第9話
翌朝。
目を覚ました瞬間、胸の奥がじわっと熱を持っているのに気づいた。
(……まただ)
ここ数日、竜紋の“うずき”はずっと続いている。
昨日、図書塔で古文書に触れてからは、それが一段と強くなった気がする。
「……熱はない、はず」
手の甲を額に当ててみる。
体温的には平熱。けど、胸の奥だけじんじん熱い。
(これ、完全に病院案件じゃなくて“厄介な血”案件なんだよな……)
ため息をつきながら制服に着替え、寮を出る。
◇
朝の学園は、一見いつも通りだった。
生徒たちのざわめき、行き交うローブや剣帯、魔力の気配。
……けど。
「なんか、空気固くない?」
教室に向かう廊下で、ふとそんな違和感が喉元まで出かかる。
教師たちの表情が妙に険しい。
話し声もいつもより低く、早足で歩いている人がやけに多い。
「ライガ君、おはよ!」
そんな空気をぶち破るように、背中から明るい声が飛んでくる。
「お、おはよ。アリシア」
振り向くと、金髪ポニテの騎士志望少女。いつも通り、眩しい笑顔だ。
「どうしたの? すごい真面目な顔してたよ?」
「いや、なんかさ。先生たち、いつもよりピリついてない?」
「……あ、やっぱライガ君もそう思う?」
アリシアが小さく声を潜める。
「朝から“演習場の立ち入り禁止”って貼り紙出てたしさ。
理由聞いても『準備中だ』ってはぐらかされるし……」
「準備って、何の?」
「さぁ……?」
そこへ、リュミナが本を抱えたまま歩いてきた。
「おはよう、二人とも」
「おはよ、リュミナ。ねえ、なんか今日は学園が変じゃない?」
「変ね」
あっさり肯定された。
「先生たちの魔力の“張り詰め方”がいつもと違うわ。
何か大きな行事が控えている時の空気」
「行事って……もうすぐ中間考査とかあるけど、それ?」
「試験でここまで構える必要はないと思うけど」
「だよね」
三人で首を傾げつつ教室へ向かう。
◇
午前の座学は、一応普通に始まった。
魔術理論、王国史、古代魔法体系。
いつもなら睡魔と戦う時間だけど、今日はちょっと違う。
(……なんか、空気が落ち着かない)
先生たちの視線が時々、窓の外や廊下に向く。
誰かが遅れて入ってくるたびに、クラス全体がビクリと反応する。
胸の竜紋も、いつもより存在感がある。
じんわりと熱を持ち、時折心臓の鼓動とズレたタイミングで“どくん”と脈打つ。
(……やめて。不安煽るのやめて)
そんな俺の心情を知ってか知らずか、前の席から紙切れが飛んできた。
開くと、丸っこい字で一言。
『顔こわい』
アリシアだ。
斜め前からこっそり覗いてくるので、ペンで「大丈夫」と書いて返す。
……あんまり安心した顔はしてないけど。
隣では、リュミナが小声で囁いた。
「ねえ、ライガ君。さっきから魔力、無意識に漏れてるわよ」
「マジで!?」
思わずちょっと大きい声が出た。
先生がちらっとこっちを見る。
とりあえず咳払いで誤魔化す。
「……どのくらい漏れてた?」
「周囲に影響出るほどじゃないけど。
でも、いつもより“竜紋の流れ”が荒い感じ」
「俺の体、どんどん人間から遠ざかってない?」
「元々そこまで人間ぽくなかったからセーフじゃない?」
「フォローが暴力なんだが!?」
アリシアが口を押さえて笑いを堪えている。
その表情を見たら、さっきまで張り詰めてた気持ちが少しだけ軽くなった。
◇
午前の授業が終わると、教室は一気に賑やかになる。
「なぁライガ!」
ドカンと背中を叩かれる感触。もはや誰かはわかる。
「ガルド、痛いって」
「お前が頑丈すぎんだよ! それより聞いたか?」
「なにを」
「今日の午後だよ午後! 演習だってよ、実戦形式の!」
「え」
アリシアとリュミナと同時に声が重なった。
「聞いてないんだけど?」
「さっき先生が廊下で話してんの聞いちまってさ。
“午後の実戦演習、準備を急げ”ってな!」
「盗み聞きじゃん」
「情報戦だよ!」
ガルドは胸を張る。
でも、さっきの“演習場立ち入り禁止”と繋がった。
(実戦演習……? このタイミングで?)
嫌な予感が、背筋を撫でた。
「演習ってさ、どのレベルの話なんだろうな」
「いつもの模擬戦程度ならいいけど……」
アリシアが眉をひそめる。
「最近、外の魔獣も活発化してるって話だしね」
リュミナも真剣な顔。
「ま、何が来ても面白そうじゃねぇか!」
ガルドだけ元気いっぱいだ。
このポジティブさ、ちょっと羨ましい。
その時、ふと視線を感じた。
振り向くと──
教室の後ろの方で、レオン・バルシュトがこちらを見ていた。
目が合った瞬間、彼はすぐに視線を逸らし、席を立つ。
「……」
「ライガ君?」
「あ、いや。なんでもない」
本当は“なんでもない”ってことはないんだけど。
レオンの、あの何とも言えない表情が頭から離れない。
(あいつ……何か知ってる顔だったな)
でも、追いかけて聞き出すほど仲が良いわけでもない。
あの日の試合以来、まともに話してすらいない。
(……面倒ごとは、これ以上増やしたくないんだけどな)
◇
昼休み、いつものように中庭で弁当を広げた。
青空、噴水の水音、芝生の匂い。
一見、平和そのものの光景だ。
「今日さ、もし魔獣が出てきたらさ」
アリシアが唐揚げをつつきながら、ぽつりと言う。
「ライガ君、前みたいに一人で無茶しないでね?」
「前みたいって、図書塔の前のあれ?」
「そう。あの時の顔、見てて怖かったんだから」
リュミナも頷く。
「あなた、誰かが傷つきそうになると、判断力が吹き飛ぶタイプよね」
「そんな分析要らないからね?」
図星だから否定しきれないのが悔しい。
「でもさ」
ガルドが口いっぱいにパンをほおばりながら続ける。
「お前が突っ込んでくれたおかげで、誰も死ななかったんだろ?
それって、結構いいことじゃねぇの?」
「ガルド……」
「俺はさ、そういう奴、好きだぜ」
「……ありがとう」
照れくさくて、視線をそらす。
アリシアも笑っていた。
「だからこそ、みんなで一緒に戦おう。
ライガ君が前に出て、その後ろを私たちが守るんじゃなくてさ。
“横に並んで”戦う感じで」
「横に、ね」
「うん。私も剣、もっと頑張るから。
リュミナだって魔法強いし、ガルドも頼りになるし!」
「任せろ!」
ガルドが胸を張る。
リュミナは、少しだけ目を伏せてから言った。
「……私もね。
あなたを観察対象として見てる部分は、正直あるけど」
「急にひどいこと言うな」
「でも、それ以上に──友達だと思ってる」
「……」
その言葉に、胸の深いところがじんと熱くなる。
竜紋の熱とは、違う種類の温度だ。
(……あー、もう)
気づいたら、笑っていた。
「……なんか、変だな。
ついこの間まで、俺一人で平凡にモブやって終わる予定だったのに」
「今は?」
「うるさい友達が三人に増えて、騒がしい毎日を送ってる」
「それ、褒めてるの?」
アリシアがむっとする。
「褒めてる褒めてる」
本当に、そう思った。
竜紋がどうとか、古い血がどうとか、王族がどうとか。
そんな話は全部、俺の望んだ日常からはほど遠い。
けど──この時間だけは、悪くない。
◇
午後のホームルーム。
担任が入ってきた瞬間、教室が静まり返る。
いつもより顔が硬い。
黒板の前に立つと、短く告げた。
「これより、午後は“実戦演習”を行う。
装備を整え、指定された訓練場へ集合するように」
「やっぱりか……!」
ガルドが小声でガッツポーズを取る。
「演習の内容は? 魔獣討伐ですか?」
誰かが質問する。
「詳細は現地で伝える。
……くれぐれも、軽い気持ちで挑むな」
担任の声には、いつもと違う緊張があった。
それが逆に、不安を煽る。
チャイムが鳴り、生徒たちが一斉に立ち上がる。
「行こっか、ライガ君」
「……ああ」
胸の竜紋が、またひとつ脈打った。
さっきまでの温かさとは違う、“戦いの予感”みたいな熱。
◇
訓練場へ向かう途中、ふと背中に視線を感じた。
振り返ると、廊下の陰でひとりの魔術師が立っている。
見覚えのない顔だ。年は若いが、ローブの紋様は魔術師団所属を示していた。
(……誰だ?)
目が合った瞬間、その男はすっと視線を逸らし、別の廊下へ消えていく。
「ライガ君?」
「いや……なんでも」
気のせいだと思いたい。
でも、胸騒ぎはどんどん強くなっていく。
空は晴れているのに、どこか重い。
風が、生温い。
(嫌な感じだ……)
訓練場の門が見えてきた。
俺は無意識に、胸元を押さえた。
竜紋は、まるでこう囁いているようだった。
──備えろ。
──何かが、来る。
その意味を、本当の意味で理解するのは。
この日の、もう少し先のことだ。
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