第13話

 翌朝、保健棟の白いベッドから起き上がると、昨日までの痛みは驚くほど引いていた。


(先生の治癒魔術、マジで効くんだな……)


 ゆっくり伸びをしていると、扉の向こうから騒がしい足音が近づく。


「ライガ君!! 退院できるって聞いて来た!!」


 アリシアが勢いよく飛び込んできて、次にガルド、そしてリュミナが続く。


「無理しちゃダメだからね!」

「階段とかあったら俺が支えるからよ!」

「歩けるか確認するだけでいいからね?」


「いや、俺ってそんな虚弱キャラだっけ?」


「違うけど!! 昨日のあれ見たら心配するでしょ!!」


 アリシアがわけのわからない怒りで俺の肩を軽く叩く。

 そのあと、ほんの少し潤んだ目で、こっそり安心した顔をしていた。


(……ああ、なんか戻ってきたって感じだな)



 保健棟を出て学園の廊下に出た瞬間、俺たちは静かなざわめきに迎えられた。


 ヒソ……ヒソ……

 視線、視線、視線。


「……おいガルド。俺、なんかついてる?」


「ついてる。昨日の青い光の余韻が」


「ついてねぇよ」


「冗談言えるなら元気だな」


 アリシアが苦笑しながらも、不安げに周囲を見回す。


「でも……ほんとに見てくるね、みんな」


 廊下の生徒たちは露骨にこちらを見たあと、慌てて視線をそらす。

 中には興味丸出しで近寄ろうとする者もいた。


「うわ、情報の広まり早……まるで噂の伝播実験みたい」


 リュミナが眉を下げる。


「まあ……昨日のあれを見てたやつがいるなら当然か」


 俺の胸元――竜紋の位置が、なんだかむずむずした。


(お前、昨日目立ったもんな……)


「ほら行こう。ホームルーム始まるし」


 アリシアが俺の腕を引っ張る。

 まるで、俺がまた倒れそうに見えるらしい。


「歩けるって……」


「はいはい、大丈夫なのはわかってるけどね!」


 なぜか納得していない。



 教室に入ると、さらに強い視線が突き刺さった。


「……マジかよ。あいつ、昨日の」

「あの青い光って本当に目の錯覚じゃなかったんだ……」

「事故だよな? 事故……だよな?」


 噂話のひそひそ声が耳に入ってくる。


(あー……これはしばらく続きそうだな)


 担任が教室に入ってきて、空気が引き締まった。


「席につけ」


 全員が従う。

 担任は無駄な前置きもなく、昨日の件に触れた。


「まず最初に。昨日の魔獣暴走については――“事故”として処理された」


 教室がざわつく。


 担任はさらに声を低めた。


「だが、だからこそ、軽率な行動は避けろ。

 妙な誘いには……乗るな」


 その「妙な」の部分だけ、わずかに重く響いた。


 そして、一瞬俺の方を見た。


(……俺に言ってるな、これ完全に)


 アリシアがひそりと囁いてきた。


「妙な誘いって……誰のこと?」


「口にできない相手だろうな」


 ガルドが唸る。


「魔術師団か……それか王族か」


 リュミナは目を伏せながら小さく言う。


 担任が肩の力を落とし、ほんの少しだけ俺に視線を送った。

 “気をつけろ”と言っているのだ。


(……ありがとう、先生)


 その重さを感じ取った瞬間――


「失礼するわ」


 教室の扉が開いた。



 銀の髪が揺れた。


 涼しげな蒼の瞳。

 長身で姿勢が良く、制服を綺麗に着こなした――上級貴族の少女。


 ソラ・エルフェイン。


 生徒会の副会長という立場に似合う、端然とした雰囲気。


(お、これが……ソラってやつか)


 彼女は担任と短く会話を交わしたあと、まっすぐ俺の元へ歩いてくる。


(え、ちょっと待って。なんか用? 俺に?)


 教室の空気がピキッと緊張した。


「アルヴェルディア君」


 ソラはまっすぐ俺を見る。

 その視線は冷たくも、決して敵意のあるものではない。


「昨日の件について、少し聞きたいことがある。

 時間をもらえるかしら?」


「いやいやいやいや!」


 アリシアが俺の肩を掴んで強引に座らせた。


「ちょ……アリシア?」


「ダメです! 怪しい!!」


 次にガルド。


「そうだ! 怪しい!! なんでライガに直接来る!!」


 リュミナも眼鏡を押し上げながら静かに言った。


「あなた、生徒会でしょ?

 公式な事情聴取は別にあるはずよ?」


 三方向から包囲されるソラ。


(なんだこの圧……)


 だが、ソラは一切動じなかった。


「誤解しないでほしい。

 私は彼を責めるつもりはないわ。

 ただ“事実”が知りたいだけ」


 淡々とした声。


 嘘がひとつも混ざらない話し方。


 リュミナがわずかに眉を上げた。


(あ、リュミナは納得し始めてるな)


「……まあ、教育的に妥当な理由ね」


「リュミナちゃん!? 寝返るの早!!」


「別に寝返ってないわ。ただ事実だけよ」


 ガルドはまだ警戒している。


 アリシアはさらに構える。


「ライガ君には、私達がついてますからね!」


 ソラはその熱量に少しだけ目を瞬かせ、ふっと表情を和らげた。


「……そう。あなたたちが彼を守っているのね。

 それは悪くないわ」


 敵意はゼロ。

 ただ、公正なだけの目。


「心配しなくていい。

 私は、あなた達の敵ではない」


 そう言い残して、ソラは静かに去っていった。


 教室がざわつく。


(……なんかすごい人だったな)


「ライガ君、気をつけてね」

アリシアが真剣な顔で言う。


「うん、わかってる」


「本当にわかってるの?」

リュミナがじっと見る。


「わかってるって!」


「お前、わかってなさそうだからなぁ」


「ガルドまで!?」



 昼休み、中庭に場所を移して弁当を食べていると――


「なあ……ずっと見てね?」


「見てるどころか、書き込んでるな、あれ」


「あからさまね……」


 遠くの植え込みの影で、魔術師団の二人がこちらを観察している。


「……ガルド。殴らんといてな?」


「わかってる。でもあいつらマジでムカつく……」


「気持ちはわかるけど、刺激したらまずいわよ」


 リュミナの忠告通り、ただの食事でさえ監視されるという嫌な空気。


(これが……“妙な誘いに乗るな”の意味か)


 担任の言葉が重く蘇る。



 午後の授業中、胸の竜紋が急に震えた。


「……っ」


 手で押さえると、またあの脈動。

 昨日と違う、もっと穏やかで――どこか懐かしいような感覚。


「ライガ君?」

 リュミナが気づく。


「また反応したの?」


「ああ。なんか……前と違う」


「違う?」


「うん。“怒ってる”感じじゃなくて……」


 探すような、呼んでいるような、そんな温度だった。


(……これ、何なんだよ)


 答えをくれないまま、竜紋の波は静かに消えた。



 その日の夜。


 学園の裏手にある森の暗闇で、魔術師団の魔導師たちがひそやかに集まっていた。


「……三日後、実験を“第二段階”へ移行する」


「対象はアルヴェルディアの少年だ」


「生徒が死なない程度に調整すれば問題はない。

 事故扱いなら、何度でも繰り返せる」


「王子のご意向だ。“覚醒”される前に捕らえるぞ」


 冷たい声が闇に溶けた。



 俺はまだ知らない。


 学園に戻ってきたはずの日常が、

 もう二度と“普通”には戻らないことを。

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