第2話 裏切りの気配
タラス川での戦いから三日後。
ティムールたちは草原を北へと進軍していた。
敵の斥候を撃退したことは確かに勝利だったが、
それでこの戦が終わったわけではない。
むしろ——敵の本隊が本気で動き出す可能性が高い。
「ティムール、今日は休まないのか? 三日もろくに寝てないだろ」
同年代の兵、バルトが呆れたように声をかける。
ティムールは馬上で振り返った。
「風の流れが落ち着かない。まだ騒ぎが起きる前触れだ。」
「ああ……お前のそういうやつ、わかんねぇよ……」
「わからなくていい。感じたことを言っているだけだ。」
バルトは頭をかきながら笑ったが、
その顔には少しだけ不安が残っていた。
風が、乾いた匂いを運んでくる。
「……人の、匂いか?」
ティムールは馬を止め、耳を澄ませた。
遠く、岩陰の向こう側から、金属が触れ合うような音。
兵たちの間に緊張が走る。
「敵か?」
「いや——味方のはずだ。だが……」
ティムールの瞳がわずかに細まった。
「進みすぎるな。隊を散らす。丘の影に回り込め。」
「え、でもあそこには俺たちの後続の部族が——」
「わかってる。……だからこそ怪しい。」
ティムールの声はひどく静かだった。
兵たちは、彼の言葉に逆らえない不思議な力を感じていた。
理由を説明されなくても、
“従えば助かる”という確信がなぜか湧いてくるのだ。
やがて丘を迂回し、遠くから様子を窺ったとき——
その場にいた兵たちは息を飲んだ。
「なん……でだ……?」
そこには、味方であるはずの“後続部族”が、
敵方の使者と密談している姿があった。
「裏切り……!」
バルトが叫びそうになるのを、ティムールが手で制した。
「声を出すな。まだこちらには気づいていない。」
裏切り者たちは、地図を広げている。
どうやら次の進軍路を敵に伝えているようだった。
(……やはりな)
ティムールは静かに息を吸った。
草原では、
同盟など紙より薄く、
力の天秤が少しでも傾けば簡単に裏切りが起きる。
だが、これほど早く裏切りが露呈するとは。
「ティムール、どうする? あいつらを今すぐ——」
「待て。」
ティムールは首を横に振った。
「今ここで騒ぎを起こせば、敵に情報を渡し終えて逃げられる。
それに、裏切り者はまだ“何も気づいていない”。」
「じゃあ……」
「利用する。」
兵たちが驚いた顔でティムールを見る。
ティムールは岩陰で地面に指を走らせ、
簡単な戦の図を描いた。
「奴らが敵に教えた“進軍路”を逆手に取る。
敵はそこに待ち伏せを置くだろう。
だから——俺たちは迂回して、先に待ち伏せ側を叩く。」
バルトは目を丸くする。
「そんなことできるのかよ!?」
「できる。
裏切り者が動く前に、“裏”を先に取ればいい。」
ティムールは立ち上がった。
風がまた彼の髪を揺らす。
「草原ではな、バルト。
裏切りは避けられない。
だが——裏切りの“タイミング”を利用すれば勝てる。」
「……お前、ほんとに何者なんだ?」
「ただの少年だよ。」
ティムールは微笑み、馬にまたがった。
「だが、風は嘘をつかない。
風が動く前に動ければ、戦に勝てる。」
兵たちは彼の背中を追う。
大きな決断を成し遂げる将のような威厳が、すでに漂っていた。
そして——
裏切り者たちが何も知らず部族陣地へ戻っていくその背後で、
ティムールの小隊はすでに動き出していた。
敵の“待ち伏せ”を逆に迎え撃つために。
——少年の頭脳が、はじめて戦場に牙を剥いた瞬間だった。
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