第27話

プロポーズのあの日から、季節は一つ巡った。

リーチュの薬草園が、色とりどりの春の花で満たされる、麗らかな日のことだった。


「まあ、リーチュ様! なんてお美しい……!」


離宮の一室で、侍女のハンナが、感極まった声で涙を拭っている。

鏡の前に立つリーチュは、シルクとレースで仕立てられた、純白のウェディングドレスに身を包んでいた。

普段の泥だらけの作業着姿とは似ても似つかない、息を呑むような美しさだ。


「……大げさよ、ハンナ。それに、こんなにひらひらした服、どうにも落ち着きませんわ」


リーチュは、そう言って照れくさそうに肩をすくめた。

だが、その頬は幸せそうに上気し、瞳は春の陽光を受けてきらきらと輝いている。


彼女の結婚式は、王都の大聖堂で行われる、国を挙げた盛大なものではなかった。

リーチュが、そしてアシュトンが望んだのは、親しい者たちだけで祝う、ささやかで、温かい式。

その舞台に選ばれたのは、もちろん、彼女が何よりも愛する、この離宮の庭だった。


やがて、式の時間が訪れる。

父であるアルブレヒト公爵にエスコートされ、リーチュは庭に設えられたバージンロードをゆっくりと歩み始めた。

参列者は、クライネルト家の者たち、アシュトンの同僚である騎士団の仲間たち、そして、この離宮で家族のように過ごしてきた使用人たちだけ。

誰もが、温かい笑顔で、新しい門出を迎える二人を見守っていた。


道の先には、騎士団の純白の正礼装に身を包んだアシュトンが、緊張した面持ちで立っている。

いつもは氷のようだと評されるその顔が、今日ばかりは、柄にもなく紅潮していた。

リーチュのドレス姿を目にした瞬間、彼の灰色の瞳が、驚きと、そして深い愛情の色に見開かれるのを、リーチュははっきりと見て取った。


父の手から、アシュトンの手へ。

大きな、節くれだった、けれど、誰よりも優しい騎士の手が、リーチュの手をしっかりと握る。


神父の前で、二人は永遠の愛を誓った。


「健やかなる時も、病める時も……」


リーチュは、病める時、という言葉に、(その時は、わたくしが最高の薬を調合して差し上げますわ)と、心の中で付け加えた。


「汝、リーチュ・フォン・クライネルトを、生涯、妻とし……」


アシュトンの、力強く、揺るぎない声が、青空に響き渡る。


指輪の交換。

そして、アシュトンが、そっとリーチュのベールを上げる。

間近で見る彼の顔は、緊張でがちがちに固まっていた。

その不器用さが、リーチュには、たまらなく愛おしい。

誓いのキスは、ほんの少しだけ、ハーブの香りがした。


式の後の、ささやかな披露宴。

そのハイライトは、二人がナイフを入れる、ウェディングケーキの登場だった。

三段重ねの、巨大なケーキ。

しかし、それは、人々が想像するような、真っ白な生クリームや、甘い砂糖菓子で飾られたものではなかった。


こんがりと焼かれたタルト生地の上には、くるみやアーモンドといったナッツ類と、数種類のドライフルーツが、これでもかとぎっしり詰め込まれている。

そして、その周りを飾るのは、薔薇の花ではなく、リーチュが育てたローズマリーとタイムの緑の枝葉。


「ご紹介しますわ。甘いものが大の苦手な新郎と、甘ったるいものはあまり好きではない新婦のために作りました、『世界一甘くないウェディングケーキ』です」


リーチュが、悪戯っぽく笑いながらそう紹介すると、会場は、どっと温かい笑いに包まれた。

なんとも、この二人らしいケーキだ。


「あの氷の騎士が、こんなに腑抜けた顔をするとはな! リーチュ嬢、いや、バレフォール夫人! うちの団長を、末永くよろしく頼む!」


副団長のダリウスが、豪快に笑いながら祝辞を述べる。

アルブレヒト公爵は、「娘はやらん! と言いたいところだが……」と涙声で言いながらも、最後には、「アシュトン君、娘を、よろしく頼む」と、父親の顔で頭を下げた。


リーチュが投げたブーケ――もちろん、彼女が育てたハーブを束ねたものだ――は、見事、ハンナがキャッチし、ささやかな宴は、どこまでも幸せな笑い声に満ちていた。


やがて、宴も終わり、夕暮れの庭で、二人きりになる。

今日の日の喧騒が嘘のように、静かで、穏やかな時間。


「……疲れたか?」


「少しだけ。でも、とても、幸せな疲れですわ」


リーチュは、アシュトンの肩に、そっと頭を寄りかかった。

騎士の硬い肩は、世界で一番、安心できる場所だった。


「これから、毎日が、今日みたいだといいわね」


「いや」


アシュトンは、静かに否定した。


「今日よりも、明日。明日よりも、明後日。……君となら、毎日が、もっと幸せな日になる」


その、不器用で、けれど、どこまでも誠実な言葉に、リーチュは、幸せを噛みしめるように、そっと目を閉じた。

彼らの新しい人生が、今、この場所から、静かに、そして確かに、始まろうとしていた。

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