第3話 公爵令嬢になった私②

 真っ白な壁に、たくさん並んだ窓の窓枠は明るい緑色。


 荘厳そうごんでありながら、どこか可愛らしい雰囲気の建物が、今日から私が通う王立学園の校舎だ。赤い制服を着たドアマンが開けてくれた扉から恐る恐る中へ入る。


 キラキラ輝くシャンデリア。ゆるやかな曲線を描く正面階段。様々な装飾そうしょくほどこされた調度品ちょうどひん

 どこかの宮殿のような光景に見惚れていると、二階から私を呼ぶ声が聞こえた。


「君がエリザベート・フォン・ローゼンブルク嬢?」


 見上げると階段から背の高い男性が降りてきた。青い軍服風のフロックコートに白いトラウザーズ。そして、さらりとした黒髪に蜂蜜はちみつのような金色の瞳。


 まるで、童話に出てくる王子様みたいに優雅な男性だった。


 私がほおを染めながら、おずおずと頷くと男性は胸に手を当てて軽く頭を下げ、そっと私の右手を取った。


「初めまして、エリザベート嬢。君の婚約者、レオポルト・フォン・ホーエンリヒトです」


 そう言って、彼は私の手の甲に、触れるか触れないかほどの軽いキスを落とした。その動作だけでもう、私の頭はパニックになる。


 何だろう。今朝からこの乙女の夢のバーゲンセールみたいな展開は。

 普通の日本人女子の精神を持った私にはハードルが高すぎる。


 あわあわと沸騰ふっとうしそうな頭の中でなんとか今の状況を把握する。

 この男性は「君の婚約者」と言っていた。

 ということは、彼は王太子殿下で、私は公爵令嬢だから、それらしい挨拶をしないと。

 『エリザベート』の記憶から、貴族の挨拶の仕方を懸命に思い出す。


 えーっと、スカートを摘んで、右足を少し後ろに引き、左膝をゆっくりと曲げるんだっけ?


 そして、なるべく良い印象になるよう、微笑みながら挨拶をした。


「はっはじめましてっ!レオポルト殿下。私はエリザベート・フォン・ローゼンブルクと申しましゅっ!このたびはお目にかかれて光栄でふっ」


 緊張のあまり思いっきり噛んでしまった。恥ずかしくて顔に熱が集まるのを感じる。

 そんな私を面白がるようにレオポルト殿下はクスッと笑った。


「レオポルトでいいよ。僕もエリザベートって呼んでいいかな?」


 私はすっと差し出された右手を見つめ、一瞬だけ戸惑った。

 あ、握手じゃなくてエスコートか。

 そう気づくと、彼の大きな手に、そっと自分の手を重ねた。


「はい。レオポルト様」


 触れ合った一瞬、彼のひんやりとした体温が伝わってきて、心臓が少しだけ早く鼓動を打つのを感じた。


「じゃあ、行こうか」


 そう言って、軽く手を導かれたその動きには迷いがなく、さすが王子様だ、と私は妙に感動してしまった。


 二人で並んで歩きながら辿り着いたのは、今日、新入生歓迎の正餐会せいさんかいが開かれる大広間だった。


 扉が開いた瞬間、目の前に広がった光景に思わず息を呑む。


 大きな窓からは燦々さんさんと日差しが降り注ぎ、真っ白なテーブルクロスが掛けられた長いテーブルの上には磨き上げられた銀器が静かに光を返していた。


 レオポルト様に促されて、豪華な椅子に着席すると、私の皿の上に次々と料理が並べられていく。

 色とりどりの料理に舌鼓を打っていると、立派な髭を蓄えた学園長先生が挨拶をし始めた。


「新入生諸君。本日より、諸君はこの伝統ある王立学園の一員となる。

 ここでは互いに学び、支え合い、そして、敬意を持つことを忘れないでほしい。

 それでは、新たな門出を祝い、歓迎の食事会を始めよう。」


 そして、その言葉を合図に、会場にいる人達が一斉に食べ始める。

 正餐会せいさんかいの食事はびっくりするぐらい美味しかった。


 ポタージュに白身魚のソースがけ。とろけるようなうさぎ肉のシチュー。


 私はホテルのフルコースのような美食を堪能たんのうしながら、この世界の情報収集に勤しんだ。


 曰く、この学園には、男子は十三歳から十八歳まで、女子は十六歳から十八歳までの生徒が在籍していること。


 そして、成績優秀者は先生から監督生に指名されること。


 監督生は規律でがんじがらめにされた学校生活の中で、ある程度の自由と特権を保障されていること。


「特権って例えばどんなものですか?」


 私は気になってレオポルト様に尋ねてみた。


「うーん。例えばだけど、男子はバスルーム付きの個室をもらえる、とか、後は毎日のお茶の時間に特別な茶会室を利用できる、とかかな」


 なるほど。聞いたところによれば、監督生とは、この学校のヒエラルキーの頂点に位置する人達が所属する組織だそうだ。


 そして、この国一番と言われる王立学園において模範的な振る舞いを示し、生徒たちを統率することが主な役目らしい。


「言わば、学校の象徴として振る舞うってことだよ」


 レオポルト様の言葉に、私はまた「なるほど」と呟いた。


さらに、監督生はその結束力の強さを誇り、卒業後の社交界でも大きな影響力を持つため、全校生徒にとって憧れの存在であるらしい。


「今、社交界を牛耳っているのは、二十年ほど前に監督生のトップだったアイゼンベルク伯爵だよ」


 レオポルト様が私の耳元でこっそり話してくれた情報に、監督生って秘密結社みたい、と思ってしまったことは内緒だ。

 

 そして、歴代の監督生の話をしながら、白身魚のソースがけを手際良く口に運ぶレオポルト様をしげしげと眺める。


 やがて、ふと沸いた疑問を口にする。


「レオポルト様も監督生なのですか?」


 まあ、この国の王太子が、王立学園の象徴とも言える監督生に選ばれていないことはあり得ないだろうけれど、と思いながら。


 すると、レオポルト様が何か答える前に、向かい側から声がした。


「ええ。しかも彼は監督生のトップ、監督生長ですよ」


 声のする方を見ると、緩やかに波打つ栗毛に、特徴的な紫の瞳の男性がウィンクしながら言う。


「初めまして。エリザベート・フォン・ローゼンブルク嬢。

私はアドリアン・フォン・ファルケンハイムです。以後、お見知りおきを」


 すると、私の頭の中でまたカチッと音がして、この国の貴族関係を思い出す。

 ファルケンハイム……王の右腕と言われる侯爵家だ。

 確か、お父様が宰相をされているんだっけ?


 家格はこちらの方が上だけれども、地方の有力貴族であるローゼンブルク公爵家とは違い、向こうは中央に莫大ばくだいな権力を持つ侯爵家だ。


 私は気を引き締めて、ファルケンハイム侯爵令息に微笑む。


「よろしくお願いします。ファルケンハイム侯爵令息様。

 そうおっしゃるあなたも監督生でなくて?」


 レオポルト様も、ファルケンハイム侯爵令息も、他の学生と違い、金色の蔦模様つたもようが織り込まれたウエストコートを着ていたのだ。

 恐らく、これが監督生の証なのだろう。


「その通り。アドリアンもメンバーだよ。あと、そこに座っているエーリッヒもだよ」

 

 そう言ってレオポルト様が、テーブルの端に座っている、赤毛で逞しい身体つきの男子生徒を顎で示す。名前で呼んでいるから親しい間柄なのだろう。

 彼は……確か、お父様が近衛隊長をされているリッターシュタイン伯爵家の次男だっけ?

 まだこの世界に私の頭がついていけていなくて、名前が曖昧だ。

 愛想笑いをしながらうなずくと、レオポルト様が話を続ける。


「エリザベートもおそらく、監督生に推薦すいせんされるんじゃないかな?女子は新入生でも指名されるから。

 学園は寮や学年が違うと全然会う機会が無いけど、監督生になれば、ちょくちょく会えるね」


嬉しそうなレオポルト様の顔に、思わず私のほおが熱くなる。


 「なるほど!ローゼンブルク公爵令嬢みたいにうるわしい方が入って来るのは嬉しいね」


 レオポルト様やファルケンハイム侯爵令息はもう私がメンバーになる事が決まったかのように、去年の監督生の大変さを語った。


男子の新入生は喧嘩が多くて、それをなだめるのが大変なこと。


 そして、上級生になって女子学生が入ってくると、色めき立つ男子学生が多いこと。


「この学園は入学してから婚約者を決める人がたくさんいますから、学年末のダンスパーティーでお目当てのご令嬢との仲を深めようと頑張る野郎が多いのですよ。

 それでトラブルが発生したり」


「ああ……。女子寮に入ろうとする男子生徒をいさめたり、逆に男子寮までやって来る女子生徒を止めたり毎年大変なんだよね。

 今年はエリザベートと穏やかに過ごしたいね」


 わざとらしく肩をすくめるレオポルト様に対し、一つの疑問が過ぎる。


「……レオポルト様も今まで女子生徒からたくさんアプローチされたのですか?」


 こんなに格好いいし、しかも王子様なのだ。モテないはずがない。

 気落ちした私にレオポルト様が「そんなことはない」と取り繕うように言ったが、かえって私はいっそう落ち込んでしまった。


 そんな私達をファルケンハイム侯爵令息が面白そうに眺めながら言う。


「大丈夫ですよ。ローゼンブルク公爵令嬢。

レオポルトは『超』が付くほど真面目で一途な性格ですから」


 本当だろうか、と私はいぶかしげにファルケンハイム侯爵令息を見る。

 素敵な女性が身近にいたら、心変わりするものではないだろうか。前世の恋人だった亮太みたいに。


 傷だらけの心がじくりと痛む。


 私の沈んだ顔を見て、ファルケンハイム侯爵令息がふっと口元を緩めた。

 

「この学園での生活は、いわば、プレ社交界みたいなものですからね。

 婚約者持ちの王太子殿下にアプローチして、自分の婚活市場の価値を落とそうとするご令嬢はいませんよ。

 ……それに、その真珠の耳飾りもレオポルトの一途な愛の象徴として贈ったのでしょう?

 結構ロマンチックな奴なんだなって、俺は思いましたよ」


 ファルケンハイム侯爵令息が、にやにやとからかうようにこちらを見つめてくるものだから、私は顔が火照り、誰の目にもわかるほど真っ赤になってしまった。


 そして、そんな私の様子を、周囲の学生達が微笑ましそうに見つめていた。

 判で押したように同じみんな同じ表情で。

 その様子に少しだけ違和感を覚えたが、レオポルト様にまた話しかけられると、その違和感は霧のように消えてしまった。

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