エタった小説のラスボス邪神に転生したが、過去の俺の性癖が痛すぎて死にたい

メイドインコ

第1話 詠唱(ポエム)という名の拷問

「これこそが、あなたがこの世界を創造した際に記された、万物の真理……『ダークネス・バイブル』でございます!」


(ぎゃあああああ!!)


間違いない。見間違うはずがない。

色褪せた表紙。角の擦り切れた厚紙。そして――


『Campus A罫 7mm×30行』


――なんで、こんなことになったのか。

俺は目覚めたばかりの記憶を、必死に手繰り寄せる。



意識が浮上した瞬間、鼻をつくような線香の匂いと、湿った石の冷たさを感じた。


「おお……! ついに、ついに脈動が!」


「儀式の準備を! 邪神様がお目覚めになるぞ!」


野太い男たちの声が響く。

俺は重いまぶたを開けた。

視界に入ってきたのは、黒いローブを纏って平伏している数十人の男たち。

そして、自分の手。


白磁のように白く、華奢で、小さな手。

視線を下ろすと、豪奢なゴシックドレスと、サラサラと流れる銀色の髪が見えた。

同時に、頭の重心が妙に前へ引っ張られるような違和感があった。

なにか、額のあたりに余計なものが生えている――そんな感覚だ。

恐る恐る手を伸ばすと、固く尖った“角”に触れた。


(……は? なんだこれ)


俺は三十路のウェブ小説書きだ。

昨夜、新作のプロットに行き詰まり、酒をしこたま飲んでからふて寝したはずだった。

それがなんで、こんな幼女になってるんだ?


俺は混乱しながら周囲を見渡した。

巨大な地下空洞。壁に刻まれた禍々しいレリーフ。

そして正面に鎮座する、高さ十メートルはあろうかという巨大な『封印の石扉』。

その扉には、見覚えのある――いや、見覚えがありすぎる紋章が刻まれていた。


「六枚の翼を持つ、片目の蛇……」


俺の背筋が凍りついた。

知っている。この紋章を、俺は知っている。

中学二年の時。

授業中にノートの端に書き殴り、テスト勉強もせずに設定を詰め込み、ネットの片隅に投稿しては誰にも読まれずにエタった、あの黒歴史小説。


『混沌クロニクル ~銀の邪神と終焉の詩~』


この場所は、その第1話の舞台「嘆きの祭壇」だ。

ということは、俺のこの姿は……。


「邪神様! 偉大なる銀の破壊者、アルテ・イリヤ様!」


黒ローブの男――教団の司祭が、涙を流しながら俺を見上げて叫んだ。


「どうかその御力で! この世界を閉ざす『嘆きの扉』を開放してくださいませ!」


俺は絶望した。


間違いない。

俺は、俺が中二病全開の時期に書いたラスボス、「邪神ちゃん」に転生してしまったんだ。

なんで俺、死んでんだ……!?


(ま、待て。落ち着け俺)


状況は最悪だが、設定は全部頭に入っている。作者だからな。

この扉を開けないと、ここから外には出られない。


扉を開ける方法は一つだけ。


特定の詠唱キーワード》を唱えることだ。


俺は喉の奥で、その言葉を探った。


当時の俺が「これが世界で一番カッコイイ」と信じて疑わなかった、あのフレーズを。


「……くっ」


言葉が、喉に詰まる。

言えない。

三十路を超えた今の俺には、劇薬すぎる。


(む、無理だ!言えるか!こんなもん公衆の面前で!)


だが、司祭たちは期待に満ちた目で俺を見ている。


「邪神様?いかがなされました?」

「もしや、長き眠りで『開門の詩』をお忘れに……?」


くそっ、このままじゃ話が進まない。

俺は覚悟を決めた。

これは演技だ。俺じゃない。邪神アルテ・イリヤのロールプレイだ。

俺は震える唇を開き、蚊の鳴くような声で言った。


「……くっ……《混沌カオスの闇より出でし……》」


司祭が目を見開く。


「おお!御言葉だ!皆の者、静粛に!邪神様の『聖なる詠唱』であるぞ!」


やめろ。静かにするな。聞き耳を立てるな。

俺の顔はすでに沸騰しそうだった。

だが、一度口火を切ったらもう止まらない。

物語の強制力(システム)が、俺の口を無理やり動かす。

俺は目を強く閉じ、羞恥心で涙目になりながら、一気に叫んだ。


「《……絶望の慟哭ラメントよ! 我が右腕の疼きと共に……ワールド・エンド!!世界を壊せ


シーン、と静まり返る地下空洞。


(死にたい。今すぐ舌を噛んで死にたい)


だが、世界は俺の黒歴史に応えた。


ゴゴゴゴゴゴゴ……!


地響きと共に、巨大な石扉が重々しく開き始めた。

紫色の魔力が奔流となって吹き荒れる。

それと同時に、俺はガクリとその場に膝をつき、両手で顔を覆ってうずくまった。

魔力の消耗じゃない。


致死量の羞恥心メンタルダメージで、立っていられなかったのだ。


「……ううぅ……」


漏れ出る呻き声。

だが、狂信者たちのフィルターを通すと、それすらもこう解釈された。


「見ろ! 邪神様がうずくまっておられる!」

「世界の理(ことわり)を捻じ曲げた反動に、耐えておられるのだ!」

「なんと慈悲深い……我々のために、身を削って封印を解いてくださったのだ!」

「邪神様万歳! アルテ・イリヤ様万歳!」


大歓声が巻き起こる。

違う。

俺は心の中で絶叫した。


(違う!ただ恥ずかしいだけだバカヤロウ!!)


俺の顔を覆った指の隙間から、涙がポロリとこぼれ落ちた。


だが、俺の地獄はまだ終わらない。


石扉を開放した余韻――いや、羞恥心のダメージで、俺はしばらくその場から動けなかった。


信者の集団が左右に割れ、最高司祭ガリウスが進み出てきた。

彼は震える手で、豪奢なベルベットのクッションを捧げ持っていた。

その上には、厳重な封印が施された「一冊の書物」が鎮座している。


嫌な予感がした。


「邪神様」


ガリウスが、涙で声を詰まらせながら言った。


「あなたが眠りについてより一千年……我々教団は、迫害と弾圧に耐えながら、この『聖遺物』を守り抜いてまいりました」


俺は恐る恐る、その「聖遺物」に目を向けた。


「これこそが、あなたがこの世界を創造した際に記された、万物の真理……」


ガリウスが高々と掲げる。


「『ダークネス・バイブル』でございます!」


(ぎゃあああああああああ!!)


間違いない。見間違うはずがない。

色褪せた表紙。角の擦り切れた厚紙。

そして見慣れたロゴマーク。


『Campus A罫 7mm×30行』


あれは――俺が中学二年の時、授業中にこっそり書き殴った、あの『設定ノート』。


中二病全開の恥ずかしい設定が、びっしりと詰め込まれた、俺の黒歴史そのものだ。


(なんであんだよ!?)


――これが、俺の邪神ライフの始まりだった。

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