第11話

 ぶつかった瞬間、世界が弾け飛んだ。


 骨がきしむ。

 鼓膜が破れそうな咆哮。

 衝撃で視界が白く飛んで、次に見えたのは――空。


「っぐ……!」


 俺は後ろに吹き飛ばされ、そのまま地面を転がった。背中に石が食い込んで痛い。


(やっべ……今の正面は、普通なら死んでるやつじゃないか?)


 どうにか体を起こすと、正面では黒い魔獣――呪紋まみれの化け物が、低く唸りながらこちらをにらみつけていた。


 額の赤黒い紋章が、不気味に脈打っている。さっきよりも濃く、禍々しく。


「グルルルル……」


 ……笑ってるだろ、お前。


 そう思った瞬間、胸の竜紋が“カッ”と熱を上げた。


(……やっぱ、コイツ、俺に反応してる)


 わかる。

 こいつの狙いは最初から――班でも、先生でもなく、“俺”だ。


「ライガ君!」


「動けるか!?」


 アリシアとガルドが駆け寄ってくる。リュミナは少し離れた位置で、魔方陣を展開していた。


「なんとか……まだ、いける」


「いや、いけてない顔してるんだけど!」

 アリシアのツッコミが飛ぶ。


「いけるって言ったやつは大体いけてないのよね……」

 リュミナが冷静に毒を吐く。


「お前らさぁ、応援って概念ある?」

 とはいえ、二人の声で少し落ち着く。


 ガルドが、ちらっと魔獣の方を見てから言った。


「なぁライガ。正直に言うと、あいつ……俺ら四人でやっても勝てるか怪しい」


「俺もそう思う」


「私も」


 即答かよ。


「でも、逃げ道はないわ」

 リュミナが短く言う。

「後ろには他の生徒もいる。ここで私たちが止めなかったら――」


「こいつは、もっと暴れる」


 全員の視線が魔獣に向いた。


 呪いを含んだ魔力が、空気をひりつかせる。

 息を吸うだけで肺が焼けるようだった。



 魔獣が動いた。


「ガアアアアアアッ!!」


 大地を蹴る音。

 一瞬で間合いを詰める巨体。


「右だ!!」


 叫ぶと同時に、俺とガルドは逆方向へ飛び退く。

 魔獣の爪が地面を抉り、土と石が爆ぜた。


 その影から、アリシアが飛び出す。


「《スラッシュ・エッジ》!!」


 剣に光が集まり、一閃。

 魔獣の前脚に浅く傷を刻む。


 けど――


「硬っ……!」


 手応えはあっても、致命傷には程遠い。

 逆に、アリシアに意識が向いた。


「アリシア!! 下がれ!」


 吠えるより早く、魔獣の口元に魔力が集まる。


(……まずい)


 喉の奥に、黒い光。


「ブレス……!」


 次の瞬間、黒紫の奔流が放たれた。


「やばっ――!」


 アリシアに向かって一直線。

 彼女の足が、明らかに間に合わない速度で凍り付くのが見えた。


 考えるより先に、体が動いていた。


「どけぇぇッ!!」


 アリシアを抱きかかえ、そのまま横に飛ぶ。

 黒いブレスがさっきまで彼女がいた場所を薙ぎ払い、地面が抉れ、土煙が大きく舞い上がった。


「っ……!」


 熱と圧が背中を焼く。


 耳鳴りの中、アリシアの声が聞こえた。


「ライガ君ッ!!」


「だ、大丈夫。ちょっと焦げただけ……」


「ちょっとで済んでるのがおかしいんだけど!!」


 本気で怒られた。


 でも、怒られるのは、生きてる証拠だ。



 距離を取ろうとする俺たちを、魔獣は執拗に追ってくる。

 そのたびに、リュミナの魔法が飛んだ。


「《減速陣(スロウ・フィールド)》!」


 地面に展開された魔法陣が、魔獣の脚を鈍らせる。

 ほんの一瞬だけ、動きが止まる。


「今!!」


「うおおおおッ!!」


 ガルドが横合いから殴り飛ばし、アリシアが再度斬り込む。

 俺も拳に魔力を込めて殴り込んだ。


 けど――


(……足りない)


 確かにダメージは入ってる。

 でも、あいつの生命力は、それを上回っている。


 傷口から漏れる黒い魔力がすぐに傷を塞ぎ、さらに呪紋が濃くなっている。


「グガアアアアアッ!!」


「くっそ、きりがねぇ……!」

 ガルドが息を切らす。


「先生たちは!? 援護は!?」

 アリシアが叫ぶ。


 ちらっと視線を向ければ、訓練場の外で他の教師たちが結界を張っていた。

 逃げようとする生徒を守り、内側への干渉を最低限に抑えている。


 担任も、その中にいて――

 魔術師団のローブを着た男と言い争っていた。


「話が違う! こんな魔獣、演習に使えるわけが――!」


「落ち着いてください。

 記録では“訓練用個体”と――」


「どこがだ!!」


 先生の怒鳴り声が、遠くで聞こえた。


(……やっぱり、先生も知らされてなかった)


 胸の奥で、何かがカチリと音を立てる。


(ふざけんな)


 俺たちを――

 クラスメイトを――

 こんな訳のわからない魔獣の“テスト”に使って、何が訓練だ。


(許せるわけ、ないだろ)


 胸の竜紋が、俺の感情に呼応するように熱を上げた。



 その瞬間だった。


 魔獣が大きく口を開く。

 さっきよりも、さらに濃い黒紫の魔力が集まり始めた。


「……っ、やばい。さっきのより……!」


 リュミナの顔から血の気が引く。


「防げないの?」

 アリシアが叫ぶ。


「無理よ。あの密度、私の防御じゃ――」


 ガルドが歯を食いしばる。


「避けるしかねぇのかよ!」


 でも、避ければ――

 ブレスの先には、俺たちの後ろで震えている生徒たちがいる。


 誰かが死ぬ。


 その光景が、頭の中でフラッシュバックした。


(嫌だ)


 絶対に、嫌だ。


 その瞬間、胸に雷が落ちたみたいに、竜紋が弾けた。


「……ッ!!」


 世界の色が変わった気がした。


 空気の流れが見える。

 魔獣の魔力の流れすら、はっきり感じ取れる。


 蒼い光が、視界の端で揺らめいた。


 自分の背後に――

 巨大な何かの影が、一瞬だけ重なって見えた。


(……これ、は)


 頭の中に、声なき“衝動”が流れ込んでくる。


 そこだ。

 右足を半歩前。

 ブレスの中心を、叩き割れ。


 意識するより先に、体が動いていた。


「ライガ君!!?」


 アリシアの悲鳴が聞こえた気がする。

 でも、もう止まれない。


 魔獣の正面、ブレスの射線上。

 まっすぐ飛び込む。


「グガァアアアアアッ!!」


 黒紫の奔流が迫る。


 普通なら、飲み込まれて灰すら残らない火力。

 だけど――


 俺の右腕に、青白い炎が灯った。


「――うおおおおおおッ!!」


 拳を振り抜く。


 蒼い光が、黒紫のブレスとぶつかり合った。


 衝撃で世界が揺れる。

 耳が破れそうな轟音。

 光と闇がぶつかり合い、空間が軋む。


(押し負ける……かよ!!)


 胸の竜紋が、さらに熱を増す。

 痛い。焼ける。

 でも――止まりたくない。


「っ、がああああああああッ!!」


 喉から勝手に叫び声が漏れる。


 拳に込めた力が、さらに増した。


 青白い光がブレスを押し返し、

 そのまま逆流するように魔獣の口内へと突き進む。


「グッ……ガアアアアアアアアアアッ!!」


 魔獣の悲鳴。

 次の瞬間、爆発した。



 光が収まり、俺はその場に膝をついた。

 全身が重い。

 腕が上がらない。


 目の前では、魔獣がぐらつきながら立っていた。


 口元から黒い煙が漏れ、額の呪紋がかすれていく。


「グ……グゥ……」


 巨体が、ゆっくりと――倒れた。


 土煙が上がり、世界が静かになった。


「…………はぁ」


 肺の奥の空気を、全部吐き出す。


(……勝った……のか?)


 よくわからない。

 ただ、立っていられない。


「ライガ君ッ!!」


 駆け寄る足音。

 アリシアが飛びつくように抱きついてきて、危うくそのまま倒れそうになる。


「ちょ、アリシア、重っ……」


「今そういうこと言う!? バカ!! 死ぬかと思ったんだから!!」


 涙目で怒鳴られた。

 ガルドも隣で笑いながら、でも顔色は真っ青だ。


「マジで……心臓に悪ぃわ……。

 お前、いつもギリギリすぎんだよ……!」


 リュミナも息を整えながら近づき、俺の胸元に目を落とす。


「……やっぱり」


「な、何が?」


「竜紋。さっき、光ってた」


 言われて見下ろすと、胸元の熱は少しずつ収まりつつあった。

 青白い光も消えかけている。


(……さっきの力。やっぱり、俺の中の“何か”だ)


 考えるだけで、背筋が冷たくなる。

 同時に――少しだけ、安心した。


 この力がなかったら、誰かが死んでいたかもしれない。



「全員、その場から動くな!!」


 怒鳴り声が飛んだ。


 訓練場の入口から、魔術師団のローブを着た男たちが入ってくる。

 その先頭にいるのは――さっき先生と言い争っていた、あの若い魔導師だった。


「魔獣は……完全に沈黙。

 ……なるほど、これが“竜の血”か」


 こちらを値踏みするような視線。

 嫌な感じしかしない。


 担任が、その前に立ちはだかった。


「どういうつもりだ!

 こんな危険な個体を演習に使うなど、正気の沙汰ではない!」


「落ち着いてください。記録上では“訓練用個体”です」


「ふざけるな!

 生徒が何人死んでいてもおかしくなかったんだぞ!」


 珍しく、担任が本気で怒鳴っている。

 それだけで、この状況がどれだけ異常か分かる。


 魔導師は、しかし眉ひとつ動かさなかった。


「結果として、死者は出ていない。

 それに――」


 男の視線が、俺の胸元に向いた。


「……有益なデータも得られた」


 ぞわり、と背中が冷える。


「この件は“事故”として処理される。

 いいですね、先生?」


「っ……!」


 担任は悔しそうに唇を噛んだ。

 けど――何も言い返せない。


 教師が、魔術師団や王族の指示に逆らえないことを、俺はまだ詳しく知らない。

 けど、その沈黙がすべてを物語っていた。


(事故、ね)


 あえて言葉にしない。

 喉が焼けるほど、怒りがこみ上げていたから。



 結局そのあと、俺は保健棟に運ばれることになった。


 ベッドに寝かされ、回復魔法を受けながら、天井を見つめる。


 アリシアたちは、別室で事情聴取を受けているらしい。


(……事故、か)


 さっきの魔導師の顔を思い出す。


(あいつらは、最初から“俺の反応”を見に来ていた。

 あの魔獣も、きっと――)


 胸の竜紋が、まだかすかに熱い。


「ライガ」


 扉が開いて、担任が入ってきた。

 さっきの怒鳴り声が嘘みたいに、疲れた顔をしている。


「……先生」


「大丈夫か?」


「体は。心は大丈夫じゃないですけど」


 正直に言ってみたら、先生はふっと口元をゆるめた。


「そうか。なら、まだ大丈夫だ」


「さっきの魔獣……先生、本当に“訓練用”だと思ってたんですか?」


 問うと、担任は少しだけ目を伏せた。


「…………あぁ。

 事前に渡された資料には、そう書かれていた」


「嘘だったわけですね」


「……そうだな」


 悔しさを押し殺すような声だった。


「俺たち、生徒を……何だと思ってるんですかね、あいつら」


「さぁな。

 だが、少なくとも私は――お前たちを、“守るべき生徒”だと思っている」


 その言葉は、ちょっとずるい。


 怒りと、少しの安心が、胸の中でぐちゃぐちゃになった。


「……ありがとう、ございます」


「礼を言うのは、まだ早いかもしれんぞ」


 先生は小さく息をついて、俺の胸元をちらっと見る。


「お前の中の“何か”を、あいつらは確実に警戒し始めた。

 今日のようなことが、今後も起こらないとは言い切れない」


「……ですよね」


「だが、それでも――」


 先生は、いつもの授業で見せる厳しい顔に戻った。


「私は教師だ。

 お前がここで学ぶ限り、できる範囲で守る。それだけは約束しよう」


 その言葉は、思っていた以上に重かった。


 王国とか、王族とか、魔術師団とか。

 大きなものの前では、先生だってきっと無力だ。


 それでも、そう言ってくれる大人がいることが、ひどく心強かった。


「……期待しすぎない程度に、期待しておきます」


「生意気だな」


 先生はそう言って、保健棟を出ていった。



 部屋にひとり残され、目を閉じる。


 さっきの戦いが脳裏に蘇る。

 光と、熱と、怒りと――


 そして、俺の背後に一瞬だけ見えた“青白い影”。


(……あれは)


 ドラゴン。

 そんな確信が、なぜか自然に浮かんだ。


 胸元が、かすかに光る。


「……俺は、いったい何なんだよ」


 呟きは、とても小さかった。

 誰にも聞かれない程度の、弱音。


 返事をする人はいない。


 代わりに、胸の竜紋が、静かに一度だけ――

 どくん、と脈打った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る