いんだよ~。


 ため息をつきながら玄関ドアを開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る