The First/デスゲーム 第5話

 『肉の女神』


 キーを叩く。

 羅列するアルファベットと数字。

 どこに何がと思うことなく、指が勝手に動く。

 二つのモニター。

 左に並んだオーダーを見て、右の表に数字を埋めていく。

 樫尾は、腰に手を回した。

 スーツには不似合いな、使い古した革製のベルトパック。

 スナップボタンを外し、中からフリスクケース缶を取り出す。

 ボロボロのベルトパック。

 フリスク缶がギリギリ入る程度の大きさ。使い込むうちにフリスク缶が馴染んだ。

 取り出しやすく、入れやすい。

 道具は馴染んだ物が使いやすい。

 缶のフタを開け、フリスクを2粒振り出す。

 きっちりと2粒。

 ベストな数。

 樫尾はいつもきっちりと2粒、フリスクを振り出すことができた。

 失敗はない。

 フリスクを口に放り込み、噛み砕く。

 ミントの刺激が気分をリフレッシュさせてくれたところで、樫尾はパソコン作業に戻った。

 樫尾の勤める会社は、半導体を製造する際に必要な薬液などの高機能材料を製造·販売する化学メーカー。

 営業から回ってくる発注を受け取り、各工場に生産計画を送る。

 同時に原料の手配も行う。

 そして、出来上がった製品の納入の手配をする。

 それが樫尾の仕事。

 半導体業界は繁忙期と閑散期の差が激しい。

 大抵、メタセコイアが色づくころ、樫尾の職場は繁忙期を迎える。今年は特に忙しい。

 指が勝手に動く。

 のめり込む。

 左から右と視線を移し、ただ指が動く。

 周りも見えず、音も聞こえない。

 周りを気にすることなく、自分の世界に没頭する。

 ふと、不快なノイズを感じた。

 ノイズに小さな衝撃が加わる。

 方向は左。

「樫尾さん」

 樫尾が名前を呼ばれ、振り向くと、左隣のデスクに座る若い女性が、肩を指でつっついていた。

「電話鳴ってますよ」

 上着の内ポケットでスマホがけたたましく着信音を鳴らしていた。言われるまで、樫尾は気づかなかった。

 村上。

 樫尾より、一回り年下の女性社員。

 よく気がつく、頼りになる同僚。

 村上に拝む仕草をして、樫尾はあわてて電話に出た。

 得意先からの問い合わせだった。

 言われのない催促。

 パソコンの左モニターの発注を照会するが、そんなオーダーはない。

 おかしい。

 情報が抜けている。折り返し連絡することを告げ、樫尾は電話を切った。

「また、ゾーンに入ってましたよ。

わたし、樫尾さんの電話番じゃないですからね」

 村上が口を尖らせて、自分のキーボードを叩きながら言った。

 確かに入っていた。

 昔から、集中すると、周りが見えなくなった。そして、周りの音も聞こえなくなった。

 悪い癖。

 白くただっ広いオフィスで大きく息を吐いた。

 周りから聞こえるのはキーボードを叩く音と、スマホに向かって話す一方的な会話だけだ。

「また、メシ奢るよ」

 樫尾は、小声で村上に声をかけた。

「お肉食べたい」

 肉の妖精が現れた。

 村上がモニターに向かったまま言った。

「京城苑」

 村上が行きたがっていた高級焼肉店の名前を告げると、村上はこっちを振り向き、ウインクした。

 村上 悠香むらかみ ゆか

 入社二年目。

 配属されたとき、隣の部署から若い連中が覗きに来ていたほどの美貌。見た目は清純っぽいが、人懐っこい性格の今どきの女の子。

 彼女が入社したとき、デスクが樫尾の隣になった。

 樫尾は最初の内、手取り足取り村上に仕事を教えた。

 村上は賢く、勘がいい。今では助けてもらうことも少なくない。

 他愛もないおしゃべりから、音楽の趣味が似ていることがわかった。

 トゥーチェロズ。

 二人のチェロ奏者によるデュオ。

 二本のチェロだけで、マイケル・ジャクソンのスムーズ・クリミナルを演奏している動画が有名。

 スティングやACDC、ニルヴァーナやはたまたプロディジーまでカバーする選曲のセンスと、卓越したチェロの音色がたまらない。

 村上はオリジナルの影武者って曲がお気に入り。

 樫尾と村上は学生時代、チェロを弾いていた。

 といっても、樫尾は下手の横好き。村上はコンクール常連の強豪校出身なので、腕前は言うまでもなく比べ物にならない。

 チェロの音色は人間の声に似ていると言われることがある。

 人間の声も千差万別。

 チェロだって、弾く人によって音色は違う。

 前に樫尾は、村上が演奏している動画を見せてもらった。はっきり言って、プロの腕前だった。

 彼女のデスクにはチェロを弾く白猫のマスコットが置いてある。

 それ、かわいいねって樫尾が褒めたら、お揃いの黒猫のマスコットをプレゼントされた。

 仕事もプライベートでも、気さくに話ができる間柄の2人。

 さっきの得意先からの電話が気になり、樫尾は営業部の黒川くろかわに電話をした。

 人のことは言えないが、なかなか出ない。樫尾の苛立ちが募る。留守電に変わり、メッセージを残そうとしたときに、電話が繋がった。

 黒川はしどろもどろだった。

 こちらの問いかけに、あの、いえ、そのの連続。

 自分のミスを隠そうとしているのは明白だった。

「どういうことだ!」

 電話に向かって話す樫尾の怒気に気づいたのか、村上が気にしている。

 黒川は得意先のオーダーを、樫尾の部署に伝えるのを忘れていたらしい。

 ありえないミス。

 電話を切り、樫尾はスマホをデスクに投げ捨てた。

「クソっ、死ね!」

 吐き捨てると、村上が非難の目を向けていた。

「そんなこと言っちゃ、ダメですよ」

「言いたくもなるよ」

 樫尾が大きくため息を吐くと、まっすぐ樫尾を見て、村上が言った。

「死ねって、生き物の存在そのものを否定することですよ。

樫尾さんがそんなこというの、嫌です」

 かわいいタヌキ顔の目が釣り上がってる。首から提げた社員証のかわいい顔と、目の前の怒り顔を樫尾は見比べた。

「わかったよ、

もう、死ねなんて言葉は使わないよ」

 村上は柔らかな表情に戻り、樫尾に問いかけた。

「何かトラブルですか?」

「営業の黒川が、お得意さんのオーダーをこっちに流し忘れやがった」

「え、間に合うんですか?」

「やるしかないだろ。

工場に直接連絡取って、調整しなきゃな」

 村上が自分のスマートウォッチを見て、短い沈黙の後、自分を指差して言った。

「手伝おっか?」

 就業時間終了間近、仕事量からして、日付を越えるのは間違いない。

 タメ口の女神からのありがたい申し出だった。

「松阪牛特選A5シャトーブリアン」

 樫尾は呪文のようにそう唱えた。

「のった」

 タメ口の女神は、肉の女神でもあった。

 村上は二年目とは思えないほど仕事ができる。

 焼肉くらい、安い物。

 樫尾は打算的に考えつつ、素直に村上の申し出に感謝した。そして、仕事の段取りを開始した。


 第6 話へ続く

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