面倒事の匂いと、腹ペコ盗賊
アークライト近郊の森。
そこは、駆け出し冒険者にとっては「ゴブリンが出る危険地帯」、俺にとっては「極上の食材が眠る宝の山」だった。
「(ふふふ……ふふーん♪)」
俺、ユートは、コネットさんの悲鳴に近い心配(「無事で帰ってきてくださいねー!」)を背中に受けながらも、上機嫌で森の奥へと進んでいた。
もちろん、鼻歌交じりだ。
(さて、と。ゴブリンの巣は……ああ、あっちの湿地帯か)
カンスト済みの【索敵】スキルが、半径数キロメートルにわたる森の全体図を、俺の脳内に3Dマップとして描き出している。
緑色の光点(ゴブリン)が、北西の岩陰に十数匹ほど固まっているのが見える。
(だが、そんな雑魚はどうでもいい)
俺の目的は、ただ一つ。
昨夜の酒場で俺のグルメ魂を侮辱した、あの『冒険者セット』へのリベンジ。
すなわち、至高の自炊だ。
(ゴブリンの巣のさらに奥……南東の開けた場所。いたいた! 『グレート・ワイルド・ボア』の群れ!)
マップ上に表示された、ひときわ大きな獣の光点。
間違いない。
普通の猪(ボア)とは違う、上質な脂と柔らかな肉質を持つあの希少種だ。
(よし、まずはゴブリンを『調査』という名目で片付けて、メインディッシュ(猪)を狩りに行くか! 今夜は角煮と、骨から出汁を取った極上スープで……)
俺がそんな幸せな献立に思考を巡らせていた、まさにその時だった。
ピキッ!
俺の【索敵】スキルが、ゴブリンとは別方向――西側から、複数の鋭い『敵意』と『剣戟の音』そしてか細い『悲鳴』を同時に捉えた。
(……チッ)
思わず舌打ちが出る。
このパターンは、4度の人生で嫌というほど経験してきた。
(……面倒事の匂い、プンプンじゃないか)
間違いなく、何者かが戦闘状態にある。
獣同士の縄張り争いじゃない。
人間同士だ。
それも、片方はかなり追い詰められている。
(関わらないのが一番だ。うん。俺はスローライフ希望のFランク冒険者。他人のイザコザに首を突っ込む義理はない)
俺は自分にそう言い聞かせ、踵(きびす)を返そうとした。
俺の目的は、あくまでゴブリン(の前菜)と猪(のメインディッシュ)だ。
『――ッ、はぁっ、はぁっ……!』
(……!)
【索敵】越しに聞こえてきた、切羽詰まった女性の息遣い。
まずい。
かなり消耗している。
追手は……5人。
全員、手練れだ。
少なくとも、あのボルガ(Cランク)なんかより、よほど訓練されている。
(……行くなよ、俺。今ここで関わったら、絶対に『平凡な冒険者ライフ』が遠のくぞ)
(そうだ、きっと騎士団の訓練か何かだ。俺が心配することじゃない)
俺は再び歩き出そうとする。
だが――。
『――誰か……助け……ッ!』
(…………はぁ)
俺は、天を仰ぎ、森一番の盛大なため息をついた。
ダメだ。
俺の『お人好し』で『フェミニスト』な精神性が、「女性の悲鳴」を聞き捨てにすることを許してくれない。
これはもう、3度の人生で染み付いた「元・勇者」の性(さが)だった。
(……分かったよ! 行けばいいんだろ、行けば!)
(ただし! 助けるだけだ。助けたら、サッと消える。絶対に名前も名乗らん!)
俺は、今夜の角煮が少し遠のいたことを嘆きつつ、音もなく気配を消し、スキル【隠密(ステルス)】を発動させ、現場へと急行した。
現場は、森の開けた小さな広場だった。
木々の間から様子を窺(うかが)った俺の目に飛び込んできた光景に、俺は目を見張った。
(あれは……)
屈強な、黒ずくめの盗賊風の男たち数人に囲まれ、息も絶え絶えに片膝をついている、一人の少女。
(茶色のセミロング……軽装の革鎧……腰の二本の短剣……)
間違いない。
ついこないだ、ギルドでボルガが伸びているのを見て「やるじゃん!」とニカッと笑っていた、あのボクっ娘盗賊・クロエだった。
だが、この前の快活な姿は見る影もない。
革鎧はあちこちが切り裂かれ、ボロボロになっている。
浅黒い肌(健康的な証拠だ)には無数の切り傷や打撲痕があり、息は荒く、得意の短剣も片方は遠くに弾き飛ばされている。
その小柄でスレンダーな体は、絶体絶命の状況に震えていた。
「ハッハッハ! どうしたァ、クロエ! ギルド最速の『韋駄天(いだてん)』も、ここまでかよォ!」
リーダー格と思しき、顔に大きな刀傷がある男が、下卑た笑いを浮かべてクロエを見下ろしている。
「くっ……! はぁ……はぁ……!」
クロエは悔しそうに男を睨みつけるが、もう立ち上がる力も残っていないようだ。
(マズいな。あれは『麻痺毒』か。足に塗った短剣でやられたか)
俺の【万物鑑定(ゴッド・アイ)】が、クロエの足の傷口から微弱な毒の反応を検知していた。
刀傷の男が、剣の切っ先をクロエの喉元に突きつける。
「さて、と。無駄な抵抗は終わりだ。ギルドの掟を破った裏切り者には死を! ……が、その前にだ」
男はニヤリと笑う。
「大人しく“アレ”を渡せば、楽に殺してやるよ、クロエ!」
「(“アレ”?)」
なんだ? 財宝か? それとも、何か重要なアイテムか?
(面倒事に『謎』までセットで付いてきたよ……最悪だ)
クロエは、男の言葉に、残った力を振り絞るように叫んだ。
「……ふざけ、るな……! あれは、ギルドマスターから預かった……アンタたちみたいな裏切り者に渡すもんか……!」
「ほぉ。まだ口が減らねえか。いいだろう。テメェを嬲(なぶ)り殺した後、そのボロきれみたいな服を剥いで、ゆっくり探させてもらうだけだ」
男はそう言うと、汚い笑みを浮かべ、無慈悲に剣を振り上げた。
「死ねや、裏切り者!」
(……あーあ。聞いちゃったよ)
クロエは迫る刃を前に、死を覚悟しぎゅっと目を閉じた。
その目尻に、悔し涙が一筋浮かぶ。
(はいはい、そこまで)
キィン!!
甲高い金属音が、森の静寂を引き裂いた。
「「「!?」」」
男たちの動きが、ピタリと止まる。
クロエも、予想していた衝撃が来ないことに、驚いて薄目を開けた。
振り下ろされたはずの剣は、明後日の方向へ弾き飛ばされ地面に突き刺さっていた。
「な……!? 何だぁ!?」
刀傷の男が驚いて振り返る。
他の男たちも、慌てて周囲を警戒する。
そこに立っていたのは――。
森で拾った「ただの硬い木の実(・・・・・・)」を片手に持ち、心底面倒くさそうに頭をガリガリと掻いている、麻のシャツ姿の青年。
そう、俺だった。
「……あ、アンタは……!?」
クロエがかすれた声で呟く。
(お、覚えてたか。どうも、Fランクのユートです)
俺はクロエを一瞥(いちべつ)もせず、刀傷の男に向かって、本日最大のため息をついてみせた。
「悪いけどさぁ。ゴブリン退治(のついでに食材調達)の邪魔なんで、そこで騒ぐのやめてもらえる?」
俺はあくまで「偶然通りかかっただけ」「獲物が逃げちゃうだろ」という体(てい)を装う。
「……あ?」
刀傷の男は、この状況がまったく理解できていない、という顔で俺を見た。
そりゃそうだろう。
武装した男5人に囲まれた絶体絶命の美少女(クロエ)。
そこに、武器も持たずに現れた、ただの村人A(俺)。
どう見ても、カモがネギ背負って(ついでに猪肉も背負って)やってきたようにしか見えないはずだ。
「……なんだテメェ、このガキ。状況分かってんのか?」
「獲物が逃げる? 馬鹿か。お前が俺たちの『獲物』になるんだよ!」
「ヒャハハ! ちょうどいい、あの女(クロエ)と一緒に、ここで森の肥やしにしてやるぜ!」
男たちが、下品な笑い声を上げながら、俺を取り囲むようにジリジリと距離を詰めてくる。
クロエが、最後の力を振り絞って叫んだ。
「だ、ダメ……! 逃げて、アンタ! こいつら、Bランクの……『闇蛇(やみへび)の牙』よ……!」
(へえ、『闇蛇の牙』。3周目(剣聖)の頃に潰した、暗殺ギルドの残党か。懐かしいな)
だが、そんな内情はどうでもいい。
俺は、男たちに向かって、人差し指をピッと立てた。
「あのさぁ。忠告しとくけど、やめた方がいいよ。俺、今、ちょっと機嫌悪いんだよね」
「「「あ゛ぁ!?」」」
「せっかく見つけた獲物(グレート・ワイルド・ボア)が、お前らの殺気でどっか行っちゃっただろ。どうしてくれるんだよ、俺の角煮」
「……カクニ?」
「何言ってんだ、こいつ」
男たちが完全にキレた。
「ふざけた口を叩きやがって! 殺せ!」
刀傷の男の号令と共に、3人が同時に俺に襲い掛かってきた。
(やれやれ。俺は、本当に目立ちたくないんだが)
ここから先は、もはや「戦闘」ではなく「処理」だった。
そして、俺のスローライフ計画のため、「偶然」の事故を装う必要があった。
まず、真正面から切りかかってきた一人目。
(軌道が甘い。大振りすぎる)
俺は、振り下ろされる剣を、半歩だけ横にズレて避ける。
「おっと」
「なっ!? シマッ――!?」
男は、全力で振った剣が空を切り、勢いを殺せずに体勢を崩す。
その進行方向には、都合よく(・・・・)、太い樫(かし)の木が立っていた。
ドゴォッ!!
「ぐ、ふ……!?」
男は、自らの勢いのまま、顔面から木に激突。
白目を剥いて、そのままズルズルと崩れ落ちた。
「(よし、一人目。偶然の事故完了)」
「テ、テメェ!」
仲間が瞬殺(?)されたのを見て、左右から二人目と三人目が同時に襲い掛かってくる。
右からは剣。
左からは短剣。
見事な連携だ。
Bランクというのは伊達じゃない。
だが。
(遅い)
俺は、二人の攻撃が交差する「中心点」から、一歩だけ後ろに下がる。
「あぶな」
二人の攻撃は、当然、俺には当たらず、お互いの仲間に向かって突き進む。
「「!?」」
ガキィィン!!
「ぐあっ!?」
「い、痛(つ)ぅ!?」
二人の刃が、見事に空中で激突。
火花が散り、衝撃で武器が手から弾き飛ばされる。
さらに、二人はお互いにぶつかり合い、見事な「偶然」で頭と頭をゴツン。
「「……(白目)」」
バタッ、バタッ。
二人まとめて、仲良く気絶。
「(はい、三人目まで完了。完璧な『同士討ち』という名の事故)」
この間、わずか3秒。
広場には、俺と、クロエと、呆然と立ち尽くす残りの二人(刀傷のリーダー格ともう一人)だけが残された。
「……な……」
「……な、何が、起こった……?」
リーダー格の男は、目の前の現実が理解できず、わなわなと震えている。
そりゃそうだろう。
Fランクのガキだと思っていた相手が、一歩も動かず(ように見え)、ただ避けていただけ(・・・・・)で、屈強な仲間三人が勝手に(・・・)自滅したのだから。
(さて、あと二人か。さっさと終わらせて猪肉を……)
「ひっ……! ま、魔法だ! こいつ、詠唱破棄で何か使いやがった!」
残った一人が、そう叫びながら距離を取る。
(あ、そっちに解釈したか。まあ、好都合だ)
「リーダー! こいつ、ヤベェ! 撤退を!」
「う、うるせえ! たかがガキ一人に……! 奥の手だ、やれ!」
リーダー格の男が叫ぶと、残った一人が懐から黒い宝玉を取り出し、高々と掲げた。
(お? あれは『召喚石(ダーク・サモン)』か。懐かしいな。2周目(大賢者)の頃よく研究材料にしたっけ)
「喰らえ! 地獄の番犬、ヘルハウンド!」
宝玉が砕け、黒い煙と共に体長3メートルはあろうかという燃え盛る三つ首の魔犬が召喚された。
「グルルルルルル……!」
「クロエ!?」
絶望的な状況に、クロエが悲鳴を上げる。
魔犬の威圧感に、彼女は完全に戦意を喪失していた。
「ヒャハハハ! どうだ、ガキ! Bランクの切り札だ! こいつの炎で、骨も残さず焼け死ねや!」
リーダー格の男が、勝利を確信して叫ぶ。
それに対する、俺の反応は――。
「……はぁ」
(また、面倒くさいのが増えた……)
「(あ、でも、待てよ?)」
俺は、燃え盛るヘルハウンドを【万物鑑定(ゴッド・アイ)】で鑑定する。
【魔物名】ヘルハウンド(召喚体)
【弱点】 聖属性、氷属性
【来歴】 低級魔族が使役する番犬。見た目は怖いが、知能は低い。
【食材としての評価】 肉は硬く、硫黄臭が強いため、食用にはまったく適さない。
ただし、体内の『魔炎石』は、ドワーフ式カマドの最高級燃料(・・・)となる。
(……最高級燃料)
ゴクリ。 俺は、思わず生唾を飲んだ。
(最高級燃料……だと……?)
(それがあれば、俺の【インベントリ】に眠る『ドワーフ式・折りたたみ式ピザ窯』が、ついに本領を発揮する……!)
(角煮もいいが、高温で一気に焼き上げる『本格ナポリピッツァ』も……!)
(猪肉と、森で採れる『王様キノコ』、それに『野生トマト』を使った、自家製ピザ……!)
ジュルリ。 俺の食欲が、面倒くささを完全に上回った。
「グルルアアァァッ!!」
俺がよだれを垂らしかけていると、ヘルハウンドが(獲物の余裕と勘違いしたのか)三つの口から同時に、灼熱の炎を吐き出してきた。
「死ねや!」という男の叫び。
「危ない!」というクロエの悲鳴。
(……うるさい)
俺は、迫り来る炎の壁に向かい、ただ一言。
「――【氷壁(アイス・ウォール)】」
もちろん、詠唱破棄だ。
俺の目の前に、一瞬にして分厚い氷の壁が出現し灼熱の炎を完全に防ぎ止めた。
ジュウウウゥゥ!と、水蒸気が立ち込める。
「「なっ!?」」
男たちが、詠唱破棄の上級魔法に驚愕する。
(よし、燃料(・・・)ゲットだ)
俺は、水蒸気で視界が遮られているのをいいことに、一瞬でヘルハウンドの懐に飛び込む。
「(【並列思考(パラレル・シンク)】起動。魔力核(コア)と、魔炎石(ねんりょう)の位置を特定……あった)」
俺は手刀に魔力を込め、ヘルハウンドの(可哀想だが)腹部に最小限の動きで突き入れる。
「キュ……ン?」
ヘルハウンドは何が起こったか分からない、という顔で俺を見つめたまま、黒い霧となって消滅していった。
俺の手には熱を失った『魔炎石』が一つ残されていた。
(よし、インベントリに収納)
「……な……」
「……き、消えた……?」
水蒸気が晴れた時そこに立っていたのは、無傷の俺と呆然とする男二人。
そして、目の前で起こった全ての神業に、ただただ呆然と見入るクロエだけだった。
「ひ……」
「ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
リーダー格の男は、ついに恐怖が限界を超えたのか、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「ば、化け物……! 化け物だぁ!」
「あ、逃げた」
もう一人の男は、リーダーを見捨てて一目散に森の奥へと逃げ出していく。
リーダー格の男も、這う這うの体で後を追おうとする。
(やれやれ。やっと終わったか)
俺は、もう追いかける気も起きなかった。
(あ、でも、一応)
俺は逃げていく二人の背中に向かって、最初に拾った「硬い木の実」をデコピンの要領で軽く(・・・)弾いた。
ヒュンッ!と、空気の壁を超える音が二つ。
「「ぎゃあああっ!?」」
遠くから、二つの情けない悲鳴が聞こえた。
(よし。両足のアキレス腱のあたりに『偶然』当たったみたいだ。これならもう、クロエを追えないだろ)
シン……。
嵐が過ぎ去ったように、広場に静寂が戻る。
残されたのは、腰を抜かしたままのクロエと、手に持った木の実のカスを「ふーっ」と吹き飛ばす俺だけ。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙。
「あ……」
クロエが、何かを言おうと口を開く。
俺は彼女が何かを言う前に、さっさとこの場を立ち去ることに決めた。
(関わったら負けだ。俺は、何も見ていない。何もしていない。俺は、Fランクのユートだ)
俺はクロエに背を向け、森の奥――グレート・ワイルド・ボアが(さっきの騒ぎで逃げたが、別の群れを【索敵】が捕捉している)場所へと無言で歩き出した。
「あ……! ま、待って! 待ってよ!」
クロエが、麻痺した足で必死に俺を呼び止める。
「(聞こえない、聞こえない)」
「助けてくれたんでしょ!? ねえ、待ってってば!」
(あー、もう! しつこいな!)
俺は今度こそ、スローライフ計画が初日から崩壊していく音を、確かに聞いた気がした。
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