別れの季節

 「13番、門出 紗良」


紗良の卒業式は、早咲きの桜が可憐に散った晴天の空の下で執り行われた。「晴れの日」という言葉がよく似合う、そんな好天だ。紗良はいよいよ中学生に、そして私はお母さんになってから6年が経つ。


 「以上32名」


担任の少し低い声が体育館の音をジャックする。式典という厳かな雰囲気を残しつつ、子供のまだ無邪気な空気を感じる、不思議な空間。私はただ私の人生を母親の視点で見ていただけなのに、なぜか涙が止まらなかった。塩の味はしなかった。


 「おつかれーーーーー!!!!」


精いっぱいの大声で、紗良を迎える。紗良は少し呆れた表情を出しながらも、私とハグをしてくれた。弘も同じようにやってたけれど、周りの目が気になったのかあっさり断られていた。「こっちこっちー!」前世の私の友達が、紗良に手招きする。走っていく紗良にゆっくりついていき、母に声をかけた。


 「ありがとうございます。うちの子と仲良くしていただいて」

 「いえいえ!むしろこちらこそ仲良くしていただいて、うちの子いつも楽しそうに紗良ちゃんの子と話すんですよ」


 知らなかった。私はこの子のことを一人の友達くらいにしか思っていなかったけど、こんなに良く思ってもらえる友達がいたなんて。


 「おかあさーん!はやくいこうよう」

 「はいはい。今行くよー。すいませんこのあとちょっと用事があるもので、お先失礼しますね」

 「いえいえ、ありがとうございました」


もっと仲良くしておきなさい、なんて母親チックに助言をしてあげたかったけれど、この子は中学受験をして、春から別の学校に通うことを思い出した。せっかくいい友達だったのに。この時、前世の私はちゃんと同じことを考えていたのだろうか。



 周りから散々似合う似合うといわれてきた紗良のセーラー服姿。前世では全くそうは思わなかったけど、第三者視点で見るとよくわかる。確かに、よく似合う。あどけなさと儚さを併せ持ったような、そんな見た目。我ながらかわいいなんて思ってしまったものだ。

 そんな紗良を見て、弘は「いつか彼氏なんて連れてくるんじゃないか」なんて、すっかり父親らしい不安を抱えるようになっていた。でも、私は知っている。初めての彼氏が弘なのだから、中学校では一人もできないことを。だから「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」とだけ返した。


 ある日、弘が唐突に変なことを言い出した。


 「最近、紗良の笑顔が消えている気がする」


弘曰く、紗良が小学生の時より楽しそうじゃなくなった、笑う回数が格段に減っている。確かに前世のこの時期から「学校に通う楽しさ」は感じなくなっていた。でも家でもそれなりに笑っていたはずだし、不審に思うほどのことではないはずだ。他人から見た自分は、ここまで違うのだろうか。


 しかし、この件は弘の勘が当たった。紗良はいじめに遭っていた。私が仕事で忙しく、行けなかった授業参観を弘が代わりに行ったときに分かったそうだ。私は紗良の心配よりも先に、なぜいじめられているのかという疑問が沸き上がってきた。前世では、幸せな学校生活とまではいかないものの、それなりに毎日を過ごしていたはずだ。今まで過去を追体験したとばかり思っていたが、どうやら多少の誤差はあるらしい。


 「学校を変えよう」


涙で潤んだ目の紗良と一緒に帰宅した弘から、真っ先に聞いた言葉だった。


 「いじめられてるし、紗良にも居場所がないと思う。だから別の学校に行って新しい学校生活をするべきだ」

 「ちょっと待って。紗良はどう思ってるの?紗良の人生なんだから、紗良が決めないと」

 「私は、」


声が震えていた。気を緩むとまた涙があふれだしてきそうな、か弱い声。私はどうに彼女と目を合わせたかったが、できなかった。


 「別の学校に行きたい」


紗良は決して、「あの学校に通いたくない」とは言わなかった。私が同じ立場なら、きっと言っていたはずだ。それはきっと、あの学校にも楽しい部分があったんだと、そう考えた。


 学校を変えるということは簡単なことではなかった。今後の人生も大きく変わるし、だからこそ時間をかけて何度も三人で話し合った。そしてその結果、あまり距離の離れていない隣町の学校に編入することになった。書類を何枚も書いて、紗良は定期的にカウンセリングを受けて、しばらくは目まぐるしい日々が続いた。弘は、そんな日常も無駄にしまいと必死に「いじめと娘」と題し記事を書き続けた。私も時間に余裕がある時に覗いて読んでいたが、その内容は杜撰なものだった。いつも面白く読みやすい文を書いていた弘とは違う。自己中心的で、感情を吐露しただけの、殴り書きだった。学校現場への愚痴、近年の若者の意識への愚痴、そして、私への愚痴。「娘を持つは母親なら変化に気づいて当たり前」と題された記事は、開くのにすら3日かかった。覚悟を決めて読んだ内容も、しょうもない痴話喧嘩の時のような内容しかなく、「母親失格とはこのことだ」という文で締めくくられていた。記事は瞬く間に炎上し、もう一度覗きに行ったときにはすでに削除されていた。これがきっかけで、弘は文を書くのをやめた。

 当たる先がなくなったのか、怒りの矛先は私に向いた。親として失格だ、子供の変化くらい気づけ、何で気づけないんだ。とにかく散々酷いことを言われた。それでも、私は紗良を放っていたわけじゃない。むしろ紗良の人生が少しでも良くなるように、この身削ってひたむきに仕事をしてきたのに。「だって…」と泣くことしかできない自分、怒鳴るだけの弘、変わらない事実。その全てに腹が立ったし、嫌気がさした。運命の出会いだと思ったのに、幸せになれると信じていたのに。弘はこんな人だった。最後まで私が‘‘君の愛した人‘‘だと気づけなかった、愛情半ばの人だった。私の中で何かが歯切れ悪く切れる感じがした。


 「でてって…」


弘の顔が歪む。何を言ったか聞き取れなかったようで、「は?何言って…」なんて吞気に言うものだから、大きい声でもう一度行ってやった。


 「出て行って!!」


彼を、弘を、睨みつける。目から涙は止まらない。


 「もうあんたなんか知らない!好きじゃない!大嫌い!」


言った。言ってやった。言ってしまった。あとから多少の後悔が押し寄せてきたけど、そんなものすぐに怒りがかき消した。


 雪がこの地域にしては珍しく積もった12月。役所に書き終えた離婚届を提出し、受理してもらった。今日から私の戸籍には×がついて、シングルマザーになる。なんだか弘に尽くした7年間にも罰をつけられた気がして、涙は乾いても心は泣いたままだった。本当は皆で小さい食卓を囲んで、歌を歌って、ケーキを食べて、ぐっすり眠るはずだった25日、クリスマス。サンタは私に、最悪なプレゼントを残した。

 役所からの帰り道、私は歩きながら嫌な妄想が捗る。前世の母親は、「母親の浮気」がばれて離婚した。実際、離婚はその通りだったらしく、枕営業の慣れの果てだったらしい。ただ今回は、私が店をやめたことで、離婚は起きなかった。このままいけば、私たちは離婚しなかったはずだ。

 もしかしたら、紗良のいじめは私たちを離婚するための口実で、前世と大きく未来が変わることはないのではないか。どんな形であれ門出家は離婚する運命で、今回その引き金が紗良のいじめだっただけなのではないだろうか。放心状態の私に、笑いがこみ上げてくる。酷いよ。運命には逆らえないとしても、こんな残酷な運命だなんて。あの日、天使が弘の近くに転生させる話を持ち掛けてきたとき、格好つけて「どんなことになっても出会えるので、私たちはそんな運命なので」なんて言って断ればよかった。運命がこんなに強力なら、きっと来世で、弘に幸せな私で出会えたはずだ。喉を刺すほどの寒い空気を、胸いっぱいに吸い込む。冷静にものを考えられる今だから、正しいことを言える。

 私は、まだ弘のことが好きだ。

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