第11話
ぶつかった瞬間、世界が弾け飛んだ。
骨がきしむ。
鼓膜が破れそうな咆哮。
衝撃で視界が白く飛んで、次に見えたのは――空。
「っぐ……!」
俺は後ろに吹き飛ばされ、そのまま地面を転がった。背中に石が食い込んで痛い。
(やっべ……今の正面は、普通なら死んでるやつじゃないか?)
どうにか体を起こすと、正面では黒い魔獣――呪紋まみれの化け物が、低く唸りながらこちらをにらみつけていた。
額の赤黒い紋章が、不気味に脈打っている。さっきよりも濃く、禍々しく。
「グルルルル……」
……笑ってるだろ、お前。
そう思った瞬間、胸の竜紋が“カッ”と熱を上げた。
(……やっぱ、コイツ、俺に反応してる)
わかる。
こいつの狙いは最初から――班でも、先生でもなく、“俺”だ。
「ライガ君!」
「動けるか!?」
アリシアとガルドが駆け寄ってくる。リュミナは少し離れた位置で、魔方陣を展開していた。
「なんとか……まだ、いける」
「いや、いけてない顔してるんだけど!」
アリシアのツッコミが飛ぶ。
「いけるって言ったやつは大体いけてないのよね……」
リュミナが冷静に毒を吐く。
「お前らさぁ、応援って概念ある?」
とはいえ、二人の声で少し落ち着く。
ガルドが、ちらっと魔獣の方を見てから言った。
「なぁライガ。正直に言うと、あいつ……俺ら四人でやっても勝てるか怪しい」
「俺もそう思う」
「私も」
即答かよ。
「でも、逃げ道はないわ」
リュミナが短く言う。
「後ろには他の生徒もいる。ここで私たちが止めなかったら――」
「こいつは、もっと暴れる」
全員の視線が魔獣に向いた。
呪いを含んだ魔力が、空気をひりつかせる。
息を吸うだけで肺が焼けるようだった。
◇
魔獣が動いた。
「ガアアアアアアッ!!」
大地を蹴る音。
一瞬で間合いを詰める巨体。
「右だ!!」
叫ぶと同時に、俺とガルドは逆方向へ飛び退く。
魔獣の爪が地面を抉り、土と石が爆ぜた。
その影から、アリシアが飛び出す。
「《スラッシュ・エッジ》!!」
剣に光が集まり、一閃。
魔獣の前脚に浅く傷を刻む。
けど――
「硬っ……!」
手応えはあっても、致命傷には程遠い。
逆に、アリシアに意識が向いた。
「アリシア!! 下がれ!」
吠えるより早く、魔獣の口元に魔力が集まる。
(……まずい)
喉の奥に、黒い光。
「ブレス……!」
次の瞬間、黒紫の奔流が放たれた。
「やばっ――!」
アリシアに向かって一直線。
彼女の足が、明らかに間に合わない速度で凍り付くのが見えた。
考えるより先に、体が動いていた。
「どけぇぇッ!!」
アリシアを抱きかかえ、そのまま横に飛ぶ。
黒いブレスがさっきまで彼女がいた場所を薙ぎ払い、地面が抉れ、土煙が大きく舞い上がった。
「っ……!」
熱と圧が背中を焼く。
耳鳴りの中、アリシアの声が聞こえた。
「ライガ君ッ!!」
「だ、大丈夫。ちょっと焦げただけ……」
「ちょっとで済んでるのがおかしいんだけど!!」
本気で怒られた。
でも、怒られるのは、生きてる証拠だ。
◇
距離を取ろうとする俺たちを、魔獣は執拗に追ってくる。
そのたびに、リュミナの魔法が飛んだ。
「《減速陣(スロウ・フィールド)》!」
地面に展開された魔法陣が、魔獣の脚を鈍らせる。
ほんの一瞬だけ、動きが止まる。
「今!!」
「うおおおおッ!!」
ガルドが横合いから殴り飛ばし、アリシアが再度斬り込む。
俺も拳に魔力を込めて殴り込んだ。
けど――
(……足りない)
確かにダメージは入ってる。
でも、あいつの生命力は、それを上回っている。
傷口から漏れる黒い魔力がすぐに傷を塞ぎ、さらに呪紋が濃くなっている。
「グガアアアアアッ!!」
「くっそ、きりがねぇ……!」
ガルドが息を切らす。
「先生たちは!? 援護は!?」
アリシアが叫ぶ。
ちらっと視線を向ければ、訓練場の外で他の教師たちが結界を張っていた。
逃げようとする生徒を守り、内側への干渉を最低限に抑えている。
担任も、その中にいて――
魔術師団のローブを着た男と言い争っていた。
「話が違う! こんな魔獣、演習に使えるわけが――!」
「落ち着いてください。
記録では“訓練用個体”と――」
「どこがだ!!」
先生の怒鳴り声が、遠くで聞こえた。
(……やっぱり、先生も知らされてなかった)
胸の奥で、何かがカチリと音を立てる。
(ふざけんな)
俺たちを――
クラスメイトを――
こんな訳のわからない魔獣の“テスト”に使って、何が訓練だ。
(許せるわけ、ないだろ)
胸の竜紋が、俺の感情に呼応するように熱を上げた。
◇
その瞬間だった。
魔獣が大きく口を開く。
さっきよりも、さらに濃い黒紫の魔力が集まり始めた。
「……っ、やばい。さっきのより……!」
リュミナの顔から血の気が引く。
「防げないの?」
アリシアが叫ぶ。
「無理よ。あの密度、私の防御じゃ――」
ガルドが歯を食いしばる。
「避けるしかねぇのかよ!」
でも、避ければ――
ブレスの先には、俺たちの後ろで震えている生徒たちがいる。
誰かが死ぬ。
その光景が、頭の中でフラッシュバックした。
(嫌だ)
絶対に、嫌だ。
その瞬間、胸に雷が落ちたみたいに、竜紋が弾けた。
「……ッ!!」
世界の色が変わった気がした。
空気の流れが見える。
魔獣の魔力の流れすら、はっきり感じ取れる。
蒼い光が、視界の端で揺らめいた。
自分の背後に――
巨大な何かの影が、一瞬だけ重なって見えた。
(……これ、は)
頭の中に、声なき“衝動”が流れ込んでくる。
そこだ。
右足を半歩前。
ブレスの中心を、叩き割れ。
意識するより先に、体が動いていた。
「ライガ君!!?」
アリシアの悲鳴が聞こえた気がする。
でも、もう止まれない。
魔獣の正面、ブレスの射線上。
まっすぐ飛び込む。
「グガァアアアアアッ!!」
黒紫の奔流が迫る。
普通なら、飲み込まれて灰すら残らない火力。
だけど――
俺の右腕に、青白い炎が灯った。
「――うおおおおおおッ!!」
拳を振り抜く。
蒼い光が、黒紫のブレスとぶつかり合った。
衝撃で世界が揺れる。
耳が破れそうな轟音。
光と闇がぶつかり合い、空間が軋む。
(押し負ける……かよ!!)
胸の竜紋が、さらに熱を増す。
痛い。焼ける。
でも――止まりたくない。
「っ、がああああああああッ!!」
喉から勝手に叫び声が漏れる。
拳に込めた力が、さらに増した。
青白い光がブレスを押し返し、
そのまま逆流するように魔獣の口内へと突き進む。
「グッ……ガアアアアアアアアアアッ!!」
魔獣の悲鳴。
次の瞬間、爆発した。
◇
光が収まり、俺はその場に膝をついた。
全身が重い。
腕が上がらない。
目の前では、魔獣がぐらつきながら立っていた。
口元から黒い煙が漏れ、額の呪紋がかすれていく。
「グ……グゥ……」
巨体が、ゆっくりと――倒れた。
土煙が上がり、世界が静かになった。
「…………はぁ」
肺の奥の空気を、全部吐き出す。
(……勝った……のか?)
よくわからない。
ただ、立っていられない。
「ライガ君ッ!!」
駆け寄る足音。
アリシアが飛びつくように抱きついてきて、危うくそのまま倒れそうになる。
「ちょ、アリシア、重っ……」
「今そういうこと言う!? バカ!! 死ぬかと思ったんだから!!」
涙目で怒鳴られた。
ガルドも隣で笑いながら、でも顔色は真っ青だ。
「マジで……心臓に悪ぃわ……。
お前、いつもギリギリすぎんだよ……!」
リュミナも息を整えながら近づき、俺の胸元に目を落とす。
「……やっぱり」
「な、何が?」
「竜紋。さっき、光ってた」
言われて見下ろすと、胸元の熱は少しずつ収まりつつあった。
青白い光も消えかけている。
(……さっきの力。やっぱり、俺の中の“何か”だ)
考えるだけで、背筋が冷たくなる。
同時に――少しだけ、安心した。
この力がなかったら、誰かが死んでいたかもしれない。
◇
「全員、その場から動くな!!」
怒鳴り声が飛んだ。
訓練場の入口から、魔術師団のローブを着た男たちが入ってくる。
その先頭にいるのは――さっき先生と言い争っていた、あの若い魔導師だった。
「魔獣は……完全に沈黙。
……なるほど、これが“竜の血”か」
こちらを値踏みするような視線。
嫌な感じしかしない。
担任が、その前に立ちはだかった。
「どういうつもりだ!
こんな危険な個体を演習に使うなど、正気の沙汰ではない!」
「落ち着いてください。記録上では“訓練用個体”です」
「ふざけるな!
生徒が何人死んでいてもおかしくなかったんだぞ!」
珍しく、担任が本気で怒鳴っている。
それだけで、この状況がどれだけ異常か分かる。
魔導師は、しかし眉ひとつ動かさなかった。
「結果として、死者は出ていない。
それに――」
男の視線が、俺の胸元に向いた。
「……有益なデータも得られた」
ぞわり、と背中が冷える。
「この件は“事故”として処理される。
いいですね、先生?」
「っ……!」
担任は悔しそうに唇を噛んだ。
けど――何も言い返せない。
教師が、魔術師団や王族の指示に逆らえないことを、俺はまだ詳しく知らない。
けど、その沈黙がすべてを物語っていた。
(事故、ね)
あえて言葉にしない。
喉が焼けるほど、怒りがこみ上げていたから。
◇
結局そのあと、俺は保健棟に運ばれることになった。
ベッドに寝かされ、回復魔法を受けながら、天井を見つめる。
アリシアたちは、別室で事情聴取を受けているらしい。
(……事故、か)
さっきの魔導師の顔を思い出す。
(あいつらは、最初から“俺の反応”を見に来ていた。
あの魔獣も、きっと――)
胸の竜紋が、まだかすかに熱い。
「ライガ」
扉が開いて、担任が入ってきた。
さっきの怒鳴り声が嘘みたいに、疲れた顔をしている。
「……先生」
「大丈夫か?」
「体は。心は大丈夫じゃないですけど」
正直に言ってみたら、先生はふっと口元をゆるめた。
「そうか。なら、まだ大丈夫だ」
「さっきの魔獣……先生、本当に“訓練用”だと思ってたんですか?」
問うと、担任は少しだけ目を伏せた。
「…………あぁ。
事前に渡された資料には、そう書かれていた」
「嘘だったわけですね」
「……そうだな」
悔しさを押し殺すような声だった。
「俺たち、生徒を……何だと思ってるんですかね、あいつら」
「さぁな。
だが、少なくとも私は――お前たちを、“守るべき生徒”だと思っている」
その言葉は、ちょっとずるい。
怒りと、少しの安心が、胸の中でぐちゃぐちゃになった。
「……ありがとう、ございます」
「礼を言うのは、まだ早いかもしれんぞ」
先生は小さく息をついて、俺の胸元をちらっと見る。
「お前の中の“何か”を、あいつらは確実に警戒し始めた。
今日のようなことが、今後も起こらないとは言い切れない」
「……ですよね」
「だが、それでも――」
先生は、いつもの授業で見せる厳しい顔に戻った。
「私は教師だ。
お前がここで学ぶ限り、できる範囲で守る。それだけは約束しよう」
その言葉は、思っていた以上に重かった。
王国とか、王族とか、魔術師団とか。
大きなものの前では、先生だってきっと無力だ。
それでも、そう言ってくれる大人がいることが、ひどく心強かった。
「……期待しすぎない程度に、期待しておきます」
「生意気だな」
先生はそう言って、保健棟を出ていった。
◇
部屋にひとり残され、目を閉じる。
さっきの戦いが脳裏に蘇る。
光と、熱と、怒りと――
そして、俺の背後に一瞬だけ見えた“青白い影”。
(……あれは)
ドラゴン。
そんな確信が、なぜか自然に浮かんだ。
胸元が、かすかに光る。
「……俺は、いったい何なんだよ」
呟きは、とても小さかった。
誰にも聞かれない程度の、弱音。
返事をする人はいない。
代わりに、胸の竜紋が、静かに一度だけ――
どくん、と脈打った。
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